第3話 拗らせきった片想い

「フィル! ちょっと止まって」

「師匠は俺をなんだと思ってるんですか」

「俺から離れないように、なんて言ったのは君だろう」

「それと俺を馬車のように扱うのは違う話です」


 魔物が出たというバラッタ山脈、頂上付近。

 木々が鬱蒼と生い茂り、夏の強烈な日差しを遮っている。しかし、所々に土が抉れたような跡が残っており、木が倒されている部分にだけは日が差し込んでいて、その部分だけ一際輝いて見えた。

 そこで起きたであろう惨状を思って、フィリップは一つ溜め息をつくと、背中に背負っていたルシルをそっと下ろした。

 そのまま何事もなかったかのように立ち上がり、木を調べ始めたルシルの後ろ姿を、フィリップは黙って見つめる。

 その手が無意識に自らの唇をなぞったところで、フィリップははっと我に返った。


 口づけようなどと、そんな大それたことを考えるわけがない。

 ただ、ルシルの姿を、慣れている、といつもの気軽な調子で笑い飛ばしたルシルの姿を見て。気軽な調子を装いながら、その表情に滲む微かな悔しさを見て。

 フィリップが気にしないようにと、思ってもいない強がりを言うその口を、塞いでやりたいと、そんな乱暴な感情が胸を覆って、


 気がつけば、その唇を奪っていた。


「フィル! 上の方が見えないから、少し持ち上げてくれないかな」

「今度は梯子代わりですか」

「誰もそんなこと言っていないだろう。せいぜい踏み台くらいさ」

「師匠!」


 いつにもまして口数が多いくらいで、ルシルの様子に変化はない。

 気にしているのは自分だけかと、フィリップはやるせ無い気持ちで視線をめぐらせる。少し離れたところで同じように調査をしている聖女たちの姿をぼんやりと眺めながら、思う。


 気まずくなったら嫌だ。よそよそしくされるのは辛い。

 けれどこうして、何も気にしていないという態度を取られるのも、何かと男として情けない、気もする。


 ぐったりと肩を落とし、一つ息をつくと両手でルシルを持ち上げる。

 その羽のように軽い身体に、暴れ回る心臓とほんの少しの下心を押さえつけて、フィリップはルシルに声をかけた。


「これで良いですか」

「……うん、そうだね」


 答えまでに、一瞬の間があった。訝しく思って顔を上げたフィリップと、ちょうど見下ろしてきていたルシルの視線がぴたりと会う。

 その瞬間、さっとルシルは視線を逸らした。ルシルは集中しているふりをして、太い木の幹を指先で辿る。


 不意に、指先に引っ掛かるような感覚があって、ルシルは手をとめた。

 陽の光にかざしてみれば、それは体毛だった。黒光りするそれは、きっと魔物がここを通った時についたものなのだろう。


「……違う」


 木の幹に視線を戻したルシルは、けれどすぐに自らの考えを否定した。


「量が多すぎる」


 幹一面に、大量に付着した短い毛。間違っても、通り過ぎた時に引っかかったような量ではない。

 まるで、全身を木に擦り付けたような――。


 突如として、巨大な咆哮が森を震わせた。


「フィル!」


 言われるまでもなく、フィリップはすぐに周りに結界を巡らせる。ぐらりと身体を傾けたルシルをフィリップが咄嗟に両手で受け止めた瞬間、遠くで切羽詰まった声とばきばきと木の折れる音がした。

 先ほどまでと同じように、自らに強化系統の術式をかけ、ルシルを抱いてフィリップは走り出した。


 すぐに、現場に到着する。


 驚くほど大きな魔物だった。資料で見た大きさより、軽く一回りは大きい。

 ルシルは自らを抱き上げたままのフィリップの腕を軽く叩くと、力の抜けた腕から滑り降りる。


「師匠、結界から出ないでくださいよ!」

「当たり前でしょう。一歩ここから出たら、死ぬよ私」

「わかっているなら、お願いですから大人しくしててくださいね」


 いざとなったら、ルシルは飛び出す。

 それがわかっているフィリップは、油断なく目を光らせている。


 一つ、咆哮。


 近くにいた聖女たちの集団に向かって飛びかかった魔物に向かって、数本の閃光が飛ぶ。けれど一向に堪えた様子のない魔物は、閃光の当たった場所を確認するように鼻を寄せ、けれどすぐに聖女たちへと向き直った。

 それを見て勢いづいたのか、遠くからも数本の閃光が飛ぶが、一向に効いた様子はない。


「……あの聖女たち、基本的な、熱属攻撃系統魔術ばかりです。しかもただ魔力を変化させているだけで、体内魔力の分留さえ怪しい。あれでは属性が混ざって効果を打ち消し合うだけです。練度が低すぎる」

「基礎がなっていないね。戦闘用に無理やり、魔力変換の術式だけ教え込まれているという感じだ。聖女試験の倍率も下がっているというし、質が落ちているというのは、本当だったか」

「そうですね。援護しますか?」

「……少し待って。でも危険が及ぶようだったら、援護ができるように準備を」

「はい」

 

 フィリップがちらりと横目で見ると、ルシルは食い入るように戦況を見つめていた。

 こんな時であるというのに、フィリップはその横顔から目が離せなかった。


 自由気ままで、いつだって飄々としていて。

 けれどこの人の横顔は、本当に綺麗だと、フィリップは思うのだ。


「あの魔物、どう思う?」


 唐突なルシルの問いかけに、フィリップは我に返った。

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