第12話

▫︎◇▫︎


 屋敷での一悶着も打ち切り、渋々馬車で揺られて本日行われる2度目の卒業パーティーに参加するために、私はアストレア公爵邸にお邪魔しました。

 そして、屋敷の入り口ではここの屋敷の女主人である夫人が出迎えを行っていました。


「ようこそお越しくださいました、ローゼンベルク侯爵令嬢。」


 そして、今までは嬉しそうに下の名前で呼び合っていたアストレア公爵夫人が、私のことを悲しそうに身分で呼びました。


「お招きいただきありがとうございます、アストレア公爵夫人。本日のガーデンパーティー、私、とっても楽しみにさせていただいていましたの。」


「………そう。………もう何度目になるか分からないけれど、アイザックがごめんなさいね。」


「お気になさらず。夫人にはなんの罪もございませんわ。」


 ふんわりと微笑みを浮かべれば、夫人は眩しそうに目を細めました。


「いいえ、あの子を甘やかしたのはわたくしよ。………ローゼンベルク侯爵令嬢、貴方はもっと怒ってもいいのよ?」


 ぽつりと呟かれた言葉には、懺悔が含まれていました。



「夫人、これからも我が家との末永いお付き合いをよろしくお願いいたしますわ。」


 私の願いに、夫人はパチパチと瞬きし、やがて苦しそうな笑みを浮かべました。


「貴方のような娘が欲しかったわ。」


「ふふふ、お褒めに預かり光栄ですわ。………私は、私の私情よりも、我が領の全ての民が食べるものにも服にもお家にも困らなくなればそれで全て良いのです。」


 夫人は私のことをそれはそれは可愛がってくださいました。

 実の息子であるお馬鹿サイテークソ野郎や、出来の良く要領のいい弟君が羨ましがるくらいは、可愛がってくださったのです。婚約者が彼でなかったら、喜んで娘になりましたのにね……。本当に、本当に残念です。


「こちらから出来得る限りの協力をすると約束するわ。…でも、こんなのじゃ一切罪滅ぼしにはならないわよ?」


「構いませんわ。5年で互いの領地の貧民をゼロにいたしましょう?」


「えぇ、一緒にお仕事できるなんて楽しみだわ。」


「こちらこそ、賢姫とまで呼ばれた夫人とお仕事できるなんて夢のようです。」


 私はこの時ここに来て初めて、心の底からの笑みを浮かべました。


「あらあら、今を生きる才姫にそんなふうに言ってもらえるなんて、歳を食った婆であるわたくしも未だに嬉しいですわね。」


 成人した子供を持つ母親には見えない若々しい笑みを浮かべた、年齢にそぐわぬ若々しさを持つ夫人が言いました。

 夫人は社交界の七不思議にも数えられるほどに本当に本っ気で年齢不詳なのです。


 ちなみに、年齢を聞いたらコッテリと精神的に搾られるそうです。

 まぁ、レディーに年齢を聞いた不届き者の自己責任ですけれどね。


「才姫だなんてとんでもございませんわ。そもそも私は姫ではございませんし………。」


「貴方が王女だったら、傾国ものね。」


「?」


 夫人がどこか遠くを見つめるような目をして言いました。


 警告、渓谷、経国、溪谷、けーこく、けいこく、………傾国?

 私が国を傾けるということでしょうか?


「私には、そんな大層な価値なんてございませんわ。」


「無自覚ほど怖いものってないわよね。」


 夫人は引き攣った笑みを浮かべて、扇子の持ち手からシャラシャラと揺れているを弄っていました。


「にしてもローゼンベルク侯爵令嬢、今日の装いは普段とはまた違ってとっても可愛らしいわね。」


「侍女が暴走しまして…………。」


 私は引き攣ってしまっているであろう笑みを浮かべて、サファイアのイヤリングを弄びました。


「貴方こんなに似合っているのにその系統のドレスを何故今まで着なかったの?」


「………侍女のメイクのお陰で違和感がなくなっているだけですわ。本当なら私の吊り目ではこういう系統は似合いませんもの。」


 肩をすくめて言うと、夫人はキョトンとした後、躊躇うように口を開きました。


「お化粧というのは女の子を輝かせるために存在しているのよ?だから、その女の子が全くもって似合わないものを着たら、どんなに頑張ってお化粧したとしても、決してそのお洋服が似合うことはないのよ?」


