第9話


▫︎◇▫︎


 私、シャーロット・ローゼンベルクは今日、待ちに待った王宮司書としてのお仕事を開始いたします!!


 とは言いましても、特にこれと言った先輩司書様たちへのご挨拶などもなく、渡されたマニュアルを読んで仕事をしろと言うことでした。


 はぅー、ですがそれが私にとっては何事にも変えられない至福です。

 王城にあるといっても、宮殿内部にあるのではなく、回廊で繋がれて併設しているだけという国の中枢とも関わることのないゴタゴタに巻き込まれない幸せな空間!!あぁ!本当に、図書館とはなんと素晴らしいのでしょうか!!


「おい、新人!!マニュアルは読み終わったか!!」


 一応私の担当の先輩である司書様が、図書館ということもあってか、抑えた声で質問してきました。


「ご心配なく、もう3周は読んで一言一句間違えずに暗唱できますわ。」


「は?………これを、か?」


 先輩は、A4サイズの拳1つ分の厚さのある本を呆然と見つめながら問いかけてきました。


 私、何かやらかしてしまったのでしょうか?


▫︎◇▫︎


 2分後


「……………。」


 先輩は2分経った未だに無言で固まってしまっています。そろそろお声をかけても良いですわよね?


「あのー、先輩、何か問題でもございましたでしょうか?」


「大ありだわ!!」


「先輩、図書館ではお静かに。」


 大声で叫んだ先輩に、私は苦言を呈しました。


 先輩のせいでここに視線が集まってきたではございませんか。


 危うく口から飛び出しかけた文句をお口の中にしまい直して、私は防音魔法を無断で使用しました。


「防音魔法を使用いたしました。これで叫んでも問題ありませんわ、先輩。」


「はあ!?ちょっと待て、色々と待ってくれ!!たったの1時間でマニュアルを3回も読んだ!?しかも暗唱までできる!?そんでもって、いとも簡単に防音魔法!?冗談も休み休み言ってくれえええぇぇぇぇぇ!!」


「防音魔法があったとしても、その声量は常識範疇外ですわ。」


 あまりの声量にお耳がキーンクラクラとした私は、ジト目で先輩を見つめ、否、睨みました。



「はぁー、ひとまず1つずつ質問にお答えさせていただきますが、それでよろしいでしょうか?」


 困り切った私は、こんがらがって半狂乱になってしまっている先輩に打開策を提示しました。


「あ、あぁ、構わない。」


「では、1つ目、マニュアルについてですね。」


「あぁ、なぜ3回も読めたんだ?」


 人差し指をピコンと立てて揺らしながら言うと、先輩が心底不思議そうに顎を撫でながら首を傾げました。心無しか、目もきらきらと好奇心に輝いているように見えます。何故こんなにも本を読む速さに興味津々なのでしょうか?


「逆に聞きますが、マニュアルを1時間で3回読むくらいは簡単ではありませんか?」


 そう、そうなのです!

 私には何が疑問なのか綺麗さっぱり全くもって分からないのですわ。


「ちょっと待て!待ってくれ!!その本を1時間で読み切ること自体がおかしいんだよ!!」


 またもや常識外の声量でガツンと叫び声を下さった先輩をギッと睨みつけた私は、その後先輩の言った言葉を頭の中で反芻して、尚の事頭の中に大量の疑問符を浮かべました。


「はい?」


「いやいや、なんでそこできょとんとした表情をするんだよ!!」


 先輩は性懲りもなく、またもやキンキンなたっかーい大声を上げて叫びました。


「え?何を言っているんですか?というか、先輩こそそろそろ冗談を言うのをやめたらいかがですか?」


 私はもう疲れてきて溜め息を吐きながら、うざったそうに言ってしまいました。


「冗談じゃ、なあああぁぁぁぁぁい!!」


 はい、また叫びました。

 しかも、今回はブリッジ付きです。わぁー、豪勢ですねー!!床に倒れ込んだときに頭が鈍い音を立てましたが、大丈夫でしょうか?


「うるさいです。」


 まぁ、もう面倒くさいですが、一応苦言を呈しておきましょう。


「悪い。」


 …………先輩ってこんなに素直な方でしたっけ………?


