第4話 魔物との遭遇

「あの魔物、どう思う?」

「……そうですね。体内魔力の性質といい姿といい、予想していた通りの魔物で間違いありません。しかし」


 そこで言い淀んだフィリップに、ルシルが物問いたげな視線を送る。


「しかし?」

「あくまでも俺の感覚ですが。調べた情報より身体も大きいですし、凶暴さも速度も威力も、正直想定以上で。群れの上位個体だったりするのでしょうか?」

「分かっているだろう。あの魔物は群れを作らない」


 もう一つ、咆哮。


 勢いよく地面を蹴った魔物の足元で、土が弾ける。轟音と猛風を巻き起こしながら、少しだけ離れたところにいる聖女たちに向かって突進した魔物だったが、すんでのところで聖女たちがかわす。

 逃げ遅れたと思しき1人の聖女の姿を、魔物がその真紅の双眸に映した。狙いを定めたのだろう、逃げ出した他の聖女たちに構うことなく、勿忘草色の髪を短く切りそろえた彼女の姿だけを追う。


 援護のために片手を上げかけたフィリップは、目の前に出てきた白い手にぴたりとその動きを止めた。


「……彼女、良い動きをしている」


 逃げるその聖女に目を戻せば、足こそ早くないものの、危なげなく魔物の攻撃をいなしているようだった。

 いや、彼女が逃げているというよりも、むしろ、魔物の攻撃が当たっていない、という方が正しいのかもしれない。


「……もしかして」

「わかったかい、フィル?」

「おそらくですが。熱属の術式なのは先ほどの聖女たちと同じですが、彼女、加工系統で周りの空間に熱の壁を作ってますね。ゆらぎで魔物の視界を乱しつつ、熱源を増やすことによって位置を悟られにくくする、良い手だと思います」

「私が使いそうな手だろう? 弟子に欲しいな」

「やめてください。妬きますよ」


 近くで、甲高い音がした。大量の魔力を込めている時に、余剰分が変化して発生する、耳が痛くなるような音。

 それを聞いた瞬間、ルシルは勢いよく顔を跳ね上げた。すぐに、その一点を睨みつける。数人の聖女がまとまって、一つの術式を練っているようだった。今までと同様に力技のような術式だが、機能に問題はない。当たれば、あの硬い皮膚も破れるかもしれない。

 

「あの聖女は囮、と、そういうことですか?」

「……」


 返事がないのを訝しく思い、フィリップは視線を横へと流した。

 ルシルはまっすぐに魔物を見つめており、フィリップもその視線を辿ってもう一度魔物と、対峙する小柄な人影を見つめる。

 その時、異変は起きた。


 急に魔物が動きを止めたかと思うと、くるりと踵を返したのだ。

 今まで執拗に1人の聖女を追っていたのが嘘かのように、ぴたりと動きを止める。そうして数度首を振って視線を彷徨わせ、引き返すように数歩下がる。


「フィル」

「何でしょう?」

「結界を解除して」

「……何言ってるんです?」

「いいから!」


 ルシルのらしくもない焦った声に、フィリップは覚悟を決めて術式を解く。

 その瞬間、真紅の光が、真っ直ぐに2人へと向けられた。


 地響きのような、低い唸り声。荒い息の吐き出される口から、濁った唾液がこぼれ落ちる。

 はっきりとルシルの姿を捉えた魔物は、矢が放たれるかのように、一縷の迷いもなくルシルへと突進してきた。


「師匠! 結界を戻しても!?」


 その声は、ルシルの耳へと届かなかった。

 同時に、更に音量を増した甲高い音が響き渡ったからだ。フィリップが咄嗟に視線をやれば、更に数人の聖女が加わり、高い魔力を含んだ光球が震えていた。


「待ちなさい!」


 ルシルの絶叫に、術式を練っていた聖女たちは顔を上げた。だがルシルの姿を捉えると、軽蔑したような笑みを浮かべ、すぐに手元に視線を戻す。


「殺すな!」


 けれど聖女たちはルシルの言葉に一切耳を傾けることなく、黙々と魔力を込めていく。

 音がさらに大きく、高くなった。さすがに異変に気がついたのか、魔物が真紅の瞳をそちらに向ける。


 フィリップは地面を蹴った。浮遊系統の術式を複数操り、聖女たちの元へと向かう。

 ルシルの意図は分からない。けれど、ルシルがそれを止めようとしているというだけで、フィリップが動くには十分だった。


「止まりなさい!」


 ルシルの頬を、一筋の汗が流れた。ちょうど真上に上がった太陽が送り込んでくる、強烈な日差しに目を細めながら、さらにルシルは叫ぶ。


「打つな!」

「師匠!」


 フィリップは咄嗟に足を止め、ルシルに叫びかけた。けれどその距離は遠く、言葉は甲高い音にかき消される。ルシルはフィリップに顔を向けることなく、なおも聖女たちに向かって叫び続けていた。

 嫌な予感が、フィリップの胸を焦がした。


 爆発寸前までに高まった魔法が、ぴたりと魔物に向けられる。

 

 何も考えず、フィリップはルシルの方へと走り出した。頭の中で警笛が鳴り響くがままに走り、ルシルの手を握ろうと手を伸ばす。

 けれどすんでのところで、その手はルシルの腕をすり抜けた。


 走り出したルシルは、迷わず、魔法と魔物の間に身を踊らせる。


 目も眩むような閃光が視界を焼いたのは、その一瞬後のことだった。


「師匠!?」


 フィリップの悲鳴のような絶叫を最後に、ルシルの意識は途切れた。

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