第9話

「信じてやれ……? ムシロをですか」


「違うよ。自分を、だ」


 そう言ってトイレ飯は、個室から出ていった。



「……」



 エクボは、弁当の箸をしっかりと持ち直し、ガツガツと弁当を食べ干した。


 そして、ハンカチで弁当箱を縛ると立ち上がり、怪談トイレから出る。彼女のその眼は、なにかを決めた者の、強い眼差しだった。



「……ムシロ」


 自らの決意を確認するように、エクボはムシロの名を一度だけ、口にした。

 と、いうわけでエクボは早速、由々実に話を聞こうと保健室へとやってきた。


 一度ノックをし、ドアを開けるが保健室に人の気配はない。


「あのー……」


 声をかけてみるが、反応は無かった。由々実は保険医だから、大体この部屋にいるはずだ。


 だが今は昼休みの後半である。ある意味いないのは当然といえば当然……。エクボは一人納得した。


「あっれぇ? どうしたの~? ポンポン痛くなっちゃった??」


 背後から不意にかけられた声に、エクボの目玉が漫画さながらに飛び出した。

「あ、あのあのあの…… その、聞きたいことが、あの、あって……」


 突然驚かされたことに動揺し、エクボは普通に喋られなくなってしまった。


「ん~?? 初めて見る顔ぉ。どうしたの? サボり? 腹痛?」


「そうじゃなく、って…… あの、《アヤカシユメカゲ》のこと……」


「え!?」


 由々実の顔つきが急に変わる。分かりやすく怪しい……といえばそれまでだが、分かりやすいとは言っても、妙な迫力があった。


「なに? なんの話をしにきたの」


 さきほどまでの語尾を伸ばすような甘えた口調は消え失せ、エクボのことを侮蔑的な目で見下ろして尋ねる。


「え、あの……ちょ、朝礼に……遅れてたから……」


 エクボの額から冷や汗が吹き出し、次になにを言えばいいのか混乱して分からない。


 人が苦手なエクボには最も苦手なタイプが由々実であり、その苦手な由々実がそんな表情で自分を睨んでいるのだ。穏やかでおれるわけがなかった。


「おかしなこと聞くのね。朝礼に遅れたらあのペンキの犯人にされるわけ? マジで洒落なんないんですけど」

 エクボをバカにするように笑い、頭の上からドアに手をかけ、「まぁ、どういうつもりできたのか話聞こうじゃない。入って」とエクボを招こうとした。


「え、あ……はい」


 おどおどとしながら、由々実の言う通りに従おうとした時、「あんた、どこのクラス?」と訪ねてきた。



「あ……その1-C、洒落頭 エクボです……」


「洒落頭……!?」


 声を上ずらせて由々実はエクボの名を反芻し、エクボが何事かと振り向く。


「羽根塚先生?」

「な、なんでも……ない。話はまた今度聞くわ」


 逃げるように由々実はその場から早々と離れてゆく。


「あ、羽根塚先……」


 エクボが呼び止めようとするも、由々実はあっという間に背中を小さくしていくのだった。


 勇気を振り絞って由々実に話を聞きに行ったエクボは、決意も虚しく何一つ実のある話が出来なかったことに落ち込んでいた。


 落ち込んでいたというか、話云々よりもビビッてちゃんと話すら出来なかった自分を呪いたいくらいだった。


「自分を自分の呪いフォルダに書くわけにもいかない……よね。くくく」


 君の笑いはそのままに、これは彼女なりの苦笑いと言う奴だそうだ。


 この落ち込みと言うのは、中々後を轢き、放課後になっても彼女を悔やませる。


「ちゃんと聞けない……本当に私ってのはゴミクズ以下。ううん、微粒子ソフラン(アニメの設定)の1粒子よりもどうでもよい存在なの」

 怪談トイレの前で呟くと、奥へと入ってゆく。案の定、トイレ飯はいない。


「なんで昼しかいないの……」


 え? そりゃトイレ飯だから……昼しかいないのは然りだ。まさかこんな内角低めからの球を投げられるとは思っていなかったので、比較的しょぼいリアクションしか出来なかったが悔やまれる。


 トイレ飯のいない個室の便器を見詰めながら、エクボはめそめそ泣いた。若干気味の悪い感じで、泣いた。


 もはやエクボがまともに話せる相手といえば、用務員の斜三三とトイレ飯しかいない。


 自分の友達のいなさに絶望しながら、タブレットの中にいるゲームアプリの友達(電脳の)ばかり見詰めた。

 ぐすん、と鼻を啜りトイレ飯の便器に腰を下ろし、エクボは呟く。


「やっぱり、私には無理だよぉ……。ごめんね、ムシロ」


 えぐ、えぐ、と泣き嗚咽が更に激しくなる。このまま放っておいたら、えぐ、というしゃくりと一緒に膵臓とかが威勢よく飛び出すのではないだろうか。


 友達が極端に少ないエクボの、少ない友達……ムシロ。なんだかんだで何時来にいじめられていた時、なんとかしてやめさせようとしていたムシロに、エクボも気付いていたのだ。


