第4話
いつもならば昼休みを知らせるチャイムは、下校のチャイムとなり生徒達を家路につかせる。
思わぬ早い下校にテンションが上がってはしゃぐ生徒もいれば、不安げな表情で友達と固まって帰る女生徒もいた。
昨夜から降り続く雨。
色々な色や柄の傘が、ビー玉が転がるように、群がって道を進んでゆく。だが、その群れの中にエクボは居なかった。
至る所に教師が見張っており、教室から生徒を出そうと目を光らせ、グラウンドに向かおうものなら、停学を喰らうのではないかと思うほど怒られる。
エクボは、そんな教師たちの位置を予想し、ゲーマー脳をフル稼働させて、旧校舎に辿り着いた。
来たのは、『怪談トイレ』。
エクボはカバンの肩からかけ、奥へと進んだ。普通に考えれば、いるはずがないと思った。
けれど、エクボはトイレの男がいなくても、それはそれでいいや。……そう思ってやってきた。
というのも、とても真っ直ぐ家に帰る気にはなれなかったからだ。
ムシロになにかあったのかもしれない……。
そう思うだけで胸が張り裂けそうに苦しく、不安で眩暈がしそうだった。だから、ここに来たのだ。
一番奥の個室は閉まっていた。
エクボは昨日と同じく隣の個室に入り、弁当を広げる。今日が短縮授業になると思っていなかったから、弁当を持ってきているのは当然だった。
「……」
弁当を眺めながら、エクボはただ黙って俯いていた。
――さっきのブルーシートから見えたの……何時来だった。登校途中に横切ったのも多分……。
て、ことは……何時来が死んだってことなのかな? もしもそうなら……ムシロは
次々と最悪のイメージばかりが頭を横切ってゆく。
死んだ何時来。呼ばれた女生徒。どこにいるのかわからないムシロ。
安否を確認しようにも、エクボはムシロの電話番号もメッセージIDも分からない。
つまり、八方塞がり。……というわけだ。
「食べないのか?」
隣からあのトイレ男が話し掛けてきた。隣に男がいることなどすっかり忘れていたエクボは、「えっ?」と間の抜けた返事をする。
「いや、だからその弁当食わないのか」
「あ、食べる! 食べる……けど」
「なんだよ食うのか。だったらさっさと食えよ、表面とか乾いたら勿体ないだろ」
男の言うままに、箸を持つが食が進まない。というよりも、喉を通る気がしなかった。
「あの」
「なんだ」
「友達がピンチなんですけど、どうすればいいんでしょうか」
「驚くほど前触れのない質問だな」
「すみません」
なんとなく謝ったエクボは、それ以上男に聞かなかった。
「……そうだな。どんだけ友達か、によるかな」
聞くだけ聞いておいて、エクボは「そうですか」と超興味ない感じで返した。これは普通怒る。
「なんだよ! それだけか!?」
「はい……それだけです」
エクボは弁当の赤いウィンナーを見詰めながら、宙に浮いたような軽い返事を返した。この返事の調子を聞けば、エクボがどんな状況であるかはお分りかと思う。
「……友達っていうのは、昨日のやつらのことか」
「奴らっていうか……奴です」
「奴ですって……。なんだかよくわからんが、そんな放心状態になるほど、大事な友達だったのか」
「大事というか……特別な、友達です」
「ふぅん……そんなようには見えなかったけどな」
「ムシロを友達だって決めた、捧腹絶倒のエピソードがあるんです」
「全然聞いてないのに、捧腹絶倒のコピーまでつけて放り込んでくるなんて、見かけによらずやるな。お前」
どうやらトイレ男は、割と突っ込み属性のようだ。というより、エクボがボケ担当なのだろうか。
「とにかく、私は落ち込んでいるんです。話し掛けないでください」
「勝手にやってきて、自分から悩み聞いてくれって言っておいて、逆切れかよ。ちょっと驚いたぞ」
「私、小さい時からいじめられてて……」
「話すのか」
エクボがふとももの上で広げた弁当を見上げる幼いエクボが見えた。念のため言っておくと、これは幽霊とかではなく、エクボが回想に入ろうとしているというサインである。
「昔から、幽霊とかこの世のものじゃないものが見えて……それが原因でいじめられてたんです」
「多分それが原因じゃないぞ」
「一度、偶然オバケハウスで倒れてたムシロを、まあまあ仕方なしに助けたのがきっかけで、彼女と口だけの友達になったんです」
「言い方とかあるだろ」
「けれど、ムシロはその時に助けたのをずっと覚えてくれてて……。彼女は私のことを本当に友達だって思ってくれてたみたいで。
いっつも私がいじめられてるのを見ると、体を張って助けてくれたんです。42回目に助けてくれたとき、呪いノートからムシロの名前を消しました」
「酷い奴だなお前」
「でも、でも……。私のことを見捨てて、ムシロは親の都合で引っ越していっちゃって」
「親の都合って分かってるのに、見捨てられたって思ったのか。すごいな」
「それで、呪いノートにもう一度名前を書いてやろうと思ったのですが、私は一度消した名前は絶対にまた書かないって決めてるんです。……だから、ムシロは私の友達なんです」
「どの辺がエピソードだったのかはわからんが、わかった。理屈はわからんが、お前の中ではずっと友達だというわけだ」
「ビンゴ」
「ビンゴ!? そうか」
「くく、くくくく」
なんとなく聞いていた私もよくわからなかった上に、出てくるだけ出てきた幼いエクボが、まさかの回想に行かないという暴挙に、パニックになっていた。
