第11話

▫︎◇▫︎


「べジャミン爺、帰るから馬車を出してください。」


「承知いたしました。お嬢様。」


 そう、学園は卒業しましたが、これからの図書館勤めでも、べジャミン爺が私の専属として馬車を運転してくださることになったのです。


「爺、私の我儘を聞いてくれて本当にありがとうございます。」


「いえいえ、この爺、お嬢様がお望みになられるのであれば、この命尽きるまで、ずっとお嬢様の乗る馬車を運転させていただきますよ。」


 この会話でお分かりかとは思いますが、私の学園卒業と同時に引退するはずだった爺に、私は我儘を言って無理矢理御者を続けてもらっているのです。申し訳なくは思いますが、爺にはどうしてもまだ御者を続けていただきたかったのです。


「ごめんなさいね、べジャミン爺。」


「気にしなさんな、お嬢様。」


 私はまだまだべジャミン爺離れができないようですわ。


▫︎◇▫︎


「ただいま帰りました。」


「おかえりなさいませ、お嬢様。パーティーまで2時間しかございませんので巻きでお準備させていただきますね。」


「えぇ、よろしくお願いいたしますわ。」


 クリスティーナに笑顔でお迎えしてもらった私は、テキパキと無駄なく動くそのちょっとふっくらとした手によって身ぐるみをなんの躊躇いもなく剥かれてしまいました。


「く、クリスティーナ!?」


「巻きでご準備すると言いましたが?」


「い、言ったけれど………。」


 こんなにすぐに本人の許可なく一気にすっぽんぽんにするのはいかがなものなのでしょうか。

 ………世の中の周りのご令嬢はこれが当たり前なのでしょうか。それとも当たり前ではないのでしょうか?比較対象がいないので分かりませんね………。…………今日、アン辺りに聞いてみましょうか………。


「お嬢様、今日はもうお髪を染めなくてもよろしいですのよね?」


「えぇ、染めずに前髪も邪魔にならないように結っちゃってちょうだいな。」


 部屋に備えつけているお風呂の方に私を追いやりながらの質問に、私は満面の微笑みで答えました。


 お風呂の隣にはさまざまな瑞々しい摘みたてであろうお花がたくさん用意してありました。


「今日は薔薇がいいですわ。」


「承知いたしました。」


 クリスティーナのお返事と共に、今日の支度のお手伝いとしてお母様からお借りしている侍女が真っ白な薔薇をお風呂に浮かべました。


「お花は………みんなが好きなだけ持って行って構いませんわ。あまりは私がポプリにいたします。」


『ありがとうございます!!みんなで話し合って好きなのを持って帰らせていただきます!!』


 私とあまり年齢が変わらないであろうまだ若い侍女達は、嬉しそうに声を揃えました。

 ふふふ、本当に彼女達は可愛らしい方達ですわね。


「お嬢様、あんまり甘やかしてはいけませんよ。」


「分かっているから、あんまりお説教しないでちょうだい、クリスティーナ。」


「分かっているのならばよろしいのですが……。」


 くすくすと笑いながら言うと、クリスティーナは大きく溜め息を吐きました。

 溜め息を吐くと幸せが逃げるという迷信があるって言ったら、クリスティーナはどんな反応をするかしら?

