耳の谷

euReka

耳の谷

 講習室に入って指定された席に座ると、私の目の前の席にいるポニーテールの女性の後頭部が見える。

「皆さん席につきましたね。では、お手元にある教本の二ページ目を開いて下さい」

 教官がそう言うので本の二ページ目を開いたが、何も書かれていない白紙の状態だった。

 他のページも全部白紙で、きっと印刷ミスだろうけど、まあそんなこともあるだろう(ノートの代わりに使おうかな)。

「AIと人間には根本的な違いがあります。しかし、そのことを理解するのは容易ではないからこそこのライセンス制度が存在します」

 前の席にいるポニーテールの女性は、教官の言葉にうんうんと素直に頷いている。

「AIは常に進化しますから、人間の側も常に情報をアップデートしなければなりません。優良ランクの皆さんには釈迦に説法かもしれませんが、数日間バカンスを楽しんでいたらAIの変化を見逃してトラブルの処理が出来ず、挙句の果てにライセンスを剥奪された、なんてケースも稀にありますので……」

 前の席の女性は、よく見ると耳が〈く〉の字に曲がった美しい形をしていて、耳たぶには真珠のネックレスが揺れている。

「AIに関する新しい法律は三つあり、一つ目はAIの自我に関するもので、世間ではさまざまな論争がありますが、一定の条件を備えたAIには人間と同等の自我を認めるという……」

 私は教官の話を聞きながら、席の前に座っている彼女の美しい耳をずっとを眺めていた。

 人間の耳は迷路のような複雑な形をしているなあと首を傾げた瞬間、何かのスイッチが入って、私は別の世界に飛ばされた……。


 ……耳の谷と呼ばれる場所を目指し、変な地形の土地を旅していたら、私は一人の少女と出会った。

「耳の谷はここから十リーグ先にあります。谷を訪れる人はぜんぜんいないから、あなたが来たらきっと谷の人たちが喜びます」

 私は、ただ他人の耳を眺めながら妄想するような変態です。

「わたしには変態というのはよく分かりませんが、谷の人はそんな小さなことは気にしません。あなたはきっと、たくさん嫌なことがあって疲れているのですね……」


 ふと意識を取り戻すと、ポニーテールの女性が私を睨んでいた。

「あなた、あたしの耳を眺めながらいろいろ変な妄想をしてたでしょ?」

 あ、いえ、その。

「耳の谷とか、馬鹿じゃない?」

 あ、いえ、ウマシカじゃなくて、ナウシカです。

「そういう馬鹿なセンスは、AIにはまだないよね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

耳の谷 euReka @akerue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