第2話

「ごちそうさま」


 開錠と扉を開き、扉の背が鳴る音。そして、正面を横切っていく足音。


「あ……!」


 エクボが何か言おうとしたが、すぐに足音は遠のいて聞こえなくなった。


 自分の入っていた個室の扉を開き、外に出ると隣の個室を覗き込む。当然だが、誰もいない洋式便器だけが、挨拶するように上目使いでエクボを見ていた。



「……」


 たった今体験した妙な出来事を振り返るエクボを、昼休みの終わりを告げるチャイムが、彼女の踵を反させた。




 保健室のベッドの上で、鍼埜ムシロは目を覚ました。首を動かして見渡すと、女生徒Aと奏寺何時来が、ムシロがベッドの横で、スマホをいじっている。


「あっれ……あっち、なんでここにいんの」


 二人がムシロの声に気付き、慌てて口元に人差し指をあて、「しぃー!」と古今東西親しまれているリアクションで、ムシロの言葉を制した。



「あんたの付き添いってことで授業サボってんだから、まだ寝てる体にしといてよ!」


 よくわからないが、ムシロは無言でこくこくとオーバーに頷いた。

「ざんねぇ~ん。由々実先生ぇはぁ~、バッチリキッチリ聞こえてたのねぇん」


 ベッドを囲うカーテンの外から聞こえたその甘ったるく猫撫でた声に、ムシロ達三人は綺麗に「げっ」とハモった。


 滑車がカラカラと走る軽快な音でカーテンが開くと、茶色い髪を内巻きにカールし、胸元がやけに開いたマゼンタピンクのセーターにパステルラインのミニスカート、そこにむりやり白衣を着込んだ実に尻が宙に浮くほど軽そうな女性が立っていた。


「友達想いってことでぇ~、無理無理大目に見たげたけどぉ? ムシロちゃんが起きたらそうはいかにゃいよねぇ~?」


 これが女生徒人気3年連続最下位の養護教諭(つまり保健室の先生)、羽塚由々実(はねづか ゆゆみ)である。

 私を含め、男性には圧倒的な人気を誇るが、彼女のことが好きな女生徒は女教師も含め0という驚異の数字を誇っている。


 本人もそれを認知しているものの、口では「えぇ~え、やだやだぁ。どっきゅん」などと言っているが、本音は微塵も気にしていない。


 男に気に入られることが、全てうまくいく手段であると知っているからだ。(異論は認める)



 まぁ、説明が長くなったが、要するにムシロたちは由々実が大嫌いだというわけである。(私は好きだ)



「そんなこと言われても、ムシロは今目を覚ましたとこなんだって! すぐには戻れねーべ?」


「う~ん……困ったちゃんよねぇ」

 この女の事は嫌いだが、何時来は食い下がってみた。そうすると意外にも由々実の反応は、思っていたほど悪くはない。


「頼むよ先生ぇ~! ムシロが心配なんだよ、こいつがちゃんと起きたら教室戻るからさ」


 まぁ、要するに『なんとか理由を付けてとにかくサボりたい』ということだ。



「由々……あ、羽塚先生」


 若々しく瑞々しい、若い男性の声が聞こえた。この保健室には、今女子しかいない。

 だからこの声には誰もが敏感であった。


「零島先生ぇ~」


 由々実が更に甘ったれた声で、声をかけた男性に向くと、保健室の入口で手を軽く振っている若い男性が佇んでいた。

「あ、ムシロちゃんたち~! 由々実先生ったら今から保健室使うことになっちゃったからぁ、すぐに教室に戻ってぇ」


「はぁ!?」


「……早くしろよ。お前らションベン臭ぇガキがいたらベッドが臭くなるだろ!」



 何時来のすぐ傍で、由々実は口調を豹変させると、圧迫するように圧した。


「それが本性かよ」


「ギブ&テイクだろ。サボり黙ってやってんだから黙って言うこと聞けや」


 一段と低い声で何時来を威圧し、すぐに若い男性に振り向く。

「あっ、零島先生ぇ~この子たち体調戻ったみたいなんで、すぐ教室帰るってぇ~」


「あ……そうなんですか。よかった」



 由々実にだけ聞こえるように舌打ちをして、ムシロたちは保健室を後にする。


「えっとぉ~……、緊急時のディスカッションでしったけぇ?」


「ええ、よろしくお願いします」


 ムシロたちの背中に聞こえた「うふふ」という照れ笑いが、偽物だと知りながら保健室の外へと出た。


 3人が出たすぐ後、保健室のカギが締まったことは言うまでも……ない。(羨ましい)

