ある男の本②
「この図書館にはそのような『本』が国民全員分納められています。ただし閲覧権限があるのはご自身の本のみなのでご注意ください。利用者カードをお持ちの限り、いつでも自由に本を閲覧することが可能です。利用者カードの他人への譲渡・販売は禁止されておりますので」
「あの、そうじゃなくて」
機械的な女性職員の説明を遮る。
「この本、何なんですか?」
まずはそこから説明して貰わないといけない。
「『本』は人生の全てを記した本です。今まで起こったこと、そしてこれから起こること。人生の始まりから終わりに至るまで、お客様の全てを記した伝記なのです」
「えっ、未来も分かるんですか?」
慌てて本の一番最後のページを捲る。白紙だ。今日までの出来事が記されているページ以降はすべて白紙だった。
「未来の出来事は見えないように配慮されておりますのでご安心ください。昔は閲覧可能だったのですが、『先が分かってはつまらない』というご意見が多かったので変更されたのです」
なんだそれは。余計なことをしやがってと思う一方、これから自分の身に起こる不幸が全て分かってしまうのも恐ろしいことだと考え直す。
「それで、人生の『修正』が出来るって」
「はい。そちらの本の修正したい箇所を申請して頂く形になります。修正作業は申請内容に沿ってこちらで行いますので、書類を一枚書いて頂くだけで大丈夫です。サービスを利用する際は利用者カードが必要ですので紛失しないようお気を付けください。再発行は不可となっております」
目の前に一枚の書類を提示される。「修正申請書」と書かれたそれはお役所でよく見る形式で味気ない。こんな紙切れ一枚で本当に人生が変わるのだろうか。
「修正ってどんなことが出来るんですか? 例えば……実はお金持ちだった! とかそんなことも可能なのでしょうか」
「修正可能範囲につきましては利用者カードの色によって分類されています。お客様のカードは白色ですので、極端に人生に影響を与えるような修正は出来ません」
「というと……」
「大怪我をしたのを無かったことにするとか、家族の死を無かった事にするとか。そういうことは出来ないということです」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなことも出来なくはないってことですか?」
「カードが金色以上の分類であれば可能です」
つまり「金色」以上のカードを持つ人ならば死人すら生き返らせることが出来るのだ。いよいよ現実味が無くなってきた。
「そういえば……カードの色は何によって分類されているんですか」
色一つでそれだけ与えられる権利の差があるのだ。その基準を知りたくもなる。「全ての国民に平等に」といいつつ不平等じゃないか。
「カードの色はお客様が人生で積む『徳』によって分類されています。生まれてから亡くなるまでの間に後世に良い影響を与える行動をすればするほどその『褒賞』として『修正』する権利を多く与えられるのです」
「えっ、じゃあ俺のカードが白色なのって特に後世に影響力が無い平凡な人生で終わるってことですか?」
「……」
あれだけ饒舌に喋っていた女性職員の沈黙が傷を抉る。
「ちなみに、カードの色はお客様の人生を全て観測した上で審査、決定されておりますので今後の活動で変更されることはございません。ご了承ください」
つまりこの話を聞いて今後いくら「徳」を積んだとしても、その行為自体が既に計算済みなので意味は無いということだ。自分が死ぬ瞬間まで続く「平凡な人生」を突き付けられたようでなんだか虚しい気持ちになる。
「この白色の利用者カードならどの程度の修正が出来るのでしょうか……」
人生にあまり影響を与えない程度の修正しか出来ないならあっても無くても一緒のような気がするが……。
「そうですね。例えば修正の申請内容として多いのは『恥ずかしい思いをした出来事を無かったことにしたい』とか『黒歴史を消して欲しい』とか……ご自身のミスを修正して他人の記憶から消すような内容が多いですね」
「なるほど」
それ自体で人生そのものが大きく変わることはないが、自分の恥ずかしい姿を他人の記憶から消すことが出来るのは便利かもしれない。先生をお母さんって呼んだこととか……。未だに同窓会でいじられるのが鬱陶しいのでそれを「無かったこと」に出来るのは確かに有難い。
「それ一つでは影響力が小さいことでも巡り巡って大きく人生が変わってしまうこともございますので、利用される際はよく考えて使われることをお勧めします」
「例えば?」
「これは例え話として聴いて頂きたいのですが……。受験の日に電車に乗り過ごしたのを無かったことにして結果的に受験に受かったのは良い物の、異なる大学に進学したことで元の大学で出会うはずだった奥様との縁が切れてしまった……ということもあり得ますので」
「それは……影響力『大』なのでは?」
「いえ、あくまでも『電車の乗り換えミスを無くす』という小さな出来事の修正であり、『第一志望に受かった』と言うのはそれに付随した結果ですので。乗り換えが上手く行ったとしても試験に落ちる可能性もあるでしょう」
なるほど。修正した事象から派生した出来事によって偶発的に起きた変化に対しては与り知らぬことだと言うのか。なんだか無責任だなぁ。
「本日は如何致しますか?」
「今日は止めておきます。よく考えてから使いたいので」
「分かりました。では、説明は以上となります。お帰りの際は『本』を受付カウンターまでお持ちください。館外への持ち出しは出来ませんのでお気を付けください」
そう告げると女性職員は退室した。狭い部屋の中には俺と「本」だけが取り残される。
(そうは言ったってなぁ……)
あまりにも非現実的ではなかろうか。とはいえ、目の前で「俺は『非現実的ではなかろうか』と思った」と文字が綴られているページを眺めていると「これは現実だ」と受け入れざるを得ない。
人生を一度だけ修正出来る図書館。そんなもの、今までの人生で一度だって耳にしたことはないぞ。こんなに便利な物があるならば世の中に知れ渡っていておかしくはないはずだ。全員に等しく……つまり全国民にあの封筒が届いているはずなのだから。
「修正したい出来事か」
正直、何か後悔しているかと聞かれれば「いいえ」と即答できるほど平凡な人生だ。そう。変えたい出来事があって「人生図書館」に来たわけではないのだ。ただ「本当にこんな場所があるのか」と野次馬しにきただけで……。
「何も今決める必要はないよな。将来起こりうることに対して使っても良い訳だし」
考えた結果、将来何か起きた時の為に取っておくことにした。こういう重要な決め事はすぐに決めない方が良いのだ。
「返却でお願いします」
「かしこまりました。またのご利用お待ちしております」
「本」を受付カウンターで返却して「人生図書館」を後にする。あまりに非現実的な事象を目の当たりにするとかえって冷静になってしまうものなのだと実感した。振り返ると図書館へ入って行く人の姿が見える。彼らも何か「変えたいこと」があってここを訪れているのだろうか。それとも、俺のように怖いもの見たさで?
何にせよ、今すぐに利用者カードを使うことは無い。それからしばらく仕事が忙しくなり、正直「人生図書館」の存在を忘れていた。俺が再び図書館の存在を思い出したのは、それから数年後のことだった。
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