 ーーー怒られそうだからやめておきましょう。


「クリスティーナはなんのお花が好きかしら?」


「お嬢様?」


 あらら、怒られちゃいましたわね。


▫︎◇▫︎


 お風呂を上がり、侍女に身体を拭いてもらっていると、今日着る凝った作りのドレスワンピースが目に入りました。


「………藍色じゃないドレスって久しぶりですわね。」


 ………今回はいつもお洋服を贈ってくれるニックに前回会った別れ際に酷いことを言ってしまったからでしょう、ニックがドレスを贈ってくれませんでした。


「………ニコラス殿下はこんなドレスを贈ってきて、独占欲丸出しですわね。」


 髪から湿気を拭き取っているクリスティーナが何かをボソリと呟きました。


「? クリスティーナ?何か言ったかしら?」


「なんでもございませんわ。お気になさらず。お嬢様。」


 含みがいっぱい詰まっているように見える笑みに、内心引き攣りながらも私は先程クリスティーナが何を言ったのかとても気になっていました。


「こんな可愛らしいレモン色のドレスなんて私に似合いますでしょうか……。」


 そう、今回のいつのまにか用意されていたドレスは、いつも着るドレスとは全く違った趣なのです。


「お嬢様なら、なにを着ても似合います!!」


 クリスティーナの娘であるカロリーナがキャキャっと言います。若いってお元気でいいですわね。


「お嬢様も私と同い年ですよ?」


「リーナは私が老けてるって言いたいのかしら?」


「いいえ?私が幼いだけですよ。」


 カロリーナは確かに童顔です。ですが、彼女の言っていることは的を得ているようで全く的を得ていません。


「カロリーナはもうちょっと人の心を上手に読めるようになった方が良さそうですわね。」


「えー!?お嬢様まで酷くないですかー!!昨日お母様にも同じことを言われたんですよー!!」


「あぁ、あと語尾を伸ばしちゃう癖を治す必要もありそうね。」


「うわあぁーん!!」


 私の容赦ない追撃にカロリーナは可愛らしく泣きまねをしました。


「大根演技も直した方がいいんじゃないの?カロン。」


 カロリーナと同期のフィオナにもグッサリと言われたカロリーナは泣きまねをやめて、床にガックンヘニャヘニャと崩れ落ちていきました。あらあらまあまあ、カロリーナは本当に表情豊かでダイナミックですわね。


「ほら、湿気はもう取れましたから、ちゃっちゃと立ってください。時間がもう足りないんですから。」


 クリスティーナが乳母の時から変わらない母親のような口調で、私を急かします。………座っているのは他でもない貴方の娘であるカロリーナの崩れ落ちて座り込んでいる所為なのですけれどね。


「ほら、一緒に立ち上がりますわよ。カロリーナ。」


「あぁ!おっきな輪っかと羽根が見えますー!!お嬢様はやっぱり天使ですー!!」


「ほら、口調!」


 またもや語尾を思いっきり伸ばしたカロリーナに叱責の声をあげてみました。

 まぁ、絶対に反省しませんでしょうけど。


「了解でありますー!!」


 ほら、ね?


「お・嬢・様ー!!」


「はわわ、分かりました、分かりましたから凄まないで、クリスティーナ!!」


「分かったのならばよろしいのですわね。」


 クリスティーナはにっこりと微笑みまそた。………恐ろしい笑みや、魔王の笑みっていうのはこういう笑顔の事を言うのではないかと私はこの時心の奥底から本気で思いました。

 だって、こんなに怖いんですもの!!


 立ち上がった私に、次々と下着からワンピースドレスまで全てが着せられます。


「ねぇ、やっぱり………。」


「無理ですよ。お嬢様はこれ以外にワンピースドレスなんて代物持っていないんですから。」


「あぅー。」


 可愛らしいレモン色のふりっふりのレースや大きなリボンの付いた幼いデザインのワンピースドレスに、着てみてから改めて大きな違和感を覚えた私は、クリスティーナに助けの声を上げましたが、一瞬で一蹴されてしまいました。本を読むために社交界になんて出たくないからという単純な理由から、必要分のみのドレスしか仕立てていなかったことが今更ながらに悔やまれます。


「じゅ、16歳でこのデザインはないかと思いますわ。」


「う~ん、そこまでおかしくはないかと存じますよ?こういうデザインは一応20歳まで着られますし。」


「そ、そういう問題ではございませんわ!!」


 半泣きで悲鳴を上げた私に、生優しい視線が侍女達から次々と注がれます。

 そんなにこの格好が酷いんですか!!というか、絶対に酷すぎますわよね!!痛々しいですわよね!?そもそも、私も着たくて着ているわけではございませんのよ!?