「マジで有り得ないんだけど!」


 何時来の怒りのままに叫び、ムシロと女生徒Aはさながら雌ゴリラのようだと思った。


「っつーかさ、あんたビビりすぎくない? フツーあれで失神する?!」


 何時来のやり場のない怒りの矛先が、なぜかムシロに向けられ、ムシロは分厚い唇を震わせた。


「そうかなー? あっちはごくごく普通だと思うし、ビビりっていうか……そのあれは、窓の光に目が眩んだだけで……」


 何時来の「ドラキュラかよ」という突っ込みに、ムシロは短く笑い、この話題を速く変えたいとオーバーなリアクションで笑ってみせる。


「ドラキュラっていうと、ノスフェラトウやったクラウス・キンスキーなんだけど……」

 また謎の知識を何時来が話す中、ここまで登場してきたキャラの中でいまいち個性が光らないムシロは、とあることに考え込んでいた。



『……ムシロ』



 ムシロの脳裏には、先ほどの怪談トイレでのエクボの姿があった。彼女の中のエクボは、徐々に我々の知る顔から、幼くなっていき、ムシロの描くエクボがたちまち子供の姿に戻る。






『……ムシロ』



 公園で目を覚ませたムシロの瞳に、《のろいのーと》と書かれた落書き帳を持った、幼いエクボが覗き込んでいた。



「えくぼちゃん?」


 起き上がったムシロもまた幼く、ここがムシロの回想世界であることが分かった。なるほど、彼女たちの周りはこんなにも鮮明なのに、彼女たちを包む景色がやけにぼやけているのはそのせいである。


 とある休日。


 幼いムシロは、暇だったのでいつもより離れた場所に探検に来ていた。


 見たことのない景色ではあったが、根拠もなく迷わない自信があった。彼女は昔から、そういった根拠のない自信を持ち合わせている少女だったのだ。


 ぼやける景色の中で、ムシロは見たことのない町並みをコマ付きの自転車で探検し、やがて鬱蒼と雑草の茂った廃屋に辿り着いた。


「あー! むしろだー!」


 ムシロの後ろ髪を引くような声に振り返ると、幼稚園で同じクラスの男の子が数人、コマなしの自転車に乗って現れた。


「オバケハウスに一緒にいこーぜ!」


「えーやだよ! あっちは怖いのきらい」


「いーからいーからいこーぜ! オバケでたらやっつけてやるからー」


 補足しておくと、ムシロは幼いころから男子が大好きだ。それはもう大好きなのだ。


「じゃ、じゃあ……ちょっとだけ……」


 大好きな男子に押されて、ついそう返事してしまったのが悪かった。


 オバケハウスと呼ばれたその廃屋の敷地に入った途端、男子の悪ふざけで失神してしまったのだ。



 そして、ムシロは目を覚ました。


 同じ幼稚園で、あまり話したこともないエクボに呼びかけられて。


「オ、オバケは!?」


 また涙目になり、ムシロは身を縮める。そこはまだオバケハウスの敷地内だったからだ。


「オバケ? オバケはもうおうちに帰ったよ」


「え? え? もういない?」


「うん、もういない」


 ぶはっ、と大きく息を吐くムシロを見て、エクボは不思議そうに彼女の顔を見詰めた。

「なんで怖いのにきたの?」


「なんでって……だって、みんなが行こうって」


「みんなが行くから行くの? 怖がりなのに?」


「……う」


「でも、もう大丈夫。オバケは来ないし、私が一緒にいてあげるから」


 無表情だが、暖かい言葉をかけてくれたエクボに、まだ緊張から解けなかったムシロは、リラックスすることができた。


「あ、ありがとぉ」


 立ち上がるムシロは、エクボが持っている『のろいのーと』を見て、「《のろい》って、なぁに」と尋ねる。

「嫌いなお友達をね、ここに書くの。だって、どうせ私は、マキシマム仮面様(当時子供に人気だった『マジカルプリンセス三沢』に登場するイケメン紳士)を思いながら、一人で死んでゆくから」