「そう、なのでしょうか………?」


「えぇ、ローゼンベルク侯爵令嬢は、清楚系や綺麗系やセクシー系だけではなくて、可愛い系のお洋服も似合うということよ。」


 満面の笑みで社交界の女王とまで呼ばれる流行の最先端を行く夫人に褒められて、私はちょっとだけ自信を持つことができました。


「これからは、たまにはこういう格好をしてみるのもいいかもしれませんわね。」


「そうね。貴方は小さい頃からそういう服を一切着てくれなかったからね。」


「うぅっ、」


 しみじみとした思いで言った言葉に、夫人が嫌味を一言ぶち込んでくださいました。

 た、確かに夫人はいつも私にこういうふりっふりでリボンたっぷりなお洋服を着てほしいとおっしゃっていましたが、どうしても、どーしても、勇気が出なかったのです。

 だって、飾り気がなくて色合いが綺麗なお洋服やちょっと形が凝っているものの方が断然好みですし、デザイナーさんはいつもそっち系統を薦めてくださっていたのですもの。

 ま、まぁ、今考えてみれば、私の好みに合わせてくださっていただけかもしれませんが。


「ローゼンベルク侯爵令嬢は存外臆病なのね。」


「………私は自分のことに関しては臆病かもしれませんね。」


 なんとなく自分は臆病者だとは認めたくなくて、でも事実だから自分が臆病者だと認めるほかないことに、私はちょっとだけ虚しさを覚えました。自分に自信があったらいいのに、そう思わずにはいられませんでした。


▫︎◇▫︎


 挨拶を終えた夫人と別れた私は、ガーデンパーティーが行われている美しい白色の薔薇の花々が咲き誇っている庭園に足を踏み入れました。

 思わずほうっと溜め息を吐いて見惚れてしまうような計算され尽くされた白薔薇の配置は、流石公爵家の庭園だと思わずにはいられませんでした。


「シャーロット様!!」


 遠くから見慣れたポニーテールの赤毛の少女が見苦しくないギリッギリを攻めた全力の早歩きで突進してきました。


「お久しぶりですわね。アン。」


 ふんわりと微笑みを浮かべると、アンは顔を真っ赤に染めて悶え始めました。


「えっと、アン……?」


「あぁ!!シャーロット様そのお姿は!!」


「………やっぱり似合わないでしょうか?」


 私は気持しゅんとしながらも、似合わないと言われても大丈夫なように心に決意を固めました。


「とってもお似合いですわぁ!!」


「ふぇ?」


「普段の凛々しくすらりとしているのにも関わらず、ちょこちょこ可愛らしいシャーロット様も、今日のような物凄く1から10まで可愛らしいシャーロット様も最高です!!」


 アンが何故か壊れました。


 アンの叫び声によって会場内の視線が全てと言っても過言ではないほどにここに集まってきました。

 うぅー、婚約破棄騒動とは比べ用がないくらいにとっても恥ずかしいです。逃げたい、隠れたい、穴が欲しい。


「ローゼンベルク侯爵令嬢!!今日の格好はいつにも増して素敵ですわ。」


「あ、ありがとうございます。モブリー伯爵令嬢。」


「それにしても、今日の格好は、そのー、ど、独占欲丸出しですわね。」


「?」


 私は一瞬何を言われているのか理解できませんでした。私には周りのご令嬢方とは違い、婚約者や恋人がいないのです。ですのに、独占欲だなんて存在しないものをだされてしまえば、理解に苦しむのは当然のことです。