「良いですわ。というか、私の読書ペースっておかしいんですか?」


 ひとまずあらかた予想はつきましたが、私の勘違いという可能性もないことはありませんので、聞いておきましょう。


「おかしいなんてものじゃないぞ。」


 声音に諦めを含んだ先輩は、項垂れながら言いました。


「そうですか。」


 やっぱり、と思って頷いた私は、またかーという認識でなんで誰も教えてくれなかったのだろうか、と思うと同時に、私なんかに誰も話しかけたくありませんわよね、という自己嫌悪に陥りました。


「………あっさりしてるんだな。」


 先輩は目を見開いてびっくりした後、静かな声音で言いました。


「私にとって普通ではないというのはよくあることですから。」


 けろりと言ったのは良かったですが、私は自分が自分で虚しくて悲しくなってきました。


「そうか…………。………シャーロット嬢はどこのご令嬢なんだ?」


「? ローゼンベルクですわ。」


 資料で私の名前は回されているはずですが………。

 首を傾げて先輩の方を見ると、先輩は壊れたように乾いた笑いをあげ始めました。


「そうか、そうだよな……。こんな規格外の化け物でシャーロットつったら、ローゼンベルクのご令嬢だよな、あははは、ははははは…………。」


「先輩が壊れた。」


 私のぽつりとしたつぶやきは、防音魔法をかけた図書館の入館者はもちろん、先輩にも届くことはありませんでした。


「先輩、2つ目の質問にお答えしたいのですが、」


 私は壊れてしまって未だに笑い続けている先輩に、冷たく言いました。

 流石にこんなのに付き合い続けるのにはもう飽きてしまいました。正直言ってうざったいです。先輩ではなかったら、氷漬けにしてしまっているところです。


「要らない。」


「分かりましたわ。」


 急激に壊れた状態から復活した先輩は即決しましたので、この茶番を早いこと切り上げたい私は無難に返事をして次の議題へと移ることにいたしました。


「3つ目は必要ですか?」


「………ねぇ、君が魔法師団の入団を蹴ったって言うのは本当なのか?」


 必要か必要じゃないかという質問の返答をせず、先輩は次の質問へと移っていきました。何故この先輩はこうも突飛なのでしょうか。


「えぇ、私は本に囲まれて過ごしたかったので。」


 目をまんまるにした先輩に私は無表情を貫いて言いました。これは紛れもない事実であり、私の心の奥底からある、絶対に曲げたくない本心です。私はなにがあろうとも本は絶対に手放しません。学園でも最低限の授業以外は永遠に図書室に篭り切っていた本好きの名は伊達ではないのですよ?


「お前って馬鹿?」


 やっと口を開いた開口1番に、先輩はそれはまぁ酷い評価をくださいました。


「………馬鹿と言われたのは初めてですが、まぁ、一般常識から言うと、私は馬鹿でしょうね。」


 ですがまぁ事実ですので、否定は出来こそしませんが、肯定はできますので一応肯定しておくこととしました。


「だよな。」


「えぇ、騎士団や宰相、外交官などのお誘いも蹴りましたからね。」


 大量の大人に『我が所属になってくれ!!』と土下座された遠い日のことを思い出し、私は乾いた笑いをはははっと浮かべました。本当にあれは悪夢でした。


「………そんなに誘われてたのか?」


「まぁ、私は知りませんでしたが、他国の王族からの求婚もあったらしいですよ。」


 何故かここで左胸にクサッと精神的に何かが刺さった私は僅かに首を傾げながらも、先輩の返答を待ちました。


「それも蹴ったのか。」


「えぇ、国王陛下方をはじめとした重鎮とお父様が蹴ったらしいです。」


 やれやれと肩をすくめて言えば、先輩はもう疲れたと言わんばかりに大きな溜め息をつきました。


「………他国との繋がりを得るより、君を失う損失の方が大きんだな。」


 溜め息の後に呟かれた言葉に、私は心の底から疑問符を浮かべました。


「私からすれば、逆ではないかと思うのですけれど…………。」


 だって女は基本的に道具です。

 ローゼンベルク侯爵家が特殊なだけであって、よくある王侯貴族の家系では女はお金が足りなくなれば、お金がある家に嫁がせるという名目で売られ、高い魔力があれば飼い殺される、もしくは高い魔力を持つ子供を産むことのできる母体としてこれまた他の貴族家や王族に売られます。

