第21話

「どうした! どうかしたのか?!」


 ムシロが階段を下りていると、下の階から斜三三が血相を変えてやってきた。


「用務員のおっちゃん……、救急車呼んで」


「なんだ、どうしたんだ!? …… その子は、洒落頭さんか?!」


「いいから、救急車呼んでよ! エクボが、あっちの大事な大事な……、めっちゃ大事なダチが死んじまうだろ!」


 必死に泣き叫ぶムシロに、斜三三は「わかった!」と返事を返すと急いで降りていった。



「絶対、絶対死なさせねーから……。死なさせねーからな!」


 よろよろと、だがしっかりとエクボを背負いムシロは階段を一段ずつ降りてゆく。


 涙でぐじゅぐじゅにしながらも、眼差しだけは真っ直ぐ、強い。



 ムシロが一階の階段に下りた頃、救急車のサイレンが遠くから聞こえてきた。





 辺りはすっかり暗くなり、ムシロがエクボの病院から出たのは夜の20時を超えていた。


 病院を出たところで待っていた貉は、「どうだったエクボは?」と尋ねる。



「まぁ……、なんとか大丈夫。命は別状はないけど、思いっきり頭殴られてしばらくは退院出来ないって」


「意識は?」


 貉の問いに、ムシロは黙って首を横に振った。


「……、そうか」

 貉もそれ以上は詳しく聞かなかった。


「エクボが寝たまんまじゃ、こんなことお前に教えても仕方ないと思うけどな」


 そう前置きをした上で、貉は事件について得た新しい情報を告げた。



「羽根塚由々実からかなりの量のアルコールが検出された」


「え!?」


「そうだ。お前と同じ、おそらく直接注射されたんだろうな。3階から飛び降りた時、酔っぱらってまともな状態じゃなかったみたいだ」


 二人の間に沈黙がゆっくりと横切ってゆく。

「エクボを襲ったのは?」


「わかんない。エクボに意識が戻らないと」


「そうか。そうだな」


 もう一人、沈黙の通行人が通り過ぎ、それを待つように貉は、修理に出しているオデッセイの台車である軽自動車を指さし、「乗れよ」と言った。


 無言で頷くと、ムシロは車に乗り込む。





「…… あ」


 しばらく車を走らせたところで、ムシロはあることに気付いた。

「どうしたんだ?」


「エクボのカバン持って帰ってきちゃった!」


 ここまで自分がカバンを二つ持っていることに気付かなったムシロは、自分の間抜けさを呪いつつも、どうするべきか考えた。



「なんか急いで必要なものとかあるのか?」


「ううん、多分教科書とかくらいしか入ってないから明日でもいいんだろうけど」



 病院にはエクボも母親も来ていた為、カバンがないことでなにか不都合があると思えなかったので、緊急的にこれを返さなければならない、ということはなさそうだ。

 それでもなにか大切なものが入っていては困ると、エクボのカバンの中身を確認するムシロは、エクボがいつも肌身離さず持っていたタブレットを見つけた。


「あ、これ……」


「ん、なんだ。スマホ板か(タブレットという名称を知らない)。それこそ別に今いらないだろう」


「まあそうだね。だけど……」



 人の物を勝手に見るということに抵抗のない、RPGゲームにおける勇者的性格のムシロは、ずかずかと勝手にタブレットの中身を閲覧する。


「イメージ通り呪われた感じだな」


 貉が苦笑いする。

 それもそのはず、エクボのタブレットは天塚ミゲルが声をあてたキャラが集合しており、なぜかそれを紫と黒のおどろおどろしい背景が支配している。


 しかも、大きく『ミゲルのためなら死ねるし、人も殺せる』と超危ないことが書いてあった。



「うん……、まぁ……、趣味は人それぞれ……、だから」


 若干見たことを後悔しつつも、なにかと神経質なところがあるエクボだから、なにか記録していないかと画像フォルダを開いた。



「ん、なにこれ?」


 画像フォルダに意味不明なものがあるのを、ムシロは見つけた。

「もしかして、これ怪談トイレ?」


 口元と目元がひきつる。


 一体なんというものを撮ってくれているんだ! ムシロの心はそう叫んだ。


 大の怖がりであるムシロにとって、その画像ですら冷や汗が溢れ出すほどに怖い。



 だが、それ以上にムシロの気を引いたことがある。


「兄ぃ、これなんのことだかわかる?」


 貉も録路高校出身者だ。


 怪談トイレの画像を見せると、貉も首をひねった。

「なんだ? ……『トイレのカリスマ』?」


 そう、二人が気になったのは怪談トイレの画像ではない。


 怪談トイレの画像に差し込まれた『トイレのカリスマ』という文言のことである。



「この写真自体は確か……、怪談トイレだよな? 怪談トイレに現れるのって『四番目の隣人』だろ」


「……」



 ムシロは思い返す。そういえばエクボは毎日、昼休みに必ず怪談トイレに行っていた。


 当時は、気味の悪いところで食事をするものだと、そのくらいにしか思っていなかった。


 エクボの性格からすると、そのくらいは不思議なことではないからだ。



 だが、今となって考えてみれば、なぜわざわざ毎日そんなところに行っていたのか。


 なにか理由があったのではないかと思った。



 それに、この『トイレのカリスマ』という文字……。


 よほどなにかの想いがなければそんな文字はいちいち画像に書かないのではないか。


 それは、画像フォルダに収められている他の画像が物語っていた。


 数ある写真・画像の中で、わざわざペイント機能で文字を入れているのは怪談トイレの画像のみ。


 しかも撮影した日は……。



