トイレのカリスマ
巨海えるな
第1話
――旧校舎2階の男女共同トイレの一番奥には、昔イジメで死んだ生徒が棲みついているらしい。
その生徒が棲みつく個室の隣の個室に入り、話し掛けると、生徒の悪霊に取り憑かれ、それから逃れるには《ある代償》があるという。
その代償とは、一体なんなのか。
長い録路高校の歴史の中で、この代償がなんなのか議論され続けてきたが、その答えは出ていない。
もしかすると、貴方の命……それが代償なのかも……。
「絶対撮っただろ!」
暗くジメジメとしたトイレで、洒落頭 靨(しゃれこうべ えくぼ)の頭に黒板消しがぶつかって落ちた。
持ち手の固い方ではなく、消す方の柔らかいほうが当たったことに安心したエクボは、自分の頭で跳ねた黒板消しが床に落ちていく様を見ていた。
黒板消しは、柔らかい方から地面に落ち、エクボの頭で跳ねたように、割とポップにバウンドして着地する。
「てめー聞いてんのかって!」
黒板消しを投げつけた女生徒、奏寺何時来(かなでら いつき)が、ぼーっとしたままのエクボに対して二の口を吐くが、エクボは彼女を見ることはなかった。
「無視すんなって!」
肩に強い衝撃を受け、エクボは打ちっぱなしの冷たいコンクリートに尻餅をつき、先ほどの黒板消しで付着したチョークの粉が霧のように舞った。
「ちょ、もういーじゃん何時来」
何時来と一緒にいた数人の女生徒の内の一人、金髪で色黒の分かりやすいギャルルックが、このまま暴走してしまいそうな何時来を制止する。
しかし、何時来は落としどころがないといった様子で、尻餅をついたエクボに距離を詰めた。
「てめーがあたしらをこそこそ写メってんの分かってんだよ!」
「写メって……、あああれは……」
エクボがなにか言おうとしたのを振りきり、何時来はエクボが脇に抱えていたタブレット端末を奪い取る。
「あっ……ちょっと」
「黙ってろ!」
何時来がエクボのタブレットを操作し、ギャラリーから画像を探す。その様子を溜め息を吐いてちらりと一瞬だけ見ると、諦めたように俯いた。
そんなエクボを、先ほど何時来を止めたギャルが何か言いたげに時々見るが、エクボはそんなギャルの視線に気付かない。
「あった!」
急に叫んだ何時来は、鬼の首でも討ち取ったかのように、タブレットの画面をエクボに見せつける。
「……」
折角、分かりやすくいじめっ子がドヤ顔で見せつけているのに、エクボはタブレットを見ることは無く、……というか気付いていない。
「エクボ!」
トイレの小窓から差し込む光が、チョークの粉でキラキラと光っているのを、ぼーっと見詰めていたエクボにギャルが焦った口調で呼ぶ。
「……筵(むしろ)」
ギャルの名は、鍼埜ムシロ(はりの むしろ)。この二人の間に流れる空気を読むとる限り、どうやら知り合いであるようだ。
空気読みの天才と呼ばれた私が言うのだから間違いないといえる。
「見ろよ!」
ムシロの二言目に顔を上げたエクボが、目の前に突きつけられたタブレットの画面を見やる。
「ああ、うん」
「なにが『ああ、うん』だよ! こんな写真撮ってどうするつもりだよてめー!」
真っ赤なライオンの如く形相で、何時来は叫び狂った。おどおどとどうすればいいか分からないムシロと、もう一人の女生徒はただ見守るばかりだ。
「……どうするって言われても、そこに《居た》から」
「そこに居たからって……てめーはジョージ・マロリーかよ!」
ジョージ・マロリーとは、有名な登山家だ。「なぜ山に登るのですか?」という記者の問いかけに対し、彼はこう答えた。「そこに山があるか
「視えた時は撮るようにしてるんだけど……駄目だった……?」
ジョージ・マロリーに一切触れることもなく、エクボの目に映る画面は、なんでもない教室の風景。
昼休みで賑わう教室で、馬鹿笑いしている何時来たち3人が映っている。だが、問題はその大きく開いた何時来の股間のようだ。
「ガチでパンモロじゃん! しかも今日のパンツは見られて良い奴じゃねぇんだよ!」
真っ赤なライオンは、今にもメガ進化してしまいそうだった。要約するとどうやらパンツを撮られることはやぶさかではなく、撮られたパンツの種類に怒っているらしい。
