第7話

「学校で死人が出るのってもう嫌だったんだよね。だから、余計に言えない」



 エクボが聞き耳を立てていると、教室のドアが開く音がした。教師が入ってきたようだ。



「キャアアアアア!」



 耳を澄ませていたエクボの鼓膜は木っ端微塵に破れるかと思われた。

 

 準備をしていない大歓声に、エクボはコンマ何秒か気を失い、すぐにまた意識を取り戻す。


「ああ……みんな騒がないで。後で怒られるんだ」


 大歓声の理由はこれだ。

 零島零(ぜろしま れい)。


 教育実習生として、先週初めから赴任した大学生だ。今流行りのヘビ顔と言う奴で、切れ長の細い目と、あっさりとした顔で今、録路高校でもっとも旬なアンチクショウである。



「みんなすまないね。今日は諸事情で倫道先生(担任)が今朝のホームルームに出られないから、代理として僕がきたよ。至らないとは思うけど、よろしくね」


「キャアア! 一生担任でいてェエエエ!」


「毎朝私の味噌汁作ってェエエエ!」


――女生徒は、時に愚かで滑稽な生き物である。(異論は認める)

 一時限目と二時限目の間の休憩に、エクボはお茶を買おうと学食の自販機へと向かった。


 数人の生徒達が同じことを考えていたようで、並んでいたが、エクボは他人と近い距離に居たくなかったので、並ぶのをやめお茶を諦めた。


「コンビニで買ってくればよかったな」


 自分で発した『コンビニ』という言葉に、ムシロたちをコンビニで見かけたことをまた思い出す。


(あの時、何を買ったのかな。それが分かればちょっとは進展……っていうか。)