「今日、だ」



 ムシロは、一生でこの時が一番思考をフル回転させたと言っていいだろう。


「ムシロ?」


 そして、しばらく考えを張り巡らせた結果、とある結論を導き出す。


「兄ぃ! 録路高校に向かって!」


「は!?」

 突然のムシロの申告に、貉は動揺し運転中なのにムシロを向いた。


「ちょ、兄ぃ前! 前!」


「お、おお……、それよりお前、なんでこんな時間に学校なんて」


「いいから、大事なことなの!」


「お前、分かってんのか事件の現場で、今日エクボが襲われたところなんだぞ!? 大体学校に何の用があんだよ!」


「怪談トイレに行く!」


 思わず貉は「はぁ!? なに言ってんだお前! 馬鹿か、馬鹿の煮っ転がしか!」と訳の分からない罵倒を差し上げた。


「いいから兄ぃは帰ってろよ!」

 不機嫌な顔で、貉は「帰れる分けねーだろが! なんだよ、言えよ! なにしに行くんだ」、そう叫ぶ。



「事件を解くカギになるかもしれないことしに行くんだよ!」


「なんだよそれ今じゃなきゃダメなのか」


「そう! 早く! ハリアップ!」


「(針灸?)」


「急げって言ってんの!」


 貉はムシロの鬼気迫る注文に「ああ、もう!」と叫び、頭を掻いた。


「俺もついていくからな!」


「シスコン野郎!」

 シスコンと言われたムシロは涙を流して悔しがりながら、急ハンドルを切った。


「ぐすっ、捕まってろよバカ妹!」


「お兄ちゃんのことなんか全然好きじゃないんだからねっ!」


「てめー! それ言ったんだからちゃんとデレろよ!」


「キモっ」


「うえーん!」


 危ないと言ったのに、涙で視界の滲んだ貉は、台車のミラーを擦った。

 真夜中の録路高校。


 校門の前には、貉とムシロの兄妹の姿。


 夜の校舎というものは、誰もが思い描く恐怖を具現化したものだといえる。


 なぜならば誰もが、イメージする一人で決して入りたくない場所であるからだ。



 特に、ちょっとしたことですぐに失神するほどのビビりであるムシロにとっては、それは顕著だといえる。


 その恐怖の魔城である夜の学校を前にして、ムシロは校門を乗り越える。


 それを見上げながら貉が「俺、一応警察なんだけど……」と、やんちゃに飛び越えてゆくムシロを見守った。

 さて、ここで疑問に思われる方も多いだろう。オバケっぽいなにかを見ただけで(主にビニール袋)気絶しちゃうほどのビビリ属性であるムシロ。


 そのムシロがなぜ、夜の学校に入っても平気なのか。


 ムシロの心の内を覗いてみようではないか。



――ぐぅコワ……! ちょっとでも気を抜くと失神しそうだ。


 怖い怖い怖い怖い……! 夜の学校なんて変態しかこないだろ! 怖いよぉ~!



 ……とまぁ、ムシロの心の中は恐怖一色だった。


 それなのに、ムシロは震える足をグーで叩いては、歩みを旧校舎に向けて進める。

「おいムシロ! 警備員とかに見つかるって!」


「見つかりたくないから早く着いてこいっての!」


 貉はムシロほどではないにせよ、かなりのビビリ属性である。兄妹でよく似た二人なので、皆さんご想像通りなのではなかろうか。


 校門から本校舎を通り、旧校舎に行くには斜三三の居る用務員室を横切らなくてはならない。


 ここがなによりも要注意ポイントだ。


 だがそこは悪ガキというか半分ヤンキーギャルであるムシロ、とっくに攻略済みである。



「兄ぃ、こっち」


 ムシロが振り返ると、貉がいない。

「知ってるよ。お前、俺を誰だと思ってる」


 貉は既にムシロの前に居た。


 このエピソードは特に今後書く予定もないので、軽い感じで流すが、貉は録路高校在学中喧嘩最強と言われていたとかなんとか、まぁそんな感じ。



「……。なんか、今すごく雑な扱いを受けたような気がするんだが」


「は? なに言ってんの? いつものことじゃん」


「……」


 まぁ、そんな感じ。


 旧校舎の前まで着くと、真っ黒な窓ガラスたちを見上げムシロは息を飲んだ。


 心臓が破裂しそうに鼓動を打つのに、冷たい汗ばかりが背を伝う。


 それは恐らく兄である貉も同じだろうが、彼はそれを一切口にしなかった。


 表情にはでていたが。



「…… よし、行こう」


「ほ、本気かお前!?」


「兄ぃはここで待ってて」


「ばっ、バカ言うな! 妹置いて一人で行かせられるかよ!」


 

 訳すと、『俺を一人にするな』ということらしい。


「わかった。じゃあ、着いてきて」


 決意と覚悟を、空気と一緒に大きく吸い込むと、息を止めたまま旧校舎に入ってゆく。



 真っ暗な旧校舎。本校舎も相当怖いが、築が古いおかげでその怖さは本校舎の非ではない。


「スマホのライトアプリ……」


 スマホを取り出す手も震えている。やはり怖い。怖くて今にも心が折れて叫んでしまいそうだった。


「兄ぃ、あっちと一緒に二階まで登ったら踊場で見張ってて。トイレにはあっちひとりで行くから」

「はぁ、ひとり!? お前大丈夫かよ」


「なんかあったら叫ぶから、そん時は絶対すぐ来てよ! 絶対だかんね!」



 貉はムシロととてもよく似た状況のようだった。


 逃げたいけど、逃げられない。


 妹が覚悟決めているのに、自分が決めないなんて有り得ない。…… そういう表情だった。



「…… 怪談トイレ」


 二階の踊り場で貉と別れ、単身曰く付きの【怪談トイレ】へと近づいてゆく。


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