落ち込んでいたエクボは、トイレ男と話している内に少しだが気持ちが晴れたような気がしていた。彼女にしては、人に話をしてそんな気持ちになることは珍しいといえる。
「あの……」
「なんだ」
「私、洒落頭 エクボっていいます。よかったら名前を……」
「勝手に自己紹介して、名を名乗れとは……。益々お前と言う人間が面白いと思うよ。
だが俺は人に名乗れるような立派な名前はない」
「そんな…… じゃあ、なんて呼べば」
「そうだな、名前なんてなんでもいいんだが。好きに呼んでくれ」
エクボは、しばらく考えて次のように提案してみた。
「ボルジャーノンとか」
「ザクだろそれ」
「じゃあ、じゃあ脳みそ!」
「今、お前に話し掛けたことを後悔してる」
「これもダメなんですか!? トイレ飯のくせに……」
最後の「トイレ飯のくせに」というフレーズは、超小さい声で言った。彼女なりの配慮だったようだ。
「トイレ飯……? なんだそれ」
どっこいトイレ男は、なんと2015年のイカしたフレーズ大賞の『トイレ飯』を知らないと言ってきた。これにはエクボも半笑いで小馬鹿にしつつ、それを悟られまいと説明する。
「トイレ飯っていうのは、人と関わりたくなくて、昼休みとかにトイレの個室で一人食事をする人の事をいうんです。つまり、貴方や私のこと」
「そうか、じゃあそれで呼んでくれ」
「……え、いいんですかそんなので」
「そんなのというか、それしかないだろ。俺のことは今から『トイレ飯』と呼べ」
余り自分の意見が反映されることがないエクボは、こんなくだらない決定なのにも関わらず、思わず少しテンションが上がった。
「……で、エクボ。聞くが、今日のお前の弁当。なにかいらないおかずはないか」
「おかず?」
トイレ飯は、べらべらと喋り続けていたため、エクボが弁当を食べていないのだと悟ったようだ。
「ああ、おかず……昆布巻きとか。今時JKのお弁当に昆布巻きなんていれないですよね。チョベリバ」
「昆布巻き!? いいねぇ! それ、いいよ!」
急にテンションを高くして反応するトイレ飯に驚いて、回想の行き場を無くした子エクボは弾けて消えた。
「いいなぁ、昆布巻き。昆布巻きいいなぁ」
「た……食べます?」
「いいのかい!?」
さきほどまでとはすっかり立ち位置が逆になったように、エクボは昆布巻きにテンションを上げるトイレ飯に若干引いた。
「ええ、どうぞ。私、苦手なんで。じゃあ、ドアを開けてもらってもいいですか」
「それはできない」
「え? でもそれじゃどうやって」
「上から落として」
「ええー」
「大丈夫、落としたりしないから。ほら、早くくれ」
「はあ……」
エクボは言われるままに、便器の上に立つと、囲いの隙間から、昆布巻きを落とす。
「サンキュ。……んぐ」
「ど、どうですか?」
「美味し!」
トイレ飯の声が明るくなった。
思いのほか喜んでくれいているトイレ飯の反応に、エクボも少しだけ嬉しくなり、「よかった」と結構心にもない言葉を放つ。
「ちょっと、話してみろ」
昆布巻きを食べ終えたらしいトイレ飯は、お茶らしきものを飲みながら、エクボに話し掛けた。
「え?」
「友達がピンチなんだろ? どういう状況なのか俺に話せ」
「う、うん……」
「どうだ? なにか分かったか」
所変わってグラウンドのブルーシートの中、傘を差してがっちりとした肩幅の、太った刑事が暖簾を割るように入ってきた。
「あ、荒崎さん。それが、なんか変なんですよね」
「変? どういうこった。狭山」
デブ=荒崎 ヒョロ=狭山
ということらしい。
「ちょっとガイシャ見てもらってもいいですか」
狭山に促されるまま、荒崎は横たわる遺体に向かい、しゃがみ込むと一度手を合わせてから、観察する。
「ん……酒臭いな」
眉を片方下げ、ブルーシートの空間に漂うわずかな酒気を指摘した。
「ええ、そうなんです。それもおかしいんですが……」
「外傷らしい外傷はないな。死因はなんだ」
横たわるそれは、エクボが見た通り奏寺何時来だ。何時来の身体は、雨に打たれてびしょ濡れであることを除いては、特になにか変わった様子はない。
「やけに安らかな顔だな」
何時来の顔は、ただ眠っているようにしか見えない。血色と、漂う死臭から死んでいることだけは確かだと分かっていたが、それを除けばただ眠っているようにしか見えなかったからだ。
そんな荒崎に狭山は言いにくそうに、最初にひとつ咳払いをして、言った。
「それが荒崎さん、死因は……【溺死】なんです」
「溺死だぁ? バカいうな、雨が降っていたとは言えここはグラウンドの真ん中だぜ?! 水気もなければ雨で出来た水溜りだって遺体の周りにはない。降ってくる雨を全部飲んだとでもいうのか?」
荒崎は少し馬鹿にしたような口ぶりで狭山に言い返す。馬鹿にされた狭山は、下唇を不機嫌そうに出すと、幼稚な表情をしてみせた。
「そんなこと言われても、こっちはそう報告を受けてるんです。仕方ないじゃないですか」
「馬鹿野郎。正式な検死の結果じゃねぇんだ、お前がそれを鵜呑みにしてどうする。……それにこの酒の匂い」
荒崎は手団扇で自分の顔に扇ぐと、この酒気を帯びた香りが自分の勘違いではないことを確かめた。
「仮に溺死だったとしても、こんだけ酒に酔って雨の中で寝てたら死んじまうぜ。つまり、だ」
「つまり……?」
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