 学食は、本校舎とは別の場所にあった。コの字の形をした本校舎を正面玄関に、右奥が体育館、そして左側に学食の食堂があった。


 学食に行くまでに、職員校舎がありそこに職員室や、教員が使用する機関がある。由々実様が君臨なされる保健室もこの職員校舎だ。


 こっそり授業中に学食に行く生徒を見つけやすくするため……かどうかはわからないが、とにかく本校舎と食堂の間に縦長の職員校舎はあた。


 その場所で、ムシロは酩酊状態……つまりは酔っぱらった状態で発見された。



「どの辺かな?」



 エクボがなんとなく職員校舎内を観察しながら歩いていると、背筋に冷たい感覚が走った。

「この感覚……ついこないだも……!」


 ついこないだ……。


 それは、何時来が死体で発見されたその日、校門の手前で感じた気配だった。


 そして、それは恐らく……何時来本人。



「なんで、こんなところで……」



 エクボは辺りをキョロキョロと見回してみるが、何時来らしき霊の気配はない。


「もしかして、ここで殺された……とか?」


 立ち止ったエクボを、二時限目の開始を知らせるチャイムが驚かせた。

 走ろうと足を踏み出したその時、エクボのクシャクシャに潰れた紙切れが落ちているのが目に入った。


 普段ならばそのようななんでもないゴミなど、気にすることはないエクボだったが、何を思ったかそれを拾ってポケットに入れると教室へと急いだ。





「また来たのかお前」


 第一声にトイレ飯は呆れたように言った。


「くくく」


 一応言っておくが、これはJKの照れ隠し笑いである。



「はぁ……。別にいいけどよ、トイレ飯ってのは【一人で誰にも関わらず飯を食いたい】っていう基本理念を忘れてほしくないんだがな」



 そういいながらトイレ飯は、箸を弁当箱にぶつけながら食事の音を鳴らした。

「えっと、大きな出来事があったの」


「なんだよ」


「……え」


「自分で話を切り出しておいて「……え」はないだろ。ドSか」



 エクボは「ううん」と否定したが、内心は今朝に全校生徒を集めての朝礼があったのに、なぜ部室の落書きの件を知らないのか、腑に落ちなかった。


「今日ね、グラウンドの部室が集まった長屋に、悪戯書きがされてたんだ」


「ふぅん」


 興味が無さそうにトイレ飯は相槌を打つ。

「んで、そこに書かれてた言葉なんだけど……【アヤカシユキカゲ】って」


「へぇー」


「……興味ない?」


 余りにも無感情なトイレ飯の口調に、エクボは思わず聞いてしまった。


「興味ないっていうか、その質問に答えるなら『最初から興味がない』」


「ううん……そういやそうだ」


 エクボは考え込んだ。


【アヤカシユキカゲ】……意味は分からないけれど、これを犯人が書いたとすればムシロの潔癖が証明されるかもしれない。


 だが、それを確信づける理屈がなにも思い浮かばなかった。


 そもそもあの落書きが犯人が書いた……とは限らない。文字通り誰かの悪戯ならば、あれ自体になんの意味もないからだ。



「なんか考え込んでいるみたいだが、その落書きのことは、今の段階でいくら考えても仕方がないぞ。どっちかわからんものは後回しにしとけ。それより、その友達の兄貴に会ったんだろ?

 なんか役に立つようなことは聞けたのか」


「そ、そっか……、ありがとう。うん、貉兄さんには会えた。ムシロも酔っぱらって眠ってるところを連れていかれたんだって」


「なんだ、ただの酔っ払いか。解決だな」


「それが……ムシロは、人一倍お酒がダメなんだよね」

 一瞬、トイレ飯の箸が止まった。


「酒がダメ? それ以前に未成年の飲酒自体だめだろ」


 ごくごく一般的なことを言った。期待した私の心を返してほしい。



「だが、未成年の飲酒がダメなことくらい小学生でも知っている。こっそり飲んだにしたって、わざわざ学校でそれをするなんてよっぽどの変態だ」


「変態って、そこまで言わなくても……!」


「つまり、『飲んだ』とは限らない」


 エクボはトイレ飯の言っている意味が分からなかった。飲まないで、どうやって酔うというのだ。

「飲んでないのに酔うって……霧かなにかで吸ったとか?」


「それも否定できないがね。だけど、もっと違う方法だろうな。霧状にした酒で酔おうと思ったら、余程狭い密室にでもいないと無理だ」


「密室……」


 そういえば、推理小説には密室が付き物だよね。とか思っているエクボの耳に、弁当を仕舞おうとしている気配がした。


「あ、おかず……」


「ん、あるのか?」


 エクボは手に持っていたパンを持ち上げると、「あ……」と一言もらした。


「パン……。パンは如何?」

 はぁ~、と大きな大きなため息を吐くと、トイレ飯は「パンとゴハンって、どんだけ太らすつもりだよ。大体オカズにならないだろ。今日はここまでだ」、そう宣告しさっさと行ってしまった。


「うう、そんな……ご無体な……」



 他に何か持っていないかと、(もう手遅れなのに)ポケットや身体のあちこちをまさぐっていると、職員校舎で拾った紙きれが指に触れた。



「あ、そうだ。これ持ってきちゃったんだっけ。なんでこんなゴミなんか拾っちゃったんだろ」


 そう独り言を呟きながら、その紙きれを開くとそれはどこかのレシートのようだ。


「レシートって……。人の買ったもの見てもなにも楽しいこと……」



【エブリマート 録路公園前店】



 店名を見て、それがコンビニのレシートであることが分かった。しかも、それが何時来達を見た店で、そして時刻もほぼ一致している。


 ビバ偶然!