「嫌いなお友達?」


「うん、嫌いなお友達」


「嫌いだったら、お友達じゃないんじゃないの?」


「……そういえば、そうかな。じゃあ、お友達じゃなくて《憎い人間》を書くのーと」


「なんかわからないけど、急に怖くなったね」


 エクボは、のろいのーとを開くと、《きらいなおともだち》の《おともだち》部分を消した。

「これで……よし、と」


 満足そうに笑ったエクボは、不思議そうに見つめているムシロを上目使いに見詰めると。


「むしろちゃん、私と友達になってくれる?」


「オバケ、やっつけてくれる?」


「やっつけることは出来ないけど、守ることならできるよ」


 無表情ながらしれっと言い放ったエクボに、ムシロの幼い心はころっと転んだ。


「友達なる! えくぼちゃんとはずっとずっと友達!」


 満面の笑みで、ムシロはエクボの手を握ると振った。

 頭をガクンガクンし、エクボは「じゃあ、むしろちゃんはお友達……」と呟き、再びのろいのーとに目を落とすと、ゴシゴシと何かを消した。



「じゃあ、のろいのーとからむしろちゃん、消す」


「やったぁ!」



(っていうかあっちの名前、そこにあったんだ……)、ムシロがそれに気付いたのはそれから数年経った頃だった……。


「回想長いな! 藤村志保かよ!」


 不機嫌そうに叫んだ何時来に、ムシロは「あ、ごめんごめん」と謝った。


 流行りのゴレライ的なダンスでふざけながら歩く、女生徒Aと何時来の後ろを歩きながら、藤村志保に一切触れないムシロは複雑な表情を浮かべた。



 ここでこそっと解説しておくと、ムシロはその後小学4年生の時に隣町に引っ越した。


 あれ以来仲良くしていたエクボとは、そこで離れ離れになったのだ。


 そして、この録路高校で……再会してしまった。最悪のシチュエーションで、だ。


 もうお分かりだろう。怪談トイレでの、ムシロの微妙な態度は、その為だったというわけだ。

「あ~! 今日は、マジついてないって! 今晩あたりあれやる?」


「げっ……!」


 突然背伸びと共に提案した何時来に、女生徒Aが露骨に嫌だと意思表示を示す。


「なによ! 嫌ってわけ?!」


「ち、違うよー! でもムシロがめっちゃ行きたいって……」


「え、なんのこと?!」


 何時来は、厭らしい目つきで笑い、ムシロの肩を抱くと意味ありげに言った。



「真夜中のパーティー……。パリピになりたくない?」


アイツと死体になったあの子


録路高校制服着こなしランキング☆

1.ブレザーの下にパーカー

違反すれすれのこの行為が許されているのは、「俺寒がりだし、脱げっていうなら脱ぐけどその代り風邪引いても責任とれんの?」というメッセージを内包した今昔問わずに人気の着こなし!

2.スカートの下にジャージ(ハーフパンツ)

美人がこれをするほど男子に敵を作るキラーファッション! 近年、究極のダサさが一週して逆にギャップのあるカラーがイカスと人気!

3.上下ジャージにブレザーだけ着る

もうなにをしたいのかわからないジャンクファッション! かわいいあの子も逃げ出すアンバランスさは吐き気を催すぞ! なぜか部活してない奴の方がこれを好む傾向がある!




 放課後、晴れていた天気は一変し、ノズルの強度を間違えて、冷たいシャワーが高水圧で噴き出すような……そんな大雨になった。


 エクボが帰る前に怪談トイレに行っても、その男の気配もなければ、例の個室にもいなかった。



「……」


 特になにかいう訳でもなく、エクボはその場を去り、イヤホンを耳に差すとタブレットにアニメを映す。


「くくく、帰り道のアニメとはたまりませんな」


 喪女。腐った喪女である。

 エクボが下駄箱にやってくるが、ひと気が余りない。旧校舎に寄ったので、突然の雨に誰もが急いで帰ったからだろう。


 靴を履きかえ、外に出ようとすると陸上部の部員が下駄箱の空いたスペースを利用してストレッチをしていた。



「昨日の魔法少女クレインさくら観た?」


「え、ああ……なんか流行ってるらしいけど、深夜枠のアニメでしょ? 観てない」


「ええっ、マジで?! いま超面白いのにー」



 部員の話題に、一瞬エクボの耳たぶがぴくんと一度震えた。


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