「お嬢様、今日はツインテールにいたしましょうね♪」


「イヤー!!」


 カロリーナのご機嫌な声とともに、ふりっふりの痛々しいワンピースドレスを身につけて涙目になっておる私は椅子に押さえつけられました。

 そして、いまだに諦められずに椅子で暴れている私は、クリスティーナによって目隠しをされてしまいました。


「見えなかったら気になりませんでしょう?」


「そ、そういう問題ではございませんわ!!」


「ほらほら、それ以上暴れたら強制睡眠魔法を使いますわよ?」


「ひぃっ!!」


 クルンクルンと魔力の蠢く気配に、私は息を詰めました。私の方が魔法における才能は上ですが、ここで眠らされてしまっては何をされてしまうか分かったものではありません。

 ……………言うことを聞いておきましょう。


▫︎◇▫︎


 シュルシュル


 私の目につけられていた目隠しが外され、目の前を見ますが、目の前からは鏡が消えていました。


「お化粧しますねー!!」


「………もうどうでもいいですわ。今日は笑いもの決定ですもの。」


 私の悲痛な声に、カロリーナがキョトンとした表情をしました。


「う~ん、今日は柔らかめな感じのお化粧にしますねー!!」


「好きにしてって言いましたわよ?」


 私は疲れがありありと感じられる溜め息を大きく吐きました。

 そして、それを聞いたクリスティーナが何故かくすくすとした笑い声を漏らしました。


「こんなひらっひらのドレス、この歳になって初めて切ることになるとは夢にも思っていませんでしたわ。」


「お嬢様はレースもリボンもあまり好んでいませんでしたものね。」


「人並みには好きでしたわよ?でも、吊り目な私には全くもって似合いませんもの。」


 私は幼い頃からのコンプレックスである吊り目を憎々しげに思いながら、憧れていた可愛らしいデザインのふりっふりのレモン色のドレスに視線を落としました。


「サファイア、かしら?」


「……………。」


 縫い付けられている宝石が青い石であることに気がついた私は、いつも身につけている青い宝石の色とあまり変わらないところから、サファイアであるとあたりをつけましたが、それと同時に宝石の名前を聞いたクリスティーナの表情が微妙になったことに気がつきました。


「どうしたのですか?クリスティーナ。」


「いえ、隠す気があるのか、と思っただけですからお気になさらず。」


「?」


 今日のクリスティーナはどこか変です。


▫︎◇▫︎


 着付けが完了した私の目の前に、大きな姿見が動かされました。


「これは、……………誰?」


 私の目の前には鏡に映った、どなたか存じ上げないご令嬢がいらっしゃいました。

 そのご令嬢は、ふりっふりのたっぷりなレースと大小沢山のリボンで彩られたレモン色のワンピースドレスを見事に着こなし、キラキラと輝く銀髪を、ドレスとお揃いであろう大きなレモン色のレースが縫い付けられ、端に大粒のサファイアがぶら下がっているリボンを使い、ツインテールにしています。細々なアクセサリーには繊細な細工が施されたサファイアが必ずと言っていいほど使われています。

 これはなんともまぁ………ゴージャスですわね。


「お嬢様ですー!!」


「えっと、本当にリアルな絵ですね。」


 テンパっている私は、カロリーナに対して的外れなことを言ってしまいました。


「現実逃避はよろしくありませんよ。」


 クリスティーナが冷たく言います。


「………彼女はどこのご令嬢ですか?」


「シャーロット・ローゼンベルク侯爵令嬢ですよー!!」


 カロリーナは現実を見事に叩きつけてくださいました。


「…………女性はお化粧で化けるって言うけれど、本当の化けるのですね。」


「ははは、お嬢様が化粧に興味ないからこんなことを改めて思うんですよー!!」


 カロリーナは楽しそうに言いますが、そもそも私がお化粧に詳しくないのは顔を隠せだの、顔がうざいだの、目が嫌いだのなんだの言ったお馬鹿サイテークソ野郎の所為ですからね!!断じて社交界に行くのや、ドレスやアクセサリーを身につけて着飾るのが面倒くさいからではありませんからね!!


「お嬢様、本日お嬢様がドレスや髪型で暴れることがございませんでしたら、私共がお嬢様のお支度をしている間、お嬢様は読書をできたのですよ?」


「そ、そんな……………。」


 にっこり笑って新刊の書籍を持ち上げたクリスティーナに、私は崩れ落ちました。


 なんと、いうことでしょう………。私は、私自身の手で自分の尊く幸せな読書時間を削ってしまったのです。こんな恥ずかしい幼い子供のような格好をするくらい読書のためであるならば、いくらでもできましたのに。何故クリスティーナは先に暴れなければ読書ができると教えてくれなかったのでしょうか………。


「…………私の、私の読書がーーーー!!」


「………本馬鹿。」


 カロリーナが私の悲痛な叫び声に何かぼそっと呟きました。

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