第14話



▫︎◇▫︎


「ニコラス王太子殿下、何に対してお怒りなのでしょうか?」


「………………………………。」


 怒りを感じるにもかかわらず王子様スマイルを振りまいているニコラス王太子殿下とこの個室に入室して早5分、無言な状況に我慢できなくなった私はニコラス王太子殿下にお声をかけました。私は人の感情の機敏を読み取るのがあまり得意ではないので、こういう笑顔という隠し方をされてしまえば、直球で尋ねるという以外に道はありません。


「分からないの?」


「………分かりません。申し訳ございません。」


「そっか。」


 怒りの気配と笑みをさらに深くしたニコラス王太子殿下に、私は震える唇を必死に結ぶのがやっとでした。


「ねぇ、彼のこと好きなの?」


「彼?………先輩のことですか?」


「あぁ、そうだよ。さっき君と一緒にいたやつのこと。」


「好きか嫌いかで聞かれたら好きですよ?悪い人ではありませんし、お仕事にまつわる知識の教授の仕方も丁寧ですし。」


 真実を言った次の瞬間、ニックの顔から笑みが消えました。


「あの、殿下?」


「彼のこと、好きなんだ。じゃあ、彼を後釜にするの?」


「何を言っているの?」


 純粋な疑問に首を傾げると、ニックがキョトンとした表情をしました。ついつい幼馴染口調になってしまいましたが、おそらく今は幼馴染口調の方が火に油を注がなくても済むでしょう。


「ねぇニック、私、ちゃんと言ってくれないと分かんないわよ?」


「………ごめん、シャーリー、君がアイツと仲良さそうにしているのを見てモヤッとした。」


「そっか、分かった。でも、彼と私は先輩と後輩、教育係と新人だよ?」


 私は純粋に小首を傾げました。

 仲間外れにされて悲しかったのでしょうか?


「う~ん、そうだ!!私ね、明日から禁書庫への入館許可が出るの。先輩に禁書庫について明日から教わることになっているから、仲間外れが嫌ならニックも明日一緒に行く?」


「………いや、いいよ。それに、僕は決して仲間はずれにされたことに怒っていた訳ではないから。僕がモヤッとした理由は、………………いずれ分かるよ。」


 ニックは苦笑いをして、怒りの気配を沈めました。


 コンコンコン


「失礼いたします。」


 完璧に馴染んでいる敬語を使った先輩が入室してきましたが、その手にはありえない量の本が載っていました。異常なまでのバランス感覚で載せられたA4サイズの拳1つ分の分厚さのある本は、20冊近くにのぼるかもしれません。


「大丈夫ですか、先輩。」


「心のこもってない心配をどーも。」


 一応声を掛ければ、ムカついたような声が返されました。先輩ならば、あれくらいの本、全くもって重たくもないでしょうに。


「お疲れだった。今日の労いと私の幼馴染の教育係になってくれたお礼に、何か褒美を与えよう。何がいい?」


 王太子然とした風格に、私はぼーっとニックに見惚れていました。

 今頃ですが、ニックってカッコいいですわね。


「では、禁書庫の中でも最も奥にある禁書を読ませていただきたいです。」


「そんなことがいいのかい?」


「本好きにとっては何事にも変えられないほどに、たまらない代物ですよ。」


 先輩に同意を求められ、淑女の仮面をかなぐり捨てた私はコクコクと大きく首を縦に振りました。私も、読めるのならば、禁書庫の奥にある禁書、読んでみたいです!!


「シャーリーも読みたいのかい?禁書。」


「読みたいに決まっているわ。ニックも私の本好きはよーく知ってるでしょう?」


「そうだね。」


 ニックは私の剣幕に苦笑した後、う~んと悩むそぶりを見せました。

 ………先輩には見せてくれて私には見せてくれないのでしょうか。


「シャーリー、禁書を読んでしまえば、君はもうこの国以外で生きていけなくなってしまう。それでもいいかい?」


「? 私にとっては何も問題ないわ。」


 私は首を傾げながら即答しました。お父様はそもそも私を結婚させる気はないようですし、この王国から要請を受ける可能性のある異国の王族や貴族とは結婚も、婚約破棄の際にさせる気がないことが分かりましたから、私には何も問題ありません。


「僕にとっては嬉しいことだけれど、本当にいいのかい?」


「………………………お父様に一応確認は取ってくるわ。」


「そうしてくれると助かるよ。」


 ニックは私の出した答えに、満足そうに頷きました。まぁ、例えお父様の許可が下りなかったとしても、私はなんの躊躇いもなく禁書を読みますけれどね。


「シャーリーはもう帰るのかな?」


「いいえ、今日はお兄様と落ち合って帰る予定よ。べジャミン爺がお風邪をひいてしまったみたいなの。」


「そっか………、あの元気が1番っていうべジャミン爺ももう大分歳なんだね。」


 ニックは遠い目をしてしみじみと言いました。

 その言葉、爺に言ったら馬車の運転をわざとどえらいことにされてしまいますよ?


