第8話
お、このジジイはジジイで、まんざらでもなさそうだ。ここでラブロマンスに方向転換をしてもいいが、それでは作者の立つ瀬がないので、このままラブロマンスは抜きで行きたいと思う。
「それにしても……【アヤカシ】ねぇ。一体どういう意味なんだろうね、人の名前かね」
「ううん……【アヤカシ】なんて珍しい名前、ありますかね。【ユメカゲ】って名前ならギリギリありそうですけど」
おおっと、この喪女は自分の個性爆発の名前を差し置いてどの口がいうのだろうか。
それ以前に、この物語には変な名ま……もごもご!
「そうだねぇ、確かに変わった名前だ。でも、あの事件になにか関係があるとするなら、そんな安易な意味ではないような気もするねぇ」
(……確かに、名前だとしたら安直すぎるよね。じゃあ、一体なんの名前?)
タブレットを取り出し、エクボは《あやかしゆめかげ》と入力し、変換をしてみた。
《綾香氏夢影》
無言で、斜三三に見せてみると斜三三は困ったような顔で首を横に振った。つまりピンと来ないというわけだ。
《妖夢影》
もう一度別の変換をして、斜三三に見せてみる。やはりアゴに手をあてて「うーむ」と唸った。
「じゃあ、そうだ……アルファベットに変えてみるとか?」
江戸川とドイルの某アレのように、色々な方法でしっくりしそうな読みを斜三三と考えてみる。
《AYAKASHI YUMEKAGE》
「逆から読んでみよう」
《EGAKEMUYIHSAKAYA》
「これを……日本語読みすると」
《えがけむいうさかや》
「……」
沈黙。つまりはわけわからん、というわけである。
「さて、おじさんはそろそろ仕事に戻るとするよ。また一緒に遊ぼうな」
斜三三に、完全に遊びだと思われてしまった。それはそうだ。とりあえず、聞いたことのある推理方法を施してみただけで、なんの解決にもヒントにも導かれなかったからである。
「うう、……アヤカシユメカゲめ……呪ってやる」
そうして、顔も知らないし名前も怪しいアヤカシユメカゲは、エクボの呪いフォルダ入りを果たしたのだった。
「ああ、そうだ」
なにか思い出した斜三三は、呪いフォルダの名前一覧を見てほくそ笑んでいるところを呼び止めた。
「はい?」
「関係ないのだとは思うけれど、羽根塚先生が今朝の朝礼の前、旧校舎にいるのを見たよ」
「羽根塚先生……?」
名字なのでピンと来ない方も多いと思うので補足すると、羽根塚とは保険医で私がファンクラブに入っている由々実のことである。
「ああ、えらく早く来てるなぁって感心してたんだけどね。朝礼の途中で慌てて走っていく姿を後でまた見たんだ」
(そういえば、今日の朝礼で羽根塚先生(すでに呪いフォルダに登録済み)遅れてたな)
「関係あるとは思えんがね。仮に羽根塚先生がアヤカシなんとかを書いたとしても、あんなに慌てて朝礼に出席するはずないから」
ははは、と火箸をカチカチと鳴らして斜三三は去っていった。
――教師が落書き? しかもビッチ疑惑が炎上してる羽根塚先生が落書きなんて、全然つながらないなぁ。
いい具合にビッチと噂の由々実は、普段から割と派手めな格好をしていて、男子生徒からも大人気だ。(わたしも)
更に甘えた子猫キャラで、教師たちからもブレイクしている。女生徒と女教師からの指示ゼロの孤高の超人である。
そんな彼女が、わざわざペンキでもって朝の部室にイタズラ書きをするだろうか?
