第25話 同衾

 アニエスの部屋に入ると、ライゼルは言葉を失った。


 備え付けの家具やベッドはあるも、それ以外は何も置いていない。


 私物はおろか、部屋のゴミ箱も空で、生活感の欠片もない有様だった。


 放っておくと消えてしまいそうな、そんな危うさを感じさせる部屋だ。


「お前……部屋片付きすぎだろ。少しは私物くらい置いておけ」


「も、申し訳ありません。先ほどまで出立しようとしていたもので、気合を入れて掃除を……」


 アニエスが申し訳なさそうに小さくなる。


 責めているわけではないのだが、そう縮こまられるとこちらが悪いことをしている気分になってくる。


「……まあ、これから増やせばいいからな。気にしなくていいからな」


「はい。そのつもりですから」


 これから私物を増やすと堂々と宣言するアニエス。


 そのうち別の家を与えようと思っていただけに、あんまり居つかれてもそれはそれでめいわくなのだが。


(さて……)


 問題はライゼルとアニエスのどちらがベッドを使うかだ。


 当然、屋敷の主であるライゼルにベッドを使う権限があるのだが、それではライゼルはアニエスのベッドを奪い部屋から追い出した、冷血漢になってしまう。


 ではソファで寝るという手もあるが、それではこちらが気を使ってあげているようで、どうも癪だ。


 どうしたものか……


 ライゼルが一通り思案しているわきで、アニエスが服を脱ぎ始めた。


「ちょっ、何で脱いでるの!?」


「床に着くのなら、肌着になるものでしょう」


(ていうか、寝る気かよ、ここで!)


 ライゼルとしては、自分がベッドで寝ている間、アニエスが寝ずの警護をしてくれるものだと思っていた。


 しかし、見ればアニエスも寝る気満々ではないか。


(俺の警護をするって話はどこにいったんだよ! ……あ)


 そこまで考えて気が付いた。


 ……まだ証拠隠滅が終わっていないことに。





 平然を装いライゼルの前で服を脱ぐも、アニエスは内心緊張していた。


 この状況、普通に考えたら誘っていると思われてもおかしくはない。


 たしかに自分はライゼルに忠誠を誓った身だ。


 ライゼルのために身命を賭して仕えるつもりだし、ライゼルが望むのなら、身体を差し出すこともやぶさかではない。


 ……いや、むしろそうなることを望んでいる。


(ですが、さすがにこれは……)


 薄布一枚の姿になると途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。


 その場から逃げ出したい気持ちに駆られ、顔を背けてしまう。


「あ、あの。やっぱり、その……」


「動くな」


「へ?」


 真剣な面持ちのライゼルが近づいていく。


 ああ、きっと今夜奪われてしまうのだろう。


 大切な人に捧げると決めていた、自分の初めてが。


 いつかその日が来るものと思ってはいたが、まさかこんなに早く来るとは思ってもみなかった。


 覚悟を決め、静かに瞳を閉じると、男らしい無骨な手がアニエスの肩を掴んだ。


「っ……」


 唇を差し出し、静かにその時が来るのを待っていると──アニエスの口元をハンカチが拭った。


「……よし」


(なにが!?!?!?!?!?)


 決死の覚悟を決めていたアニエスの脳裏に、大量の疑問符が浮かぶ。


「あの、何を……」


「口元にミルクの跡が残ってたぞ。……危うくホットミルクを飲んだのがカチュアにバレるところだった」


 ライゼルの冗談にアニエスの口元がクスリと緩む。


 おそらくは、アニエスが緊張してるのを見抜いて、場を和ませようとしてくれているのだろう。


(優しい人……)


 ライゼルの優しさがじんわりと沁みていく。


 おそらくだが、ライゼルはアニエスの事情をある程度把握した上で匿ってくれている。


 それ自体はありがたいが、このままいつまでもライゼルの優しさに甘えてはダメだ。


 最低限、通すべき筋を通さなくては、自分はライゼルの側にはいられない。なにより、ライゼルの優しさに付け込んでいるようで、そんな自分が許せない。


(ふぅ……)


 意を決して、アニエスがライゼルに向き直る。


「ライゼル様。大事なお話があります」


「話?」


「なぜ私がここにいるのか、です」





「私の名はアニエス・シルヴァリア。……シルヴァリア家の長女で帝国騎士団の元副団長を務めておりました」


「えっ!?」


 アニエスの告白に、ライゼルが目を白黒させた。


 シルヴァリア家という家名は聞いたことがある。かつては王族と縁戚関係を持っていたという、名門の家柄だ。


 まさかアニエスがそこの家の出だったとは……


 知り合いの冒険者に紹介されて来たものとばかり思っていたが、そもそも冒険者ですらなかったというわけだ。


「しかし、父は文官の讒言によって陥れられ、反逆者の汚名を着せられました。

 その後、私も副団長の地位を剥奪され、かつての功績と引き換えに命だけは助けられ、辺境の島に流刑されることとなりました。

 ……しかし、元より無実の罪。大人しく捕まっているつもりはありません。どうにか隙を見て脱出し、かすかなツテを頼ってこちらにやってきたのです」


 ライゼル自身はアニエスと面識はないが、ライゼルの父か、あるいは祖父がシルヴァリア家と縁があるのなら、話が変わる。


 どのような事情があるにせよ、父や祖父と縁があるなら無下にはできない。


(いや、待てよ……)


