第12話 秘された本心

「会うのが初めてなのも当然だよ。滅多に人前に姿を出す方じゃない」

「俺は聖マートリア教会には詳しくありませんけど、確かに綺麗な人でした。それで『遺産』の秘匿ですか……」

「あとは魔法書の類だね。禁呪に関するものばかり」

「……もう一度言いますけど、大問題じゃないですか」

「そうだよ。調べてみれば、教会の上層部で禁術を使える人間はかなりいるんじゃないかな?」

「だからあなたの禁術の知識は豊富なんです?」

「あー、それとは無関係だね。でも」


 一本指先を立てたルシルが、横目でフィリップを見上げた。


「禁術と言ったって、要は人間に害を及ぼす人体副属の総称だろう。人体副属に通じた聖マートリア教会の権力を削ぐために魔術塔と国が勝手に決めただけの決まりだ。守っている人間は少ないんじゃないかな? かく言う君だって、簡単なものなら禁術も使えるだろう?」

「それはまあ、要は人体副属ですからね。慣れれば。でも、使えるのと使うのとでは全く違う問題ですよ」

「まさに、私が問題視しているのもそこだよ」


 鼻で笑ったルシルは、立てた指先を、自らの胸元に突き立てた。


「悪用する輩もいてね。とはいえ」

「魔法なんて使い方次第、ですか」

「覚えが早くて嬉しいね。そういうことだ。禁術を使わなくたって、治癒系統に反転の接頭式で所謂呪いのような効果だって得られる。禁術の定義なんて曖昧だよ。行政が関わってるんだ」

「まあ、それはそうですけど」


 何が聖マートリア教会だ、って感じですね。

 そう呟いて息を吐き出したフィリップは、そのまま何気ないふうを装ってルシルに話しかける。


「そういえば、こういうふうに教会の話を師匠がするの珍しいですね」

「ああ、そうかもね。私もあまりしないようにしていたと思う」

「それは、昔を思い出すからですか?」


 フィリップの言葉に、ルシルは苦笑する。そしてわずかに笑いを含んだ声で言った。


「聞きたいことがあるなら、堂々と言ったらどうだい?」

「……それは」


 言葉に詰まったフィリップの顔を見上げたルシルだったが、強い日差しに目を焼かれ、仕方なく視線をずらす。暑さに目を細めて、額を拭った。


「師匠は、本当に後悔してないんですか。聖マートリア教会を抜けたこと」

「今の話を聞いて、それでも私が後悔していると思うのかな? ……いや」


 言葉の途中で再びフィリップへと一瞬視線を送り、その表情を目にしたルシルは言葉を続けた。


「私が教会を貶めることで、教会への未練を断ち切ろうとしていると、そう思っている?」

「……その可能性は、あると思っていました」

「なるほどね」


 その言葉にルシルはわずかに目を細め、ふっとその笑みを消した。

 言い表せない影を含んだその表情に、フィリップは一瞬息を止める。

 

 こんな顔を見たのは初めてだった。

 フィリップの知るルシルは、いつだって、悪戯をするときのような楽しそうな笑みを浮かべていたものだったのに。


「君にずっと言っていなかったことがある」

「……」

「ああ、そう身構えないで。君にとって悪い話ではない、と思う」


 ルシルの指先が、胸元へと伸びた。

 目に見えぬ聖女の証マートリア・エンブレムをなぞった白い手は、虚空を掴むように強く握りしめられる。


「私が教会に入った理由は、聖女への憧れでも、民のために尽くしたいという高尚な意志でもなく……復讐の、ためだから」

「……復、讐」

「そう。詳しいことは話さない。君を巻き込みたくはないからね」


 まあ、もうほとんど巻き込んでいるようなものだけれど。

 その普段は朗らかな声に自嘲を滲ませたルシルに、思わずフィリップは手を伸ばした。


 ルシルは信じられない気持ちで、硬く握られた自分の手を見つめる。

 両手で包み込むようにしてルシルの手を握りしめたフィリップは、縋るような眼差しでルシルを見つめた。


「教えてください」


 答えないルシルに、フィリップはなおも言い募る。


「巻き込むって、俺は師匠のためなら巻き込まれたいです。それに、俺のせいで師匠は教会から追放されて、師匠は復讐から遠ざかったはずだ。それは俺に責任があるんじゃ」

「そんなこと、ない」


 思いの外強いルシルの声に、フィリップは驚いて言葉を途切れさせた。


「そんなこと、ないんだよ。遠ざかって、いない」

「俺のために気を遣わなくても結構です! 師匠――」

「遠ざかっていないんだよ!」


 ルシルの大声に、ばさばさと鳥たちが飛び立つ羽音が響いた。

 一瞬の喧騒の後、馬車の中は無言に包まれる。


 先に口を開いたのは、ルシルだった。


「……ごめん」

「いえ」


 フィリップは、内心の動揺を押し隠し、努めて淡々と答える。

 初めてだった。ルシルがフィリップに対して声を荒らげたのは。

 座席の上で身体を丸め、決してフィリップと目を合わせようとしないのも。その肩が、激情を堪えて微かに震えているのも。

 全部、初めてだった。


「……すみません」

「君は悪くない」


 君は、をことさらに強調して、ルシルは言った。

 フィリップは黙って、ルシルを見下ろす。重苦しい空気に、自然と背筋が曲がりそうになる。


 かける言葉を互いに持たぬまま、ゆっくりゆっくり、馬車は進み。

 日が落ちる前には、目的の土地に辿り着いた。そうして、


「部屋が一つしかない!?」


 物語ならお決まりの状況に絶叫するフィリップと、一瞬驚いたもののすぐにお気楽な顔をしたルシルの姿があった。

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