「いくらビッチといえども、それは考えにくい……」
ぶつぶつと言いながら校門を出た際、教育実習生の零島と出会った。
「ぐぬぬ、これは俗に言う3Dイケメン……。無意識に薄ら笑顔を浮かべ、半分息が抜けたような声で話しかける新種の妖怪め。私だけは騙されない……」
話しかけられたわけでもないのに、勝手にここまで思われるとは、ハンサムも考え物である。
「ん?」
エクボがどんどんと透明度を下げ、周りの色と同化し、外敵から発見されぬようステルスカラーを施しているエクボは、零島と目が合ってしまった。
「んごっ」
イケメンと目が合うと、エクボは思考を異世界に飛ばすのだ! 校門のコンクリートの灰色と同化し、自らを擬態させて零島から隠れるものの、零島は確実にエクボを見ていた。
「洒落頭さん……だったかな」
柔らかいイケメンスマイルで、零島はエクボに笑いかける。
「私じゃない私じゃない私じゃない」
そう必死で思い込むエクボをよそに零島は、エクボと距離を詰めると、もう一度笑った。
「洒落頭 エクボさん」
「ようこそ、ここは録路高校! ゆっくりしていってね!」
エクボは一番最初に出会う待ち人になりきるが、零島は続けた。
「洒落頭さん、君とは近しい香りがするんだ」
「ようこそ、ここは録路高校! ゆっくりしていってね!」
頑なに村人から変わらないエクボに構わず、零島は続ける。
「例えば……そう、不思議なものが視えたりとか……」
「ようこそ、ここは録路高校! ゆっくりしていってね!」
「だからさ、聞きたかったんだよね。この学校で不思議な能力がある君に」
「ようこそ、ここは録路高校! ゆっくりしていってね!」
零島は、コンクリート村人に至近距離まで詰めると、意味ありげに耳元でそれを言った。
「四番目の隣人……、知ってるかな?」
「ようこそ、ここは録路高校! ゆっく……へ?」
なぜそのワードが引っかかったのか分からなかったが、エクボは零島が口にしたその妙な名前に反応した。
「やっぱり、知っているんだね? 洒落頭 エクボさん……」
わざわざエクボをフルネームで呼ぶこの変態イケメンを目の前に、エクボの瞳孔はすっかり開いてしまい、言葉をまた見失う。
「あわあわあわ」
口から出るのはこんなみっともない嗚咽めいた声のみだった。
「聞いてもいいかな?」
細長い蛇を思わせる目は、更に細く針の先のように、エクボの目を刺した。
下唇がやけに乾くのを感じながら、エクボはこの妙に重々しく感じる威圧感に、凍り付く。
「四番目の隣人は、どこだ?」
ひとつ、声を低くして零島はエクボに迫った。
「し、知らない……で、す……」
「知らない? ……本当ォかなぁ」
「ほ、本当です! 四番目の隣人ってなんなんですか」
「……」
しばらくエクボのことをじろじろと見詰めた挙句、零島は「ふぅん……」と勝手に納得した。イケメンと言うのはなぜ、こんなにも変わり者が多いのだろう。
「知らないなら、いいや」
零島は、エクボから少し離れるとにっこりと笑いかけると、「気を付けて下校するんだよ」と言い残して去っていった。
「……四番目の隣人、って?」
■アヤカシユメカゲと怪しいオンナ
録路高校人気の部活ベスト3!
1.帰宅部
「帰宅部は部活ではない」というのはもう古い! この現代、帰宅部も進化した!
なんと、家にまっすぐ帰り、オンラインゲームをやると3時までノンストップでやるんだぞ! 完全に廃人に近いが、学生と言うフィルターがなんとなく正当化している! 今度全日本最優秀帰宅部員賞を行うような行わないような。
2.テニス部
チャライぞ!
3.ダンス部
男も女もモテたい奴ばかりが入部しているぞ! しかし、デブやデブばかりなので基本的に踊れない! 楽してモテるか! 死ね!