 冷静に考えてみれば、今のアニエスは帝国に追われる身。


 いくら父や祖父にゆかりがあるとはいえ、今のアニエスは罪人同然。ここに置いておけば、こちらも罪に問われかねない。


 ……なんという疫病神。


(コイツ、今からでも追い出せねぇかな……)


 と、そこまで考えて首を振る。


 こちらは先ほどまで暗殺されかけていたのだ。


 万が一、再び襲撃されたときのため、腕の立つ護衛はいた方がいいだろう。


 それに、下手なことを言えば、この場で殺されかねない。


 自分より強い相手には逆らわないこと。


 それがライゼルの処世術だ。


 それに、ただ追い出すのであれば、何も今すぐに追い出す必要はない。結論を出すのはひとまず保留にしていいだろう。


 ライゼルが今後の方針を固める中、アニエスが続ける。


「事情を知りながら匿って下さったライゼル様には感謝してもしきれません。……この御恩はかならずお返しします」


 こちらに少なからず恩義を感じているのなら利用価値がある。


 盗賊討伐にせよ、暗殺者からの警護にせよ、腕の立つ者はいくらいても困らない。せいぜい使い潰させてもらうとしよう。


 ……と、その前に確認すべきことがあった。


「……なあ、お前はどうしたいんだ」


 仇を討つために協力しろというのなら、もちろん断る。


 こちらも借金の返済でそれどころではなく、第一、力の差は歴然だ。万に一つも勝ち目はない。


 少し考え、アニエスがこちらに向き直った。


「できることなら、仇は討ちたいです。……が、そのためにライゼル様を危険に晒すのはできません。今の私の居場所は、ここしかありませんから」


「アニエス……」


「ライゼル様がお許しになるのであれば、身も心もライゼル様に捧げ、お側にお仕えしたいと思っております」


 混じりけのないまっすぐな眼差しに、思わずたじろいでしまう。


 ……というか、今コイツは何と言った。身も心も捧げると言ったのか。


 普通に考えればそれだけ忠誠を誓ってくれているという意味だろうが、アニエスの境遇を聞いてからでは話が変わってくる。


(まさか、俺に身体を差し出して庇護を得ようとしているんじゃないだろうな)


 実家を失くし、富も地位もないアニエスが、ライゼルに差し出せるものとなると限られてくる。


 それこそ、剣の腕前か、あるいは身体を差し出すといったところだろう。


 つまりこの状況、自身の純潔と引き換えに身の安全を得ようとしているとも解釈できる。


(……卑しい。卑しすぎるぞ……)


 とはいえ、こうした露骨なセックスアピールは嫌いではない。


 正室を迎え、向こうの許可を得た後でなら、アニエスもハーレムに加えるものやぶさかではない。


 大仰に考えるフリをして、ライゼルが頷いた。


「お前の覚悟、よくわかった。……これを受け取れ」


 枕元に置いていた護身用の剣を手に取り、アニエスに差し出す。


 これらの意味するところを察し、アニエスの顔に花が咲いた。


 臣下に剣を差し出す行為は、「主の剣となり命を賭して戦え」という意味が込められている。


 すなわち、アニエスの身の上を聞いた上でライゼルが剣を差し出すというのは、それらをすべて呑み込んだ上で配下に迎えると言っているに等しい。


「謹んでお受けいたします」





 翌朝。ライゼルを起こすべく、カチュアが寝室に向かっていると、アニエスの部屋から見覚えのある姿が顔を出した。


「それじゃあ、俺は部屋に戻る」


「はい。……ですが、また何かあれば遠慮なくいらしてください。こちらの準備はいつでもできていますので」


「……部屋に私物一切置いてないやつに準備もクソもないだろ」


「ふふっ、それもそうですね」


 ライゼルの軽口にアニエスが苦笑する。


 昨日に比べ、二人の距離は明らかに縮まっており、まるで恋人同士のそれのようだ。


 ……いや、それ以前に、こんな朝早くからライゼルがアニエスの部屋にいたという状況そのものがおかしい。


 ライゼルはともかく、相手はあの生真面目なアニエスだ。


 遊びや冗談でそのようなことをするとは思えない。


 そうなると、自ずと答えは絞られてくる。


「まさか……そういうことなのですか!? 昨晩はアニエス殿と大人の階段を昇ったと……そういうことなのですか!?」

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