よくよく画像を凝視してみると、何時来の下着は丸見えで、赤い生地にライオンのプリントがされた微笑ましくダサい下着であった。
なるほど、私が彼女を真っ赤なライオンのようだと思ったのには、こういったルーツがあったのだ。ビバ、パンツ職人。
「てめーみたいな暗いドブス女のことだから、どうせ拡散ツイートでもしようと思ってたんだろうがよ! スノーデンかよてめー!」
ムシロと女生徒Aが(スノーデン……?)と疑問符を頭の上に浮かべているのも構わず、何時来は子供を見つけたなまはげ様の如く、エクボを叱責する。
「てめーみたいな暗い暗い喪女は、あたしらみたいなイケてるテイラー・スウィフト的女の、エロ写晒してクスクス気持ち悪いアザラシみてぇーに笑うしか能がねーんだろ! ええ!」
咆哮が止まらないライオン様が突きつける画像の一部をエクボが指差すと、「そうじゃなくて、これ……」と言った。
「はぁ?!」
そう言って何時来はタブレットを自分の手元に戻して、エクボが指差した箇所を見詰めた。
「……いっ!?」
何時来の面白おかしいリアクションに、ムシロと女生徒Aがつられてタブレットを覗き込むと……。
「えっ!」
「ひぃっ!」
エクボが指摘した箇所。何時来たちが映っている後ろ側、廊下の窓に真っ黒な人影があった。
「こ、これって……」
「いやまさか、誰かが覗き込んでただけだって」
何時来が口を引き攣らせ、皆を納得させるように言うが、女生徒Aが真っ青な顔で口をパクパクさせていた。
「な、なんだよ……」
「教室、3階なんだけど」
「ぶへらっ!」
女生徒Aが指摘した直後、ムシロが手足を伸ばした体勢で後ろに倒れ込んだ。
それはもうドミノのそれのようだ。
「む、ムシロ?!」
二人がムシロの脇を抱えて呼びかけるが、ムシロは口から泡を吹いて失神している。
「そこに写ってるの、15年前に死んだ生徒だって。卒業式の日に車に撥ねられて死んだから、時々そうやって覗いてるんだ。うちのクラスだったみたいだから……」
ムシロが倒れた拍子に何時来が落としたタブレットを広い、エクボがぼそぼそと言った。
「き、気持ち悪いなてめー!」
棒人間のような雑な絵になった何時来たちは、ムシロを引き摺りながら、トイレから脱兎のごとく逃げていった。
「……良かった。画面割れてない」
タブレットやスマホは、硬い地面に落ちるとすぐに画面が割れてしまう。
それだけに何時来が落とした時、内心心配だったが、幸いにも軽い傷だけで済んだ。
タッチの感度も、側面のボタンも問題ないことを確認すると、エクボは一人安堵の溜息を吐く。
「!?」
タブレットを眺めていたエクボの耳に、なにかの音が躓く。
確か今、衣擦れというか、靴の底が地面に擦れる音と言うか、とにかく人の気配がしたのだ。
「死んだ人じゃない……よね」
そういえば、このトイレはこの録路高校の怪談のひとつに数えられている。
――確か、奥の個室に誰かいるっていう噂だっけ……。
エクボの脳裏に、その噂が横切った。
洒落頭 エクボには、幽霊やこの世の者ではないものを感じる力……。所謂、【霊感】というものが備わっていた。
だから、先ほどのタブレットに収めた写真のような、心霊写真を撮ったりすることが出来るのだ。
幼いころからそういった力があるため、霊と言うものに余り脅威を感じてはいないが、近寄っていいものといけないものくらいの判別はつく。
そんな彼女が、このトイレにはなにも感じることは無かったのだ。
つまり、この人の気配は、死人のそれではない。……これだけは確かであった。
エクボが後ろを振り返り、トイレの様子を眺めてみると、先ほどまで気付かなかったことがあった。
というか、このトイレに入って初めて後ろを振り返ったので気付くはずもない。
――一番奥の個室のドアが閉まっている。
衣擦れと、靴の音。
人がそこに居るということなのだろうか。
しかし、もしもそうならば、エクボが何時来達にいじめを受けていた時、知らない振りをしていたことになる。
「もしかして……トイレ飯?」
最近、誰とも一緒に昼食を取りたくない学生や社会人がいるらしい。
