第22話

 そして、ほんの数十歩歩いた先に怪談トイレはあった。


 昼間でも相当怖い怪談トイレは、夜に来ると余計に怖い。死にそうなほどに、である。



 もはやここまでくると、決意と覚悟を決めたムシロであっても、ガチガチと歯をぶつけ手足も少し遠目から見ても分かるほど震えていた。



「オバケより怖いもの……、オバケよりも怖いもの……」


 ぶつぶつとそんなことを呟いているが、ムシロは一体何を言っているのだろう。


 ここは「オバケなんか怖くない」と繰り返すべきだと思うが。

 ゆっくりと震える足で、一番奥の個室へとようやくたどり着いたムシロは、ライトに照らされる洋式便器を見て、気絶しそうになる気持ちを引き締めた。



「か……、カリスマ……」


 自分の恐怖心勝つため、ムシロは声を出した。だが、その頼りない声が、余計に場面を怖くさせる。


 今にも白目を剥きそうに強烈な恐怖の表情をぶら下げたムシロは、ガチガチとぶつかる歯を強く噛み締め、心を落ち着かせようと努めた。



「大丈夫大丈夫……、オバケより怖いもの…… オバケより怖いもの……」


 目をつぶると余計に恐怖から逃れられなくなると思ったムシロは、目を見開いたままだ。

「オバケよりも怖いもの……、友達を失くすこと……!」


 震えていた唇を結び、白目を剥きそうだった目で便器を睨んだ。


「カリスマー! トイレのカリスマー! 出てこーい! カリスマオバケー!」


 おっおう……。どうやらムシロはトイレ飯をオバケの一種だと思っているらしい。


 エクボのキャラからすると、生身の人間と交流を持っているとは思わなかったらしい。


 エクボを知っているからこその解釈だろうが……、なんというか複雑である。


「ぅおらー! 出てこいカリスマー! おらー! オバケなんて怖くねぇぞー!」


――全く、乱暴な兄妹である。

 だが、今は夜である。


 エクボがトイレ飯とコンタクトを取っていたのは、昼休みの40分ほど。一度例外的に放課後にコンタクトを取ったことがあるが、それっきりである。



 普通に考えて、昼間や放課後にここにいたとしても、夜にトイレ飯がいるなんてことは到底考えられない。



「カリスマー! エクボを助けろよ! なんか、なんかあんだろちくしょー!」


 ガシガシと戸を蹴り、便器を叩く。


 いくらオバケを呼んでいるつもりでも、こんなに騒がしくされれば、出てこれないか呪われるかどちらかだ。

 5分ほど、騒々しく奥の個室で暴れたがなにも起こらなかった。


「…… カリスマ」


 なにも起こらない個室に、ムシロは最後に小さく呟いた。


「くそぉ……!」


 最後に一発、ドアを殴りムシロは悔しさに唇を噛み締める。


 命に別状はないとはいえ、エクボは殺されるところだった。退院しても、犯人が捕まっていないとなれば、エクボはもう登校することも出来なくなるかもしれない。


 それに何時来の無念も、なにも晴らせないではないか。

 自分が無力だというのは自覚していたつもりだ。


 だから、エクボや貉と一緒に立ち向かおうとした。頭を使えない自分なら、体を使えばいい。


 エクボから知恵を、貉からは情報を、そして自分は行動を。



 このうちひとつでも欠けてはいけない。


 欠けてはいけないのに、欠けてしまった。自分が1人で旧校舎に行かしてしまったから。



 ムシロは、次第に自分を責めるようになっていた。


 あんなに怖がっていたオバケに縋るほど、覚悟を決めたのに。

「なのに……、なんでだよくっそぉ!」


 もう一発、ドアを殴ると女性の力ながら少しへこんだ。


「……」


 いつの間にか恐怖もなくなり、同時に彼女の希望の光もなくなりそうだった。


 そんな気持ちのまま、怪談トイレを去ろうと三歩ほど歩いた時。



『ガタン』



 なんの音かと振り返ると、さっきまで誰もいなかったはずの個室が1人でに閉まったのだ。

「騒がしい奴だな。お前はエクボの友達というやつか?」


 個室から声。これはまさしく、トイレ飯の声であった。


「ひ、ひぃぃいい!」


「おい、こんな時間に呼び出しておいてひぃいいいはないだろう!? それはそうと……、俺は『トイレのカリスマ』だなんて恥ずかしい名前で呼ばれているのか?」



「ひぃぃいい!」


「…… まぁいい。とにかく隣の個室に入れ。話はそれからだ」


「ひぃぃいい!」


 

