第11話 大聖女ルフェリア

「いやあ、暑いねえ」


 気の抜けた声。ごとごとと乾いた音を立てて走る馬車の中に、人影が二つ。

 一つは女性。身体の線が見えない大きなローブを羽織り、長い髪の毛をだらしなく座席に広げながら、席を二つほど占領して横になっている。

 もう一つは男性。向かいにいる人間とは対照的に、ぴしりと背筋を伸ばし、座席に横たわる人間を見下ろしている。


「そんなに暑いですか」

「君は暑くないのかな」

「俺の生まれはちょうどこの近くですからね」

「ああ、寄って行きたいかな?」

「大丈夫です」


 生まれ育った孤児院の、古びた建物を一瞬思い浮かべ、フィリップは首を振った。確かに生まれ育った場所ではあるが、あまり良い思い出のある場所でもない。


「北に向かっているのに、なんだってこんなに暑いんだ」

「ちょうど山脈に遮られてますからね、この辺りは雨が降らなくて暑いんですよ。もう少し進めば、ましにはなります」

「期待してるよ、でないと干からびそうだ」


 はあ、とわざとらしく溜め息をついたルシルは、ごろりと姿勢を変える。けれどもう座席のほとんどは体温で温まりきってしまっていて、冷たさは全く得られなかった。


 冷たい座席を求めてフィリップの隣へと手を伸ばし始めたルシルを、フィリップが冷たく一瞥すれば、一瞬でその手が引っ込められる。


 その指先には、いくつかの指輪。首にも、大きな魔石のついた飾りがかかっている。それらは全て、あの後リルが作り上げた護身用の魔術具だ。

 肩が凝る、などとぼやきつつも、ルシルはそれを身につけることを拒まなかった。その事実に、まだルシルがフィリップに守られてくれるという事実に、フィリップは密かに安堵したのだ。


「目的の村まではどれくらい?」

「そうですね、半日はかからないと思いますが」

「半日! 干物になったら食べても良いよ」

「やはり孤児院によりますか? あそこなら冷たいものがあると思いますが」

「あんなところにあるのに?」

「風の噂によると、最近教会から冷蔵の魔道具が贈られたらしいです。孤児たちは死ぬほど喜んでますね」

「たまには教会も良いことをするものだね」


 この話題は終わり、とばかりに両手を叩いたフィリップは、その音に驚いて飛び上がったルシルをじとりと見つめた。


「それで、あなたはどうやって転移門を使う許可をもぎ取ってきたんですか」

「もぎ取ったなんて、人聞きが悪いことを言わないでくれないか」

「教会が転移門を外部の人間に使わせたなんて聞いたことがありません。『遺産』でしょう、あれは」

「まあまあ、良いじゃないか。ちょうど例の村の近くに支部があったんだから、使用しない手はないだろう? おかげで調査が捗る。まともに移動したら何ヶ月かかるか。でも君に無理はさせたくないしね、転移系統は魔力の消耗が激しいんだから」

「使用しない手はないって、あなたは……」


 はあ、とわざとらしく息を吐き出して、ルシルを睨む。


「レイテさんと2人で話していたと思ったら、この話だったんですね?」

「いいや? 彼女とは少しばかり世間話を、ね」

「嘘が下手くそですね。世間話なんてできる人間ではないでしょう、彼女は」

「そう悪く言わないであげてほしいな。あの教会の中にいればどんな聖人でも腐る」

「そんなにひどいんですか?」


 反射的に聞き返してから、フィリップはすぐに後悔した。

 それはきっとルシルにとって、酷く繊細なところだと思うからだ。咄嗟に訂正しようと口を開きかけ、けれど言葉が見つからずに押し黙る。


 そんなフィリップの様子をルシルは気にすることもなく、ただ身体の力を抜いたまま、ゆっくりと口を開いた。


「力を使う方向を、間違えているとしか思えない場所だよ。君も知っての通り、聖教会にはありとあらゆる力がある。それは聖女たちの実力もそうだけど、それ以上に、『遺産』や魔法書の数々だ」


