第24話 困ったときはお互い様

 甘い物が欲しくなって厨房に来てみれば、よりにもよって面倒くさそうな人物に見つかってしまった。


 コイツ経由でカチュアに報告されてしまうと、カチュアの雷は免れない。


 かくなる上は、コイツもこちら側に引き込むか……


 策を巡らせるライゼルをよそに、アニエスはどこか諦めたような笑みを浮かべた。


「……最初からお見通しだったのですね」


 お見通し? 何の話だ?


 話の流れは理解できないが、とりあえず知った風な顔でとぼけておこう。


「……なんのことかな」


「ご謙遜を……今夜私が発つことを見越して、厨房で待ち伏せていたのでしょう?」


 なるほど、よくわからないが、自分は実にいいタイミングでアニエスを捕まえたらしい。


 ……もっとも、ライゼルにとって最悪のタイミングではあるが。


 それにしても……


 あらためてアニエスの姿を眺める。


 こんな夜中にフル装備で屋敷を出ようなどと、ただ事ではない。


 大方、夜中にでも盗賊退治に行くつもりだったのだろうが、それにしても真面目なやつだ。


 内心でアニエスを評するライゼルに、アニエスが頭を下げた。


「お礼の一つも言えずここを離れることになるのは心苦しいのですが、すでに決めたことです。……行き掛けに盗賊を討滅しますので、私のことはどうぞお構いなく」


 やはり盗賊を倒しに行くらしい。


 だが、こちらの用事は終わっていない。


「待て」


「…………なにか?」


 裏口から出ようとしたアニエスが振り返る。


「せっかく二人分作ったんだ。お前も飲んでいけ」


 首を傾げるアニエスに、時間稼ぎしている間に作ったもう一杯のホットミルクを差し出すのだった。





 ライゼルの自室に招かれ、アニエスが椅子に腰を下ろす。


 ホットミルクから立ち昇る湯気が夜の闇に溶けていく。


「カチュアがな、うるさいんだ。夜遅くに甘い物を飲んじゃダメだって……。だがこの開拓生活だ。こうやってストレス発散でもしないと、やってられないだろ」


「はぁ」


 ライゼルに勧められるがまま、一口含む。


「……美味しい」


 ミルクのコクとはちみつの甘さが、張り詰めていた心に優しく沁み込んでいく。


「飲んだな?」


 イタズラが成功した子供のように、ライゼルがにやりと笑った。


「これで俺とお前は共犯だ。カチュアにチクったら、お前も怒られることになるんだからな」


「ふふっ……」


 ライゼルの言葉に思わず笑みが零れてしまう。


 不器用な人だ。


 素直に優しくすればいいものを、素直になれず誤魔化している。


 ウソをついて自分が優しくないフリをすることで、こちらの負担を軽くしようとしているのだろう。


 ミルクのように優しく、ハチミツのように甘い人だ。


 だからこそ、これ以上ライゼルに甘えるわけにはいかない。


 一刻も早く、自分はこの場を去らなくては。


 ホットミルクを一息に飲み干すと、アニエスは席を立った。


「ご厚意、痛み入ります。……ですが、これ以上ライゼル様にご迷惑はかけられません。短い間でしたが、私はこれで……」


 アニエスが背を向けたところで、ライゼルが呼び止めた。


「待て」


「? まだなにか……?」


「自分の顔を鏡で見てみろ」


「……?」


 ライゼルが示す先、室内に置かれた姿見にはアニエスの姿が映し出されていた。


 いったい、何を……


 そう尋ねようとして、思わず固まった。


「……!」


 鏡の中には、目に玉の涙を溜め、今のも泣きそうになっている自分の姿が映し出されていた。


(まさか、この私が、涙を……? バカな……もう泣かないと誓ったのに……)


 覚えなき罪を着せられ家族が処刑されたと知ったとき、一晩中泣き続けた。これ以上悲しいことは起こらないと思った。


 ライゼル達との別れも、いつかは起こるものと覚悟していた。


 そのために心の準備もしていたはずだ。


 だというのに、これは……


 零れそうになる涙を必死に堪え、唇を噛みしめる。


 ……自分はそれだけ、ライゼルのところに居心地の良さを感じていたというのか。


 思わず涙を堪える子供のような顔をしてしまうくらい。





(気づいてくれたかな……)