 ひぃぃいい! ばかりで話が進まないので、トイレ飯は「あーもう! いちいち怖がるな! 俺は幽霊とか妖怪とかそういうやつじゃない!」とうざったそうに言った。



「…… え? オバケじゃない?」


「違う」


「あ、じゃあそういうことなら」


 ムシロはあっさりと納得すると、言われるままに隣の個室に入った。オバケじゃないと分かるや否や……。現金なものである。


「あのさ、カリスマさ……」


「待て」


 話し始めようとしたムシロをトイレ飯が一声にて止める。

「な、なに?!」


「…… おかずは、あるんだろうな?」



 ムシロの代わりに私が答えよう。あるわけがない……、と。

「あいつ……、大丈夫か? 俺はどんな奴にも勝てる男だが、唯一勝てないものはオバケ! それにゾンビ、あと妖怪とか幽霊とか」


 おおう、結構いっぱいいるではないか。


「しかし、俺は妹を置いてはいかない鉄の男・喧嘩最強の鍼埜貉! どっからでもきやがれ!」


 その時、落ち葉に足を踏み入れたような音がした。


「ィヒ!」


 変な悲鳴と一緒に振り返ると、そこには白い影が……。


「アッピャァアア!」


 もうひとつ変な悲鳴を上げると、貉は……。

 あ、あれ……? 失神した!


 白い影を追ってみると、…… ビニール袋であった。


――よく似た兄妹である。




 貉がかなり早い段階で気を失ったおかげで、ムシロがいくら騒ごうが貉が駆けつけることは無かったのだ。


 さすが鉄の男・鍼埜貉。




「で、あんた誰なの?」


 物語に確信触れる、且つ一番最初に聞いてはいけないフレーズナンバー1をムシロはいきなり口に出した。

「それな、俺に対して聞いちゃいけないフレーズランキング不動の一位のやつだ」


「ねぇねぇ誰なの誰なの! 生徒? 先生? 絶対オバケじゃないよね!」


 いい感じに妖怪じみた雰囲気ではないトイレ飯の喋り方に、真っ暗な怪談トイレの中でも、ムシロはリラックスすることができた。



「……、帰るぞ」


「ああっ! ごめんごめん! えっとさ、聞きたいことあるんだけど……」


「エクボのことか?」


 なにも言っていないのに、トイレ飯はムシロに尋ねた。今まさにエクボの名を言おうと思っていたムシロは思わず言葉を失う。

「な、なんでわかんの!? …… あ、もしかしてあんたがエクボを!」


 勝手に自己完結させると、語尾を怒りの色を含めて便座から立ち上がるムシロ。


「こらこら、なんでそうなるんだ。俺はこのトイレの主だぞ、知ってて当然だがエクボを襲う理由はない」


「…… う、それもそっか」


 こういう時に単純バカは助かる。なぜなら話が早いからだ。(トイレ飯の気持ちを代弁したつもりである)


「じゃあさ、じゃあさ! エクボを襲ったのって誰!?」


「直球で聞くな。なるほど、エクボがお前と仲がいいのもわかる」

 トイレ飯の言葉にムシロはまたも固まった。


 エクボもムシロも、全く性格も人も違うのに、トイレ飯に掛かれば二人とも同じように手玉に取られてしまう。


 それを冷静に見てみれば、意外とムシロとエクボは本質的には似ているのかもしれない。


――いや、そういうことではなくトイレ飯のカリスマ性に寄るところなのかもしれない。



 そう考えた時、エクボがノリで名付けた『トイレのカリスマ』というのは理に適っているのかもしれなかった。


「だが、分かっているな? 今回エクボを襲った人間が、即ちこの事件の真犯人だと」

 トイレ飯の言葉にムシロは頷きと共に「うん」と答える。


 トイレ飯は「ふふん」と笑うと、「ではヒントをやろう」と言った。



「なんだよヒントって! 教えてくれるんじゃないのかよ!」


 期待していたものと違う答えに、ムシロは声を荒らげる。これで解決するするものと思っていたからだ。


「エクボにも言ったが、事件そのものはお前たちで解け。そして、俺はそのキッカケしか与えない」


「勿体づけんなって! これだから頭のいい奴は……」

「悪かったな。頭が良くて。だが、これは意地悪で言っているんじゃない。俺は平穏を求めているんだ。本来、俺はお前たちの【世界】に介入するつもりはないんだ」


「でもエクボにも色々教えたんだろ?」


「なにも教えていない。助言をしただけさ。ただ、お前もエクボも俺に頼み込んだ願いの内容は一緒だ。エクボの願いは叶えてやったが、お前の願いはまだ叶えてないな」


「願い……?」



「ああ、《友達を助けたい》だよ」


「……!」


 ムシロは、エクボが自分を救いたいがためにここに来たのだと知った。そして、それを知ったことで更に決意は固まる。

「教えてよトイレのカリスマ! ヒントでもなんでもいい、あっちがエクボを救えるたった一つのことを!」


「よろしい。ならば教えよう。そして、この答えに辿り着いた時……。後は俺に任せろ」


「え!?」


 ムシロが返事をしたと同時に、トイレの上部から何かが飛び、それはムシロの手元に落ちた。


「これって……」


「俺のヒントで、お前が正しい答えに辿り着けたなら、それを使え。そこから先は俺が片付けてやろう」


 狼狽えるムシロを余所に、トイレ飯は最後に言った。


「この謎は、きっとお前にしか解けない」

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