「これ、もしかしてあの時買ったレシート……かな?」


 タブレットのカメラでそれを撮影すると、エクボは財布の中に仕舞った。


 このレシートを、もしも別の場所で拾っていたら確信は持てなかっただろう。


 あのムシロが発見された職員校舎で、あの霊特有の寒気。そして、直後に見つけたレシート。


 これらがエクボを確信させた。



――そして、そのレシートの中身。即ち、当日ムシロ達が買ったもの。



 エクボは、再び貉のところに行くことを決めた。


 だが、その前にエクボは唯一校内で気軽に話せる人物のところへと向かった。




「なんだい? このレシートは」


 枯れ専が飛びつきそうな老紳士っぽい男性は、エクボの顔とレシートを交互に見つつ尋ねた。



「斜三三(しゃみぞう)さん、これ……ここに書いてある商品って、どっかにゴミで落ちてたりとかしなかった?」


「ゴミ……かい? ペットボトルとかお菓子の箱とかは毎日落ちてるからねぇ」


 困ったように笑い、作業服の首元にタオルを巻いた用務員、越智 斜三三(おち しゃみぞう)は言った。


「確かに……でも、ムシロを助けたいんです。このままじゃムシロ、何時来を殺した犯人にされちゃう」


「殺し……って……、えらく物騒だなぁ。私はよく知らないけれど、あれは事故じゃないのかい?」


 エクボはしまった、とばかりに口を押さえた。喪女でドジっ子とは、新しいジャンルを開拓しそうである。



「でも、洒落頭さんが真剣だっていうのは、よく分かったよ。ちょっと、どれがなにだか分からないけれど探してみよう。役に立つかは分からんがね」


 斜三三は優しく笑うと、エクボの頭を撫でた。


「あ、ありがとう……斜三三さん……」


 お、意外と枯れもいけるのかもしれない。

「しかし、どれがどれだか分からないので……、このレシートを預かっても?」


「あ、はい。斜三三さんに預けますので、すみませんけど……お願いします」


「分かったよ! なんだか若い女の子にモテた気持ちだなぁ!」


 嬉しそうに斜三三は笑い、それに釣られてエクボも笑った。


「くくく、くくくく……」


 うわ、台無しだな。



「そういえば……斜三三さんって、いつも学校に泊まってるんですか?」


 それを訪ねると、斜三三の顔が曇る。

「そうなんだよ……。事件の日はお休みでね、でも警察の人達はあれこれと色々聞いてねぇ。

 大事な仕事だから仕方がないんだけれども、あれこれ聞かれても答えようがないよねぇ」


「そうなんですか……」


 どうやら斜三三は、こってりと警察に絞られたらしい。それがどうも嫌な想い出だったようだ。



「事件に関係ないとは言ったんだけど、一応鍵とか色々持ってるから……。初めて《アリバイ》って奴を話したよ」


 曇ったままの苦笑いに、エクボも同情する。もちろん、私もだ。こんな人の良さそうな老人をこってり絞るとは何事だろうか。こってりはとんこつスープだけに限ってほしいものだ。


「あ……そういえば」


 エクボがなにか思い出したように、立ち止まり斜三三を呼ぶ。



「なにかな? 洒落頭さん」


「斜三三さんは、あの……なんでしたっけ。あ、【アヤカシ ユキカゲ】ってなんだかわかります?」


「アヤカシ……、ああ、あの部室のドアにあった落書きだよね。本当に困るよ……、あんなイタズラされるとさ。消す方の身にもなってほしいと思うよ」



 斜三三は持っていた火箸で落ちていたアイスティーの紙パックを拾った。

「まぁ、だけどそういうイタズラを経ないと、ちゃんとした大人にはなれないけどね」



 斜三三が笑うと、普段は不気味な笑い方しかできないエクボもつられて笑ってしまう。


「斜三三さんって、なんだか先生みたいですね」


「先生? ははは、冗談じゃないよ。あんな大変そうな仕事……。僕には向いてないね、生徒にも人気なさそうだし」


「斜三三さんなら多分……、いい先生になると思います。マジで」


 語尾の『マジで』という言葉に背一杯のJKっぽさを詰め込んだエクボは、ちょっとしたドヤ顔をして見せた。


「若い子に褒められるとなんだかくすぐったいなぁ」

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