「………………爺本人に直接言わないことをおすすめするわ。」


「あはは、流石に僕もそこまで勇者じゃないよ。」


「勇者って聞こえはいい言葉よね。」


 私は呆れて肩をすくめながら言いました。ニックが勇者か………、存外似合いそうですね。


「待ち時間はどうするの?」


 ニックが心無しかちょっとだけキラキラした目で聞いてきました。


「もうちょっとで学園の卒業パーティーでできた友達が尋ねてくるはずだから、その娘と時間を潰すつもりよ。」


「そっか、………残念。その子って女性だよね?」


 今日尋ねてくる予定のアンことを思い浮かべた私は、こくんと頷きながらニックに答えました。


「そうだけど?」


「ならよかった。」


「?」


 にっこりと黒い笑みを浮かべたニックにちょっとだけ危機感を覚えた私は、頬が僅かに引き攣るのを感じました。


「ねぇニック、最近なんか変だよ?」


「そうかな?僕はいつも通常運転だよ?」


 疑問に疑問を返されると、私はほとほと困ってしまいました。

 これはもう話題を転換する他ありませんわね。


「そ、そういえば、ニックは先輩には禁書庫の奥にあるっていう禁書を読ませるのに質問しないのね。」


「ん?彼に聞く必要ってある?」


「………ニックも気づいたの?」


 私はある可能性に辿り着き、ニックの僅かな表情の変化も見逃すまいと顔に穴が空いてしまうくらいに、じっとニックの顔を見つめました。


「彼って、パラディンのディルク・マーベラス伯爵だよね?」


「………“今は”、ディラン・マーベラスです。」


 先輩は苦虫を噛み潰したような表情をして、溜め息を噛み殺しました。

 先輩は今までバレたことがないと言っていましたが、皆さん気がついていても話題にしなかっただけなのでは?ということが、私の頭の中に浮上してきました。


「ねぇニック、ディルク先輩のこと、なんで気がついたの?」


「え、う~ん、全部?」


 私の質問に、ニックは首を傾げながら、抽象的で曖昧な答えを出しました。

 ………悩みに悩んだ答えがそれですか。


「全部って?」


 とりあえず、詳しく聞き出すことにしてみることといたしました。


「まず1つ目で、歩き方。」


「うん。」


 ニックがピンと人差し指を立てました。

 これは全ての理由に1本ずつ指を立てていくパターンですかね?


「次に2つ目で、呼吸法。」


「うんうん。」


 中指も立てました。

 やっぱり、予想通りです。

 となれば、次は薬指ですかね?


「またまた次に3つ目で、気配。」


「うんうんうん。………?」


 次は何故か親指を立てました。

 ………次はどうするのでしょうか?


「最後に4つ目で、殺気っていうか威圧への耐性。」


「なるほどー。」


 薬指を立てようとしてたたないことに気がついたニックは慌てて親指を除く全ての指を立てました。………なんだかおっちょこちょいで可愛らしいですね。


「………ローゼンベルク侯爵令嬢同様、王太子殿下も化け物かよ………」


 大きな溜め息を吐いて項垂れた先輩に、私は苦笑を浮かべました。優しい私は、さっきの呟きは聞かなかったことにいたしました。まぁ、掘り出したら王太子殿下であるニックに対する不敬罪になってしまいますからね。


「…………………シャーリーとお揃い。シャーリーとお揃い。シャーリーとおそえろいシャーリーとおそえろいシャーリーとおそえろいシャーリーとおそえろいシャーリーとおそえろいシャーリーとおそえろい………!!いや、本当になんのご褒美?シャーリーとお揃いなんて嬉しすぎるだろう!!ははは、ははははははは…………!!」


 そして、同時によく分からない不可解なことをうわ言のようにぶつぶつぶつ呟き続けるニックも、私は放っておくこととしました。うん、こういう手合いは放っておくのが1番ですよね!!下手に突っ込んだら私が大火傷を負ってしまいます。