 女は基本的に男と違って国に尽くすのではなく飼い殺されたり売られるものです。

 ですから、女に基本的に使えるところで惜しげなく使い、その使う中でもっとも利益があるところで使うのです。ですから、私は他国に売るのが正解だったはずです。


「うん、君はこの国から出しちゃいけない類の化け物だね。」


 先輩は一般論をなんの疑問を持たずに言い切った私に対し、疲れたような声を漏らしました。


「………あまりに酷い物言いですね。」


 彼は私を何だと思っているのでしょうか。


「そのくらい化け物だってことだろ。」


 じとっとした私の視線に、同じくじとっとした視線を返してきた先輩はまた、何食わぬ顔で私を『化け物』呼ばわりしました。


「………いい加減その化け物っていうのやめてくれません?」


 不愉快です。


 とまで言いたかったところをぐっと我慢し、殺気を含んだ目で先輩を睨みつっけました。


「無理だな。」


「…………即決されると悲しいのですが。」


 飄々とした態度で殺気をいなしながら即決されると同時に、最初に彼が名乗っていなかったことを思い出した私は、彼が何者なのかをあらかた頭の中で理解しました。


「そうか。だが、それが君の実力だ。」


 優しい視線を私に向けながら、先輩はぶっきらぼうに言いました。


「左様ですか。」


「あぁ。」


 ぽつりと呟いた先輩に、意趣返しとして私は、彼に名乗ってもらうことといたしました。


「先輩、お名前を聞いてもよろしいでしょうか。」


 苦笑いをした彼に、私は敬意を表するような真っ直ぐな視線を向けました。


「いつ気がついたんだ?」


 先輩は名乗ることなく、私が本当に気がついているのかを試すことにしたらしく、名乗ってくださいませんでした。まぁでも、名乗ってくださらないのならば、名乗らなければいけない状況に持っていくまでです。


「違和感を持ったのは出会い頭です。」


 私は隠していたつもりであろうことをずけずけと言ってのけることにしました。だって、彼が言ってはいませんけれど、言えと言っている気がしたんですもの。


「………どうしてだ?」


「歩き方に全くのブレがなかったからです。」


 そう、先輩の歩き方は惚れ惚れするほどに重心のブレがなく、とってもとっても綺麗なのです。

 天井から糸で吊り下げられているかのように真っ直ぐに伸びた背筋、一切の無駄のない完璧な重心分散のなされた足運び、指の先まで神経が行き届いているのことの分かる歩き方は、剣を握る人間からすれば、憧れるなと言われることが酷なくらいに、本っ当に綺麗なのです。

 そして、現、近衛騎士団団長の娘にして物心つく頃から剣を握っている私もその憧れを抱く人間の1人なのです!!


「……それで?確信を持ったのは?」


 キラッキラとした目をしているであろう私に、面倒臭そうな表情をした先輩は面倒くさそうに尋ねてきました。


「先程の私の殺気をいなしたときです。」


 あまりの言いように、思わず殺気を込めて睨んだ時のことを頭に思い浮かべながら、私は言いました。

 先輩は私の殺気を浴びてなお、ずっと飄々としていましたわ。


「ふ~ん。」


 面倒臭そうな表情はそのままに、瞳に面白そうな色を宿した先輩は、どうでも良さそうな返事をしました。


「私の殺気を浴びれば、大抵の場合怯えて縮こまりますが、先輩にはそれがありませんでした。何より、私がローゼンベルクのものであると知れば、大抵の場合は私を怒らせないように行動をします。先輩は、全くもって私を怒らせることを恐れていませんでしたよね?」


 どんどんと追い詰めていっているはずなのに、追い詰めている気がしない、本当に不思議な先輩です。


「あぁ、そうだな。俺にとってはお前の殺気なんぞ全く怖くもなんともないよ。」


 にやりと笑った先輩に、私はむすっとした表情を返しました。


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