人生図書館

スズシロ

ある男の本①

 人生で一度だけ「やり直し」が出来るとしたら。誰もが一度はそんなことを妄想したことがあるだろう。そんな夢みたいな話が本当にあるのだろうか。ある年の誕生日にポストに無造作に突っ込まれていた封筒を見るまで、物語の中の話だと思っていた――


「人生図書館……ここか」


 真っ白で大きな箱物。いかにも「公共施設」だというなりをした巨大な建物の前で足を止める。立派な石造りの看板には「人生図書館」と刻まれていた。

 その封筒が届いたのは数日前。家に帰ってポストを覗くとやけに上質な紙で出来た封筒が入っているのが目に留まった。


「なんだこりゃ」


 送り主は「人生図書館」という聞いたことも無い施設で、表側には「親展」と赤いハンコが押してある。


(「人生図書館」? アニメにでも出てきそうな名前だな)


 中身を切らないように気を付けながら妙に厚みのある封筒をハサミで開封する。封筒の中に入っていたのはなにやら文章が印字された数枚の紙と――


「カード?」


 身分証のような一枚のカードだった。


 「人生図書館」という仰々しい名前に反してガラス扉から覗いた中身はそこらへんの図書館と変わりが無さそうに見える。


(入るだけなら……大丈夫だよな?)


 利用者と思われる人影を認めて少し安心したのもあり、その得体のしれない施設に足を踏み入れる。手紙によると「利用する権利」を有しているらしいので不法侵入で捕まることは無いだろう。


「いらっしゃいませ。ご利用は初めてですか?」


 入口正面にある大きな受付に居た従業員と目が合う。


「あ、はい。あのー、こういうお手紙を頂きまして」


 声を掛けられて動揺し咄嗟に鞄から例の封筒を出すと従業員は合点のいったような顔をして「初めてのお客様ですね」と言って机の下から問診票のような物を取り出した。


「こちらへご記入をお願いします」

「え?えっと……」

「当図書館の利用をご希望ですよね?」

「い、いや!その……」


 問診票の上には「利用者登録」という文字が躍る。流されて記入してしまいそうになったが、まだこの「人生図書館」なるものがどんな物なのかすら分かっていないのだ。あの「怪しい手紙」を思い返すと何かの詐欺なのでは無いかとすら思えてくる。いきなり登録する訳には行かない。


「もしかして、当図書館をご存じない?」


 背後から女性の声がした。振り返ると書類を抱えたいかにも「仕事が出来る」ような雰囲気の女性職員が立っていた。


「ここへ来る前に同封されていた手紙は読まれましたか?」

「……はい」

「なるほど。信用出来ないと」


 女性の冷たい視線にドキッとする。何も悪いことをしていないのに心臓がバクバクと音を立てているのが分かった。


「まぁ、そうでしょうね。そういう方は多いですから。宜しければ私の方から説明をさせて頂きますが、如何ですか? 実際に見て頂いた方が分かりやすいかと存じます」


(話を聞くだけなら……)


 正直、パッと見て帰ろうと思っていた。ただ、もしも手紙の内容が本当ならば見てみたいとも思ってしまったのだ。


「お願いします」


 俺の返答を聞いた女性職員は「分かりました」と言うと図書館の奥にある個室スペースへ案内した。個室スペースへ向かう間に館内を観察すると不思議な点に気づいた。「図書館」と名乗っているにも関わらず館内に「書架」どころか「本」すら見当たらないのである。

 大きな受付の横にはカーペット敷きの歓談スペースがあり、その奥にはずらりと個室が並んでいる。個室のドアには札が掛けられており外から利用の可否が分かるようになっていた。


「こちらへどうぞ」


 利用可能な個室を見つけると女性職員は扉を開けて中に入るように促した。中に入ると机が一つと椅子が二脚、小さな面談室のような作りになっている。


「では、初めに確認なのですが手紙の内容についてどこまで理解していらっしゃいますか」

「理解と言われても……本当にあんなことが可能なんですか?」

「はい。これは全ての国民に等しく認められた権利です。一生に一度だけ人生を『修正』出来る。それが当図書館のサービスとなっております」


(直接聞いても理解できない。ドッキリとかじゃないよな?)


 手紙の内容はこうだ。


『これは全ての国民に等しく認められた権利です。人生図書館では人生の修正サービスを行っております。利用回数は図書館の利用者カードに印字されておりますのでご確認ください。修正利用可能範囲はカードの色によって分類されます。


【白】人生への影響度が「小」の出来事

【銀】人生への影響度が「中」の出来事

【金】人生への影響度が「大」の出来事


 アクセス方法はこちら――』


「人生の修正って一体どんな……まさか過去を変えられるとか言わないですよね」

「おっしゃる通りです」


 俺が冗談を言うような顔でへらへらと笑いながら聞くと女性職員は真顔で答えた。……嘘だろ。本当に?


「お客様ご自身の目で見て頂いた方が早いので、只今お客様の『本』をお持ちしますね。利用者カードをお借りしても宜しいですか」

「は、はい」


 女性職員の気迫に押されて財布の中に入れていた白色の利用者カードを手渡す。女性職員は「少々お待ちください」と言って個室を出ていった。


(過去を変えるってそんなこと出来る訳ないよな。魔法じゃあるまいし……)


 そんな非現実的なことが起こりうるのだろうか。もしかして狐にでも化かされているのか。それに俺の「本」って何なんだ? 頭の中に疑問が湧いては消えていく。疑問を反芻していると5分ほどで女性職員が戻ってきた。手には何やら「本」らしきものを携えている。


「こちらがお客様の『本』になります」


 女性職員に手渡された本は何の変哲もない「本」のように見えた。表紙は紺色の布張りでがっしりとしたハードカバー。何かの専門書みたいだというのが第一印象だ。背表紙には俺の名前が金の箔押しで印字されている。

 中を開くと少しだけ色焼けした紙にぎっしりと文章が羅列してあった。目に入った文章を読み進めるとすぐに「あれ」とページを捲る手が止まる。


(これって……)


 小学校の運動会で一等賞を取ったこと、第一志望の大学に落ちたこと、昨日仕事で失敗をしてやけ酒をしたこと。どれも見覚えがある――いや、俺の人生の出来事が「全て」そこに書き記されていたのだ。

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