 今の人間には到底作ることができないほど高度な術式の込められた魔術具を、人はこう呼ぶ。

 遺産、と。


 作り方は言うまでもなく、誰が作ったのかさえ誰も知らない。ただ一つ言えるのは、それは魔力を注ぐと稼働し、そして絶大な力を発揮するということ。


「転移門はもちろん知っていますが、まさか教会には他にも『遺産』があるんですか?」

「そう。しかも負の『遺産』と言って良いものが、ね。そしてそれが知られていないというのが、何よりも教会を象徴していると思わないかい?」

「……『遺産』の秘匿ですか。なるほど……ってそれ、俺に言って良いことなんですか?!」

「まあ、大丈夫でしょう」


 あっけらかんと答えたルシルは、暑さに顔を顰めると、再び体勢を変える。


「教会の中でも秘密事項さ。私が知っているということは、ルフェリア聖下なんかは知らないだろうね」

「尚更大問題じゃないですか」

「君なら大丈夫だろう?」


 圧倒的な信頼を孕んだ目を向けられ、フィリップはうっすらと微笑んだ。

 

「それはもちろん、ぺらぺらと言いふらすような口はしていませんが。……そういえばルフェリア聖下といえば、俺初めて会いましたよ」

「……ああ」


 ルシルの返事が、一瞬遅れた。ルシルの方へと視線を流したフィリップは、ルシルの胸元の空白へと目を止める。


 ――我らが尊きお方、天地あめつちの御使いにして衆生の導、ルフェリア聖下にご挨拶申し上げます。


 挨拶をふんわりと微笑んで受けとったルフェリアは、作法通り跪き、胸元の聖女の証マートリア・エンブレムを捧げるように持ち上げた他の聖女たちには目もくれず、フィリップたちの方へと真っ直ぐに歩いてきた。

 

 『遺産』転移門前。

 移動直前、あと一歩で転移門の中に入るという瞬間になって、大聖女ルフェリアの訪れを告げる鈴の音が響き渡ったのだ。

 その音が聞こえた瞬間にルシルに引きずられ、跪いた体勢のまま、フィリップはわずかに視線を上げて、ルフェリアの姿を見上げる。不敬だと思いながらも、気取られないように気をつけながら、フィリップはその姿を見ずにはいられなかった。


 白い人だった。

 全身を聖花マートリアの刺繍がびっしりと施されたローブに包み、音もなくその場に立っている。人間とは思えぬ真っ白な肌は、北方の雪国の生まれ故か。整った顔立ちに、ゆるやかに浮かべられた慈愛に満ちた微笑み。

 差し込む光にぼんやりと浮かび上がる銀色の髪の上で、むせかえるような芳香を漂わせる聖花マートリアが揺れていた。


「あらお久しぶりね、ルシル」


 凛とした声は、聖マートリア教会の空気を震わせる。嫌な予感が、フィリップの全身を駆け抜けた。


「ルフェリア聖下にございましてはご機嫌麗しゅう。年頃頼りも奉らぬ不義理をお許しください」


 淀みないルシルの口上に、『遺産』の安置された大聖堂は張り詰めた緊張に包まれた。

 ルシルが元聖女であり、折り合いが悪く聖マートリア教会を追放されたことなど、聖女であれば誰でも知っている。現に、この場にルシルを連れてきた張本人であるレイテは真っ青になって震えていた。


「いいえ、あなたも忙しかったのでしょう?」

「この地を遍く照らす太陽の如き温かい御心に感謝申し上げます」

「いやあね、硬いわよ、ルシル。私とあなたの仲じゃない」


 鈴を転がすような笑い声を立てたルフェリアは、すでに起動され、移動を待つばかりになっていた転移門へと目をとめた。


「これから移動なの? だからルシルはこんなところまで来たのね?」

「恐れ多くも――」

「だから、そういうの良いのよ、ルシル。邪魔してごめんなさい、すぐに行くわ。懐かしい顔がいると聞いてつい来てしまっただけなのよ」


 そう言ってルフェリアは踵を返す。後について歩いていた聖女たちが、銀鈴を高らかに奏でた。


「我らがルフェリア聖下に、神のご加護が在らんことを」

「ええ、ありがとう」


 遠ざかっていくルフェリアの足音を、誰もが息を止めて聞いた。

 その音が消えた後も、しばらく誰も動けなかった。全てが凍りついたような世界の中で、微かに衣擦れの音が響いた。


「フィル、行くよ」


 その時のルシルの声は、フィリップが今までに一度も耳にしたことのないものだった。

 限界まで薙いだ、凪のような声。一切の感情を宿さぬ、無機質な低音。


 一瞬の間のあった返事に、そんなルシルの声を思い出したフィリップは、さりげなくルシルの表情を観察する。

 だが、今のルシルの表情に変わったところはなく、暑いと騒いでは片手で自らを仰いでいるだけだ。

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