「何をおっしゃられているのですか?」


「あら?うふふふふふ!!誤魔化すだなんてらしくないではありませんか!令嬢!!」


「あの、本当によく分からないのですが………。」


 恋愛における経験値ゼロにして興味も皆無という女子失格な私は、恋バナの匂いという大好物を前にした女子という名の恐ろしいモンスターに圧倒されることとなりました。


「王太子殿下のことですわ!!ローゼンベルク邸で婚約破棄帰りの令嬢を心身に慰め、朝帰りなさったのでしょう!?」


 モブリー伯爵令嬢のきゃーという黄色い声に事態が恐ろしい方向に進展しつつあることに気がついた私は、とりあえず弁明しておくこととしました。


「あ、あの、朝帰りは事実なのですが、そのー、私、王太子殿下とは幼馴染でして、それで元婚約者の愚痴に付き合ってもらっていたのですわ。」


「えー、本当にそれだけですのー?」


 カロリーナのようなモブリー伯爵令嬢に、ピクピクと痙攣してしまっている微笑みを返しながら、私は本当のことを知っていただくために口を開きました。


「えぇ。2人ともきついお酒が沢山入ってしまって酔い潰れてしまいましたの。」


「ローゼンベルク侯爵令嬢はお酒に強いという噂を聞いたことがあったのですが………。」


 大好物を前にしたご令嬢方という名のモンスターは私を逃してくれる気は一ミリもないようです。


「…………3時間でワインボトルが3本空いておりましたわ。」


「………………。」


 絶句したご令嬢方から私はすぅっと視線を逸らしました。


「ままま、まさか、シャーロット様と王太子殿下のお2人だけだったっていう訳ではありませんよね?ご両親や兄君であらせられるアラスター・ローゼンベルク侯爵子息もご一緒ですわよね?」


「……………2人ですわ。」


 アンの決死のフォローも虚しく、私は自分が異常なまでの酒豪であることを明かすこととなりました。


「…羨ましいです。私はお酒にとっても弱いので………。」


 モブリー伯爵令嬢が疲れた表情で微笑みました。

 私の家族は皆揃いも揃ってお酒に強いのですが、モブリー伯爵令嬢とそのお母君は確かお酒にとても弱かったはずです。匂いを嗅ぐだけで酔ってしまうとか。


「今日は皆さんお酒を楽しみますよね………。」


「私、1ヶ月間王太子殿下の前で泥酔してしまったケジメとして禁酒することにしたんです。モブリー伯爵令嬢、私と一緒にジュースを楽しみませんか?」


 意識してふんわりと優しく見えるような微笑みを浮かべると、モブリー伯爵令嬢がぽーっと頬を赤くしました。体調でも悪いのでしょうか?

 春になったとはいえまだまだストールだけでは寒いですからね。


「シャーロット様、モブリー様はシャーロット様の愛らしさにやられただけですわ。」


「? 私は可愛くなんてありませんわ。」


 アンのうっとりとした声に、私は首を傾げました。愛らしいというのはマゼンタ元男爵令嬢のような愛嬌たっぷりの女の子のことを指すのですよ?