トイレ飯は、珍しく機嫌が悪い。
その原因は間違いなくエクボのあるのだが、当のエクボ本人もなにでそんなに怒らせたのか分かっていない。
……ただ、心当たりといえば。
『四番目の隣人って知ってます?』という質問。
「それ、一体誰に言われたんだ」
エクボが零島から聞いたと答えたものの、トイレ飯は「誰だそれ」と言って、余計に機嫌を崩す。
「……だからって、なんで私に怒るのよ」
小さな声で呟いたつもりだったが、トイレ飯はすぐに「聞こえたぞ。なんだ、なんか文句があるのか」と妙に喧嘩腰だ。
トイレ飯が怒っているのには、二つ理由がある。
1つは、四番目の隣人というワード。
2つめは、零島という知らない人間だ。
「っていうけど、そもそも私のことだって最初知らなかったじゃないですか……」
「そういう意味じゃない。【俺は】、【零島なんていう人間】を、【知らない】!」
妙にひっかかる言い方をするなぁ、と思いながらエクボはハイハイワロスワロスといなす。
「まあまあ、そんなことは置いておいて。今日はロールキャベツがございますよ。トイレ飯様」
「……ん、ロールキャベツだと? ふん、仕方がない、この話題はもうやめにしてやろう」
エクボは背伸びをして隣の個室にロールキャベツを落とすと、「それでですね……」と切り出した。
「ふむ。つまりその保健医の羽根塚が怪しい……と」
「いや、怪しいかどうかはわからないんですけど、なんか変な行動が目立ったって話で……」
「それを怪しいっていうんだ」
はぁ……と、気の抜けた返事をしつつエクボは、話し始めたトイレ飯に耳を傾けた。
「アヤカシユメカゲ……。一体どういう意味なのか分からないが、なにかのアナグラムかもしれないな」
「アナフィラキシーショック?」
「なんで元の言葉より長い言葉と聞き間違えられるんだ。そうだな……例えば、パップナイル」
タブレットに《パップナイル》と打ち込むと、エクボは次の言葉を待った。
「一見、訳の分からない文字の羅列だと思わせておいて、それを入れ替えると……ある果物が浮かび上がるはずだ」
もはや字面で分かりそうなものだが、エクボは指で文字を入れ替えると、小さく「あ……」と呟いた。
「パイナップル」
「そう、それがアナグラム。アヤカシユメカゲというのはアナグラムの可能性がある。だが、それがアルファベットにしてからなのか、一定の法則に基づいたそれなのか……。
ともかくとして、解読するのには骨が折れそうだな」
それを聞きながらエクボは何度も《アヤカシユメカゲ》の文字を入れ替えてみるが、どちらにせよ訳の分からない言葉になるばかりだった。
「うう……わからない」
「鵜呑みにするな。なにもそれが正解だとは言っていない。まぁ、ヒントもないし、それ自体に意味があるかどうかもわからない。それよりも、羽根塚という教師がどの程度の透明度を持っているか、だな」
肩を強張らせて、エクボは考えに耽るも答えには行きつかない。
「聞いてる?」
「あ、はい! 聞いてます! ……聞いてますけど」
「なんだ」
「一体、いつムシロが解放されるのかって思うと……、なんかムズムズして」
「そうか。でもまだ事件があって三日だ。焦るよりも、しっかりと情報を掴むことだな」
蓋が締まる音。その音でエクボは、今日の分のトイレ飯との会話が終わりだと悟った。
「私、私なんかが…… ムシロを助けるなんて……やっぱり、無理…… ですよね」
トイレ飯は、弁当の蓋を閉めたままエクボの話を聞いていた。
「おそらく」
少しの沈黙の後、トイレ飯は枕詞にそれを置くと、立ち上がった気配がした。
「お前のクラスや、その友達と仲のいい奴らは、全員もれなくそいつが犯人だと疑っているだろう。もちろん、警察もそうだ。未成年が酒に酔て倒れていたとなれば、疑われないはずがない」
「……」
「だが、ひとりだけそんなどうしようもない奴を無実だと信じてる奴がいる」
エクボはふとももに置いた弁当箱を広げたハンカチの端を握る。それと同じくした唇も噛んだ。
「お前だ。無実だと信じてるなら、もっと信じてやれ」
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