 鏡を見て固まるアニエスを見て、ライゼルは自分の目敏さを心の中で賞賛していた。


 アニエスは気づいていなかったようだが、ホットミルクを一息に飲んだせいで、口元に白い跡が残っていた。


 夜中とはいえ、こんなところを誰かに見られでもしたら、カチュアに隠れてホットミルクを飲んだことがバレかねない。


 それを気づかせるため鏡を見せたのだが――どういうわけか、アニエスは鏡から目が離せなくなっていた。


(……そんなにショックだったのかな。ミルクの白い跡が残ったくらいで)


 ともあれ、一刻も早く証拠隠滅してほしい。


 茫然と立ち尽くすアニエスに、ライゼルはハンカチを差し出した。


「これを使え」


「……結構です」


 プイとアニエスが顔を背ける。


 よく見ると、髪の奥から覗く耳が赤く染まっていた。


「……私に優しくしないでください。もう泣かないと決めていたのに……あなたといると決心が鈍ってしまう……」


 涙? 何を言ってるんだ。


 ミルクで白くなった口を拭かせようというだけで、泣きそうになってるのか?


 アニエスの情緒がわからない。


 このまま話に合わせて乗ってもいいものか、それとも一応訊いておいた方がいいのか……。


「私は一人で生きていくと決めたのです。今までも、これからも……」


 どうも話が噛み合っていないような気がする。


 ここは一度、話をすり合わせるべきだろう。


「なあ、アニエス。お前は何か勘違いしているみたいだが──」


 ライゼルが言い終わるより先に、先ほどまでアニエスを映していた鏡が割れた。


「!」


「うおっ、なんだ!?」


 反射的に近くに置いてあった剣を手に取る。


 足元には、先ほど投擲されたであろう短剣が落ちていた。


 状況からして、ライゼルを狙った犯行だろう。


(盗賊の次は暗殺者か……)


 つくづく、自分は嫌われているらしい。


 窓の外から、黒い影が三人入ってきた。


 短剣を抜き、ライゼルとアニエスに構えをとる。


「……お命、頂戴する」


 眼前に迫る短剣を避け、手にした剣で受け止める。


 刺客は三人でこちらは二人。数の上では不利だが、それ以上に気がかりなことがあった。


「アニエス、何をしている!」


「す、すいません」


 剣を構えるも、明らかにアニエスの動きが悪い。


 普段の流麗な太刀筋はなりを潜め、今のアニエスはどこか精細を欠いていた。


 ライゼルがアニエスの隣で剣を構える。


「難しい話は後だ。とにかく今は俺の側にいろ」





 突如として現れた暗殺者を相手にする傍ら、アニエスは思考を巡らせていた。


 状況からして、おそらく相手はアニエスを狙った帝国の刺客だろう。


 ならば話は早い。いち早くライゼルの元を離れ、自分が敵を引きつければ、ライゼルの安全を確保することができる――


「難しい話は後だ。とにかく今は俺の側にいろ」


「…………!」


 思ってもみない言葉に、アニエスは動揺を隠せなかった。


 まさか、ライゼルは守ろうというのか? 迷惑しかかけられない、こんな自分を……


 ライゼルの優しさにすがってしまいたい。頼ってしまいたい。


 そう思いながらも、最後の理性で踏みとどまる。


 ダメだ。これ以上迷惑をかけては……


「アニエス!」


「ですがっ……」


「俺から離れるな」


「!!!」


 力強いライゼルの言葉に、思わず固まってしまう。


 この期に及んで、まだ自分を守ろうとしてくれているのか。


(いったい、どうして……)





 どういうわけかアニエスの動きが悪いが、それでもライゼルより実力は上。


 貴重な戦力だ。今は頼りにさせてもらおう。


(コイツ、バカみたいに強いからな……。コイツの近くにいるのが一番安全だ)


 うまいことアニエスに敵をなすりつけようとしたところで、アニエスがライゼルから離れようと移動した。


(待て待て。それは話が違う!)