そういった、『ひとりで食事をとりたい人』は、人知れず《トイレの個室でこそこそと弁当や食事をとる》らしい。
それを『トイレ飯』というなんともトンチも効かないストレートなネーミングで呼ばれている。
だが、エクボはそんなトイレ飯の心理というものを理解しているつもりでいた。
なぜならば、彼女自身も『トイレ飯』の常連客であるからだ。
だが、そのトイレ飯をするにしてもわざわざこの《旧校舎2F男女共同トイレ》を選ぶというのが、エクボを怪訝に思わせた。
しかし、怪訝と思うと同時に『なるほど、ここなら完全に安全かもしれない』とも思い、納得する。
怪談のネタにもなるくらいの薄暗い
いくらトイレ飯をしたいと言っても、このトイレを選ぶ生徒はいないだろう。だが、それは裏返すと【このトイレにはそれだけ誰も来ない】と言っていい。
エクボは一つの結論を出す。
――つまり、ここに居るのは私と同じ……人嫌いの一人大好きっ子ってこと。
そう思うと、急にエクボはこのトイレが居心地の良い場所のような気がしてきた。
――私も隣にお邪魔しようかしら
大人しい性格で、人見知り。それでいて霊が見えて、苦いコーヒーが好き。という盛り過ぎな個性を持った喪女JK。
ここに怪談トイレデビューである。
この旧校舎トイレは、古いトイレであるにも関わらず、洋式便器が二つある。一番奥と、その隣である。全部で5室ある個室の内、二つが洋式で三つが和式という訳だ。
エクボはもう一つの空いている洋式便器に腰を下ろすと、タブレットから手帳アプリを起動させ、その中の『人を呪わば穴二つ』というフォルダを開く。
「……今日の呪い人は、奏寺何時来、女生徒A……と」
ククク、と笑い目元が前髪で隠れたエクボは、黒魔術中の魔女のような、なんともハートフルな笑いを浮かべる。
「どうせ私なんか、この先彼氏も出来ず、天塚ミゲル(人気男性声優の名前)を思いながら42歳で孤独死するのよ……。だから、だからね、その死のエネルギーでこの女どもに、悪夢のような罰を与えてやるの。いえ、与えてたもれ」
なぜ最後の文言を言い換えたのかはわからないが、エクボはタブレットのアプリに『呪いフォルダ』を作る危ない少女のようだ。
「……もう一人いたんじゃないのか?」
どこからか、男の声が聞こえた。
キョロキョロと見渡すエクボだったが、すぐに隣の個室側の壁を見た。
「……え」
まさか話し掛けられると思っていなかったし、なんなら勝手にトイレ飯は女性だと思い込んでいたエクボは、咄嗟のリアクションに困ってしまった。
「いや、だから。お前を虐めていた奴らって3人だったろ? なんで二人しか呪わないんだ」
「え? あ、それは……ムシロは、友達だから……」
つい反射的に、正直な理由を言ってしまったエクボは、口元を抑えた。
「ふむ……。《友達》ねぇ、お前を虐めてるグループに居て、しかも止めることもしない奴をなんで友達って言えるんだ?」
確実にこの声は、隣の個室から聞こえている。しかも、声だけでいうなら天塚ミゲル(人気男性声優。代表作『ぶっ飛ばせアブドゥル!』)に似ていなくもない。
「あ、あの! なんで話しかけ……」
「ああ、ごめん。つい突っ込みたくなったから。もう話し掛けないから気にすんな」
「そうじゃなくて! なんで、そこに居るのに……その」
エクボは思った。この声を聞いて、隣に居る男はいじめられっ子でも1人好きでもない。普通の男子であると。
なのになんでなんのアクションも起こさなかったのか。
それを恨みに思うわけでも、憎しいわけでもない。ただ、不思議に思った。こんなところにいることも、なにも動かなかったことも。
「なんでって……俺はここで飯を食ってるからな。昼はいつもここだ。誰にも侵されたくない聖域……サンクチュアリってことだ」
「そう……」
エクボの性格的に、少し疑問に思ったからと言って、必要以上に追及はしない。それが彼女という人間であるといっていい。
カチャカチャと、プラスチック製の弁当箱に箸をあてる音と、蓋を締めているらしい音。
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