「な、なぁ、ローゼンベルク侯爵令嬢、殿下、壊れてないか?」


「………呼び捨てで結構ですよ。呼びにくいでしょう?」


「あ、あぁ、分かった。ローゼンベルク。」


 露骨に話題を逸らした私を、先輩は不可解そうにじっと見つめました。


「なぁローゼンベルク、俺は壊れた王太子殿下にどう接すればいいんだ?幼馴染なら知ってんだろ?」


「いずれ正気付くのでしばらく放っておいたので大丈夫ですわ。」


 私は思わず遠い目をして言いました。

 だって、こうなったらニックを止める術なんて、誰も持っていませんもの。


「王太子殿下はよくこうなるのか?」


「いいえ、たまーにですよー、こんなふうになるのは。」


「そうか………。」


 私の疲れたような溜め息と共に漏らされた言葉に、先輩は憐れみのような視線を向けてきました。………憐れむより先に、助けてほしいものですわね。


「そもそも、よくこうなっていたら、王太子なんて務まらないかと存じますわ。」


「それもそうだな。これはもう、発作と考えればいいんだよな。」


「先輩の適応力の高さ“には”敬服いたしますわね。」


「今、妙に『には』の部分に力が入ってなかったか?」


「おほほほほほほ、勘違いではございませんこと?」


 扇子を取り出してぱらりと開いた私は、悪役令嬢さながらの高笑いを上げました。ふふふ、練習した甲斐もあって、上手にできているはずですわ!!


「なんだそれ、気持ち悪ぃなー。」


「………失礼ですね。悪役令嬢ですわよ。」


 ストレートに気持ち悪いと言われてムカついた反動からか、つい真面目に答えてしまったことに若干の後悔を抱きながらも、私は先輩を猫のように目を細めて睨みつけました。


「………可愛い可愛いシャーリーのことを気持ち悪いと言ったお馬鹿はどこのどいつかな?」


 ぶわりと背中に嫌な汗が浮かび、私は震え上がりました。


 ーーニックが怒った、激怒した!!やばい、やばい、やばいやばいやばいやばいやばい!!


「に、ニック、私も先輩もそろそろお仕事があるから戻るわね。ニックもお仕事頑張ってね!!」


 下手すぎる話の変え方に、私は自分を殴りつけてやりたい気分になりました。こんなのならば、もっと真面目に話術を学んでおくべきでしたわ!!


「………こんなのを庇うの?シャーリー?」


「ニック、こんなのでも一応私にとっては先輩だし、国にとっては英雄あ#聖騎士__パラディン__#よ。殺しちゃまずいでしょう?」


「うわぁー、酷い言いよう。」


 先輩、お願いだから、もう要らないこと言わないでください!!


「………シャーリー。」


 ニックは微笑みさえ浮かべず、人を凍死させる氷のように冷たく、残酷な表情と声音で私の名前を呼びました。


 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い、………………でも、


「ニック、落ち着いて、大丈夫。大丈夫だから。ね?」


 私しか彼を止められない。だから、私がしっかりとしなくては。怖がって自分を含めた周りを全て攻撃しようとしてしまっている彼を止めてあげなくては!!

 私は、優しく彼を抱きしめて、背中をぽんぽんと優しく撫でました。


 彼の過去に大きな恐怖を植え付けて、彼が時折感情の制御が難しくなってしまう事態に陥る原因を作り出したのは、他ならぬ私です。彼は私が大丈夫であれば、安心できます。だから出来るだけ私の冷たい身体でも彼に熱が、鼓動が届くように、ぎゅうっと力を込めて抱きつきます。


 大丈夫だよ、私は大丈夫。だからもう怒る必要も、怖がる必要もないんだよ。ほら、また私の大好きな無邪気な笑顔を見せて。


 そんな思いを届けようと、私は怒りと恐怖の炎に身を委ねているニックに子猫のように額を擦り付けました。


「………ニックぅ~………。」


 いつもならばとっくに収まっているはずの彼の怒りが収まらないことに焦りを覚えた私は、震えた声で彼を呼びました。


「………シャーリー?」


 普段と変わらぬ声音で呆然と私の名を呼んだ彼に、私は安堵の溜め息をこぼしました。やっと戻ってきてくれました。


「………また、暴走していた、な………。」


 私は何も言うことができず、ただこくんと頷きました。自嘲の含まれている声音には、深い悲しみと闇が感じられます。


「………ごめん、なさい。」


「何でシャーリーが謝るんだ?悪いのは全部僕だよ?」


「………ニックが、ニックがこうなってしまったのは私の、所為、だから。」


 私は泣きたくなった心を必死に押さえつけてニックの温もりに甘えました。


「シャーリー、僕を止めてくれてありがとう。僕を止めることができるのは君だけだ。」


「うん………。」


 私はこんなダメダメな私を甘やかすニックを諌めなくてはならないのに、ついつい甘えてしまいます。


「あの~、俺のこと忘れてません?」


 私とニックはガバリと身体を話し、狼狽えました。

 どうしましょう!?

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