天子と天女
とある山の中で、一人の男が鬼と戦っていた。刀と金棒がぶつかり合い、火花を散らした。
——時は半刻ほど前、一人の牛車に乗った男が家来に囲まれ、山の中を移動していた。
山奥で鷹狩りをしていた所、興が乗り、時間を忘れ、気が付いたら陽が落ち始めていた。
都からあまり離れていなかった事に加え、護衛をする家来が三十人ほどいたので、薄暗くなっていたのにも関わらず、都に帰ろうとした。それが過ちであったとも分からずに。
山を下っている途中、先を歩く数名が悲鳴を上げた。鬼が出たのだ。
—化け物だ、妖だ。家来たちは突然の事に浮き足立ち、金棒によって吹き飛ばされていった。残っていた家来たちは、すぐに気を持ち直し、主人を守ろうとした。
町一番の力持ちも、弓を穿つ名人も、名の通った侍さえ、鬼の前では皆等しく人間だった。矮小で、足元にも敵わない存在だったのだ。
しかし、それも仕方がないかもしれない。矢が刺さらず、刃が通らないのだ。最終的には皆逃げることしかできなかった。
辺りから声が聞こえなくなった頃、牛車の中から一人の男が飛び降りた。男は鬼を一瞥した。
少なくとも男の二倍以上背があり、手には血に染まった金棒を持っていた。一歩踏み出すごとに大地が揺れ、顔はこの世のものとは思えないほど禍々しかった。
まだ人がいる事に気付いた鬼は、耳を劈く様な雄叫びを上げ、男に向かって金棒を振り下ろした。
男はそれを冷静に眺め、振り下ろされた金棒を、一太刀で止めた。
この男は家来を連れるほどの身分であったが、だからといって、弱い道理もなかった。男は有り得ない程強かった。
しかし、それでも鬼と渡り合うのは難しかった。刀が押し戻され、遂には弾き飛ばされてしまった。
そうして、人と鬼の戦いが始まったのだ。
———かぐやは目を覚まし、静かに布団から出て、家を抜け出した。何故と聞かれたら、分からない。本当に、なんとなくというのが一番近いかもしれない。
輝く満月の下、かぐやは山の中を呆然と歩いていた。しばらく山の音に耳を傾けていると、遠くで金属のぶつかり合う音が聴こえた。
聴いたことのない音だった。しかし、何をすればいいか、何処へ行けばいいかすぐに分かった。初めからこの為に家を抜け出した気さえしてくる。
かぐやが両の手を勢い良く合わせると、周りの空気が、凛と静まり返った。風の音は止み、木々は静まり返って、川の流れが、落ちる木の葉が、時を止めた。
そうして彼女は音の鳴る方へ跳んだ。
木々を伝い、池を飛び越え、崖を駆け上がった。何度か跳ぶうちに、男と鬼が戦っているのが視界に入った。
——男を見た時、関わってはいけない、とかぐやは強く感じた。
——鬼を見た時、どの様な存在か、頭の中に流れ出して来たのだ。
かぐやの頭に、知らない記憶が同時に流れ、動きを止めた。しかし、次の瞬間、男の刀が鬼の金棒に弾き飛ばされた音を聴いた。そして、金棒を振り降ろされるのを見て、心を決め手を打った。
小さな鈴の音が一つ鳴り、金棒がぴたりと止まった。二つ目の音と共に、金棒が崩れた。そしてかぐやは言の葉を紡ぐと、三つ目の音が響き、鬼の体は塵となって崩れていった。
男は驚き、彼女を見た。淡い光に包まれており、容貌はこの上無い程美しく、この世の者とは思えなかった。
彼女の名前を尋ねると、名乗るほどのものでは無いのだと言い、影に溶けて消えてしまった。
男は魂が抜けた様に、呆然として立ち尽くしていた。しばらくすると、家来達がゆっくりと起き上がって来た。不思議なことに誰一人として傷を負っていなかった。
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