「シャーロット様は何も分かっておりませんわ。」


「? 私、間違ったことは言っておりませんよ?可愛らしいというのは私みたいな吊り目のきつい女ではなく、マゼンタ男爵令嬢のような愛嬌たっぷりな女を指すのですよ?」


「………シャーロット様は本当に分かっておりませんわ。」


 アンの溜め息に、私ますます首を大きく傾げてアンの真意を読み取ろうとじいっと顔を見つめましたが、私には何が言いたいのか分かりませんでした。


「……今日のシャーロット様のお洋服は誰が用意したのですか?」


「? 知らないわ。はぐらされてしまったから。でも、乳母が私に着せたってことは問題がある人が用意したのではないはずですわよ。」


「信頼していらっしゃるのですね。」


「えぇ。」


 私は目を細めて微笑みました。


「ろ、ローゼンベルク侯爵令嬢、つ、つつつ、次の婚約はお決まりなのでしょうかあ!?」


 声が裏返りながらも女子会という名の私への尋問を遮って話しかけてきたアテウーマン侯爵子息に、私は困ったような微笑みを浮かべました。


「ごめんなさい。私は自分の結婚について全て父に丸投げしておりますので、今現在どうなっているかは存じ上げませんわ。本当にごめんなさいね。」


「そ、そそそ、そう、ですか………。ででで、では、お噂は本当なのでしょうかあ!?」


 またもや裏返った声に、アンがぎゅうっと眉を寄せました。感情が分かりやすいですわね。


「噂、とはなんなのでしょうか。」


「おおお、王太子殿下とのことです!!」


「あぁ、あの件ですか。王太子殿下が朝まで我が家でお酒を嗜んでおられたのは事実です。ですが、それはあくまで私と殿下が酔い潰れて泥酔してしまったからですわ。」


 困ったように扇子を口元に当てて首を傾げれば、令息はぱあぁぁぁっと表情を明るくしました。


 …………何がそんなに嬉しいのでしょうか。私には分かりかねますわね。


「アテウーマン侯爵子息、恐れながら、今は女子同士で楽しく会話しておりますの。とっとと失せてくださいます?」


「ひ、ひぃ!!し、失礼いたしましたー!!」


 アンの容赦ない言葉に、私は苦笑をこぼしました。モブリー伯爵令嬢を筆頭としたその他のご令嬢方も同じような表情をしています。


「か、過激ですわね。」


「元婚約者のボンクラを公衆の目前で見事に完膚なきまでに叩きのめしたシャーロット様には、言われたくありませんわ。」


「そのボンクラは私を、公衆の目前で陥れようとしたのですよ?」


 半泣きで去っていったアテウーマン侯爵を横目にしながら、私はアンと笑っているのに笑っていない会話を繰り広げ、周囲の気温を下げました。


 それにしても、マゼンタ元男爵令嬢はお元気ですかね。


「そういえば、シャーロット様は、王城の図書館の司書になるのですよね?」


「えぇ、今日から出勤でしたの。」


「まぁ!本好きのシャーロット様にはとっても楽しい職場になりそうですね!!」


「えぇ、色々な意味で楽しくなりそうですわ。」


「え?」


 私はとってもムカつくパラディンの称号を持った先輩を思い出し、不敵な笑みを浮かべました。


「アンはどういった書物をお好みになられているのですか?」


「………私、本はあまり………。」


「意外ですわ。てっきり、アンは恋愛小説を好んでいるのかと。」


「そんなものあるのですか!?」


 アンの驚きの声に、私を含めた年頃の女の子達は目を見開きました。


 れ、恋愛小説を知らないだなんて………!!人生の半分は損をしておりますわ!!


「バーミリオン様、恋愛小説を知らないだなんて人生の8割を大損しておりますわ!!」


 モブリー伯爵令嬢が目をカッと見開いて言います。


「そうですわ!!」


 ご令嬢方の目が大変据わっています。

 ………私、何か大きな墓穴を掘ってしまったようです。


「………アン、今度図書館にいらして下さい。おすすめの小説を貸し出しいたしますわ。」


「!! ローゼンベルク侯爵令嬢も恋愛小説をお読みになられるのですか!?」


「えぇ、私、生粋の本好きですのよ?文字あるものはなんだって読みますわ。」


「もはやそれは本好きというより活字好きではございませんの?」


 私はにっこりと微笑みを返しました。

 確かに、私は本好きというより活字好きかもしれませんわね。


「モブリー様は何という本がお好きですか?」


「う~ん、やっぱり『本好き令嬢は恋をする』ですかね。」


「確かにあれは傑作ですわよね。確か、とっても賢いけれど社交性のない子爵令嬢が、見た目麗しい王子様に恋をするお話しでしたわよね?」


 私はモブリー伯爵令嬢から聞いた本の題名からとっても綺麗な扉絵を思い出し、うっとりした口調で言いました。


「えぇ!!そうですわ!世界中の書物を全て紐解いた天才少女である恋に奥手な弱々しい主人公が、密かに王子様に片想いするところがまた、焦ったくてきゅんきゅんするんです!!」


 扇子をブンブン振り回しながら力説するところから、本当にその本が好きなことが伝わってきました。


「王子様の方もまた子爵令嬢に思いを寄せているというところが、すれ違いをよく演出できていて素敵ですわよね。」


「流石!よくお分かりになっておられますわ!!令嬢!!」


 頬を紅潮させる姿が、可愛らしいです。


「いえいえ、同じ本好きの主人公に対抗心が湧いてしまって記憶に残っているだけですわ。」


「まぁ!!流石現実世界の本好きですわね。」


「お褒めに預かり光栄ですわ。」


「うふふ、ははは。」


 この後も、さまざまな話題でお話しに大輪の花が咲き誇りました。


▫︎◇▫︎


 馬車に揺られながら帰宅している私は、ぼーっとしながら外の風景を眺めていました。


 今日のパーティーは本当に心の底から楽しかったです。

 だからこそ、このような時間が長く続けばいい、そう願ってしまいます。

 ですが、物事はそんなに上手くは進まない、進んではくれない、それは誰よりも深く理解しています。


 今日のドレス、皆様に言われてもしかしたらニックが贈ってくれたのではないか、と思いました。いつも堂々と贈ってくれていたので特に気にしたことはありませんでしたが、本当はあれはいけないことだったのです。今頃になって気がついたことに、少し眩暈を覚えながらも、私は何故ニックがあんな強行に走ったのか考えました。


 何故?どうして?


 考えれば考えるほど沼にハマっていき、思考が見当違いの方向に飛んでいきます。


「いくら考えても、“今は”仕方がありませんわね。圧倒的にピースが足りません。」


 ならば、今日の皆様の装いを思い出すことにいたしましょう。皆様煌びやかで華やかで、自信満々に各々のガーデンパーティー用のちょっと気楽なワンピースドレスを着ていました。


「本当に、楽しそう、だった、な、……………。」

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