第10話 恋心との向き合い方
フィリップも、身を乗り出してその紙を覗き込む。地図にびっしりと打たれた細かい点に目が眩みそうになって、思わず顔を引いた。そして、気がつく。
「見事に温度分布に沿ってますね」
「そういうこと。少なくともこの寄生魔物の生息条件は温度だ。そして、ここ」
ルシルは地図の一点を指差した。
そこは小さな村のようだったが、明らかに、点が密集していた。勢いよく顔を上げたフィリップの目に浮かぶ尊敬の眼差しを、ルシルは胸を張って受ける。
「納得してもらえたかな」
「はい」
大きく頷いたフィリップは、思い出したように続けた。
「だから、あの時師匠は止めたんですね」
「そう。寄生魔物は、一度宿主が変わってしまうと面倒だからね。あの魔法じゃ、魔物は殺せても寄生魔物を殺せる保証はない。あそこにいた聖女の誰かに寄生されたら、まさか殺すわけにはいかないんだから大惨事だ。危険だし、何をしても聖マートリア教会の権威が危なくなる。寄生魔物の存在に気がつかなければ、人目に付かないように生涯監禁されてもおかしくないね」
その言葉に、聖女たちが身を震わせた。
仲間内で視線を交わし合い、ルシルへと視線を戻す。その目に宿る光は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
「納得しました、が」
フィリップは目を細めた。
「もう無茶はやめてください」
「善処するよ」
「……魔術具を増やしますからね」
「……はい」
肩が凝るんだよ、とぼやくルシルを、フィリップはひと睨みで黙らせる。
「あの」
部屋の空気を震わせたか細い声に、フィリップは振り返った。
「私でよろしければ、魔術具、お作りしましょうか」
リルだった。その両手の中に包まれた小さな魔術具を2人に向かってかざしながら、リルは続ける。
「あの、大したものではありませんが、今回のルシルさんの怪我は、寄生魔物に気が付けなかった私たちの責任でもありますので、どうか受け取ってください。ルシルさんのためにも、追加で作ります」
「リルさんは、魔術具が作れるのかい?」
本気で驚いた、というルシルの声に、リルははにかんでこくりと頷く。
魔術具、魔道具の作成は、魔術の行使とは似て非なる作業だ。
普段組んでいる術式を物に組み込むだけなのだが、言うほど簡単な作業ではない。本来なら専攻の魔術師が行う作業のはずだが、リルはできると語る。
「見せてもらっても良いですか?」
「は、はい!」
フィリップはリルの手から魔術具を受け取ると、ゆっくりと手の中で検分する。ごく微量の魔力を流せば、それはほんのりと輝いた。
「初歩的な結界ですが、信じられないほど魔力効率が良いですね」
「魔力の少ない私でも使えるように調整しました。これはおっしゃる通り、簡単な所謂結界、運動属を中心に熱属や位置属を織り交ぜた物ですが、時間さえ頂ければもっと複雑な物でも作れます。フィリップさんのように魔力が豊富な方ですと、少々魔力は使いますが人体副属系を混ぜれば継続治癒も可能になるかもしれません」
途切れのないリルの言葉に、ルシルは微笑む。
「さすが。好きなんだね、魔導具作り」
「はい! ……あ、えっと、申し訳ありません」
「どうして謝るのかな? そういうリルさんの方が、私は好きだけれど」
「……はい。ありがとうございます」
「……全く、うちの師匠は何人たらしこめば気が済むんですかね」
こっちは気が気じゃないんですよ、はいそうですよ、余裕ないですよ。
聞こえよがしなフィリップの言葉に、聖女たちの中にざわりと動揺が走る。もしかして、という呟きを聞き留めたフィリップは、身体ごと振り返ると、はっきりと告げる。
「この際だから牽制しておきますけど、師匠は俺がもらいますから」
「フィリップさん、余裕のない男は嫌われるわよ」
深い紅を引いた唇を皮肉げに歪めて、レイテが口にする。そちらに視線を送ったフィリップは、堪えた様子もなく平然と言い放つ。
「余裕も無くなるほど、俺が師匠を好きだということです。それくらい愛されてみたくないですか?」
「そういう割に相手にされていないようだけど?」
「ちょっとレイテ先輩!」
後ろに立っていた聖女たちがレイテの袖を引く。その様子を黙って見つめていたフィリップは、一つ溜め息を吐くと、リルに声をかけた。
「ありがとうございます。これ、返しますね」
「い、いえ。……それで、その」
「はい、できればお願いしたいところです。ここまでの腕前の魔術具士には中々お目にかかれませんので。後で詳しく話を聞いても?」
「はい!」
ぱあ、と顔を輝かせたリルと、つられたようにわずかに微笑みを浮かべてみせたフィリップを、ルシルはぼんやりと見つめる。
リルは可愛い女性だ。
短く切り揃えた淡い色の髪は肩の辺りで揺れ、そのふんわりと丸い輪郭を覆い隠している。
小柄で動きもちょこまかと可愛らしく、ルシルは部屋に住み着いていた小動物たちを思い出した。
一方でルシルは。
淡いというよりも薄い色の髪に、取り立てて整っているわけでもない顔立ち。特に手をかけているわけでもないのだから当然のことだけれど。
そして何より絶望的なのが、自立しすぎている性格と女性らしさのかけらもない態度。
歩んできた道を後悔したことはないけれど、時折道を間違えたのではないかと思うこともある。
「――君、女性の趣味が悪いよ」
聞こえないことを承知で、ルシルは呟く。視界の端に、レイテの視界からルシルを遮るようにして立ち、長い髪を揺らしながら何事かを力説するフィリップの姿が映っていた。
「どうすれば、良いんだろうね」
ずっと茶化してきたのは、良くなかったと思う。
けれどルシルにはあまりにもそう言った経験がなく、その気持ちを知った時も何を言うべきかなど全くわからなかった。答えは要りません、分かってるので、というフィリップの言葉に甘え続けてきたのは、やはり良くなかったのだ。
とはいえ、今は、ああして断ることが正解だったとも思えない。
ルシルは視線を上げて、フィリップの後ろ姿を見つめる。
――相手にされていないようだけど?
売り言葉に買い言葉というのが明白なレイテの言葉に、フィリップは軽く鼻で笑ったけれど。
ルシルはその美しい瞳に一瞬影が宿ったのを見逃すほど、鈍感な人間ではない。
幸せになってほしい。ただ、それだけで。
「……何も、分からない」
ゆるく束ねた髪の先を指先でくるくると回しながら、ルシルは目を閉じた。
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