 結局、放っておけない単純でわかりやすい性格は変わっていない。優しいムシロのままだ。


 そんな風にエクボは思っていた。


 だからこそ、なにも出来ない自分が歯痒い。


「友達なのに……!」


 膝の上に置いた掌を拳に固め、エクボは独りで泣くしかなかった。





 しばらくして、泣き疲れたエクボはゆらりと便器から立ち上がると、ここにいてもどうしようもないので個室の外へ出た。


 エクボがトイレを出ようとしたその時だった。


 トイレ飯の個室ドアが閉まる音がしたのである。


「えっ……!?」

「全く、いったいいつどくのかと思った。あのな、お前…… 長い」


「ト、トイレ飯……さん!?」


「トイレ飯っていうあだ名にさんを付けるとは、おっさんさんって言ってるようなものだ」



 エクボが「あたふた、あたふた」と言っていると、トイレ飯は「いいから隣の個室に座れ。そういうルールなんだ」などと言った。


 そんなルールあったんだ。


 私とエクボの心のツッコミが同時に炸裂したのは内緒である。


「……それにしても、どうやってそこに入ったんですか」


 どう考えてもおかしいトイレ飯の登場に、エクボはこれを聞かないわけにはいかなかった。


「仮面ライダーとか変身するまで敵は攻撃しないだろ」


「最近はします」


「……そうか。じゃあ、プリキュア的な奴でいいや。変身するまで待ってくれるだろ。あれと同じだ、ほら…… 聞かない約束」


 エクボはふんっ、と鼻で笑った。


「え、嘘。鼻で笑ったよね」


 放課後の怪談トイレ。昼休みでもないのに、トイレ飯がいる。


 このシチュエーションだけで、エクボはまた勇気づけられた。折れかけた心がなんとか立ち直ったのだ。



「明日のおかずは奮発しろ。それで大目に見る」


「分かりました! ちりめんじゃこにします!」


「それ絶対バラバラ落ちて全部食べ切れないやつよね。ていうか、奮発出来てなくない?」


「なに言ってるんですか。最近塩干ものは値段が上がって……」


「もういい。とにかく、奮発しろ。なにするかは任せる!」


「(勝った)……わかりました。ありがとうございます」


「で、なにか進展はあったのか」


 個室越しに尋ねてくるトイレ飯に、エクボは少し無言になってしまう。


「呼んでおいて無言とは、言葉のカンフーマスターか」


「あ、いえ……。どちらかといえば少林拳です。あの、また自信なくなっちゃって」


「え、自信なくなるの早くない? あれって昼だったよね」


「くくく」


「だからなんで笑うんだよ!」


 エクボは安心した気持ちを笑いで表現したつもりだった。それを察しているのかいないのか、トイレ飯も追うことはない。


 そして、エクボは昼休みからの出来事を話し、自分にはやっぱりムシロをどうにかしてやれるだけの手段がないのでは、と弱音を口にした。



「ふむ。お前の弱音の件は置いておいて、だな。その羽根塚という教師における、お前への態度は気になるな。特に《アヤカシユメカゲ》についての反応……。確実になんか知ってる感じだ」


 そこまで言うとトイレ飯は、「保健医……か」と呟いた。



「それと、なんで私の名前を聞いて急に離れたのかな」


「それは知らんし、関係もないだろう。多分」

 ああ、そうですか。と、エクボは捨て台詞のようなトイレ飯の一言に黙った。


「酒が飲めないのに強いアルコール反応のあった女と、保健医の女……」



 ただトイレ飯の言葉を聞くことしか出来ないエクボは、トイレ飯がどんな意見を出すのか、生唾を飲み込んで待った。



「例えば、こんな話がある」


「え?」


 少し拍を置いて、トイレ飯は話し始めた。


「とある男が、酒を買う金も無くなった」

「酒? 金?」


「まぁ、いいから聞け。男は酒を飲めないことよりも酔えないことを悲観した。手元にある酒も少ししかない。それで酔うことは不可能だと思った」


 酒を飲んだこともないエクボにはピンとこなかったが、一口や二口で大人は酔うことが出来ないのだと知った。


「ある日、男は注射器を手に入れる。成り行きでもらっただけなので、使い道なんて内容に思っていた。……が、男は突然閃いたんだ」


「えっと、もしかして……」


「そう、少量の酒で確実に酔う方法……注射さ」


 馬鹿げた話のようにも思えたが、エクボのその思考を保健医である由々実の白衣を重ねた。

「そんな……でも、注射だなんて!」


「普通じゃ有り得ないよな。けど、そもそも夜の学校で酒を飲もうだなんて思いつくJKなんているか? ということは、お前の友達と死んだJKは酒を飲んでいなかった。注射されたとしたら……?」


 エクボの顔から血の気が引いてゆく。誰がそんな恐ろしいことをするのだ。酒を注射するなんて、医学的なことは詳しくないが、少なくともそれで死ぬかもしれないのではないか。


 エクボがそのように思うのも当然であるし、実際に一人死んでいる。


「しかし、それだと……グラウンドで死んでいたことの説明がつかないな。それでも、友達の無実を証明するにはいい材料になるとは思うが」


 水筒の蓋を開ける音を立て、お茶っぽいなにかを啜るトイレ飯は、続けてこう締めた。

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