 まさか、アニエスはライゼルが敵を擦りつけようとしていることに気づいたとでもいうのか。


(クソ……「俺を守れ」なんて言うのは情けないから……)


 ライゼルにもプライドはある以上、使える言葉は限られてくる。


 ライゼルのプライドがギリギリ守られ、なおかつ助けを求める最適な言葉は……


「俺から離れるな」


「!!!」


 信じられない様子で、アニエスが目を見開いた。


「どうして……」


 そんなの決まっている。


 自分が助かりたいからだ。


 だが、せっかく言葉を濁らせたというのに、素直に「助けてくれ」などと言ってはすべてが台無しだ。


(こうなったら、あれを使うか……)


 ライゼルには嫌いな言葉がある。


“困った時はお互い様”


 この言葉を使う者は、大抵助けてもらう側が言い出すもので、得てして助けを得るための都合のいい免罪符にしか使われていない。


『何かあったらお返しに助ける』


 そうした免罪符の元、助けてもらう側の罪悪感を軽くしつつ、都合よく善意を踏み倒す言葉。


 それが“困った時はお互い様”という言葉の正体だ。


 現に、前世の自分はこの言葉の元に時間や労力、なにより善意を搾取されてきた。


 他人の善意を信じ、搾取され続けた結果が前世の末路だ。


 だからこそ、今はあえてこの言葉を使おう。


 善意の元に搾取してきた言葉を。


「人間、困った時はお互い様だろ」


 困った時はお互い様。


(だから俺を助けろ。まさに今現在困っている、この俺を!)


 ライゼルの言葉が信じられないのか、アニエスの瞳が揺れた。


「ライゼル様……この私に、手を差し伸べようというのですか……? 重荷にしかならない、この私を……」


(逆だ逆! お前が助けるの! この俺を!)


 どういうわけか自分が助けてもらう側だと思っているアニエスに、心の中でツッコミを入れるライゼルなのだった。





「人間、困った時はお互い様だろ」


 信じられない言葉に、アニエスの瞳が揺れた。


「ライゼル様……この私に、手を差し伸べようというのですか……? 重荷にしかならない、この私を……」


 自分を助けても、デメリットの方が多いはずだ。下手をすれば帝国そのものを敵に回してしまいかねない。


 だというのに、ライゼルは助けると言った。


 困った時はお互い様。


 たったそれだけの理由で、アニエスに手を差し伸べようとした。


 アニエスの脳裏に先ほどのライゼルの言葉が去来する。


『お前は何か勘違いしているみたいだが──』


『とにかく今は俺の側にいろ』


『俺から離れるな』


『人間、困った時はお互い様だろ』


 ライゼルはずっと、迷惑ではないと言ってくれていたのか。自分はここにいてもいいのだと、そう言ってくれていたというのか。


(ライゼル様……)


 許されるのなら、ライゼルにすがりたい。助けてもらいたい。


 だが、やはり自分がいては――


「ぐっ……」


 剣が弾かれ、ライゼルの喉元に凶刃が迫る。


 その瞬間、アニエスは跳ねるように剣を割り込ませた。


「その人に、手を出すな!」


 刺客の腕を切り落とし、返す刀で相手に斬りかかった。


 刺客たちがアニエスから距離をとると、ちらりと背後のライゼルを見やる。


「ライゼル様、ケガはございませんか?」


「アニエス、お前……」


「ええ。おかげ様で迷いが晴れました」


 今ならわかる。自分が何をしたいのか。何をなすべきなのか。


 思えば、答えは最初から出ていたのだ。


 ライゼルの元に仕えること。


 それが自分の進むべき道だったのだ。


 自分がいては迷惑をかけるかもしれない。ライゼルの身が危険に晒されるかもしれない。


 それでも、ライゼルは自分を受け入れてくれた。側に居てもいいのだと言ってくれた。


 ならば、その言葉に甘えたい。ライゼルの元に居たい。


 たとえ迷惑がかかるとしても、ライゼルが側にいろと言ってくれる限り……


(私は、ライゼル様のお側に仕えたい。できることなら、ずっと……)





「ぐっ……」


 実力差を悟ったのか、刺客たちがじりじりと後退していく。


「これ以上狼藉を働くというのなら、こちらも本気を出さざるをえませんが?」


 それでもまだやるのか。


 暗にそう尋ねるアニエスに、形勢不利を悟ったのか、刺客たちが窓から逃走を始めた。


「待て!」


 追撃をかけようとするアニエスを、ライゼルが制止した。


「追わなくていい。とにかく今は、(俺が)無事で何よりだ」


 警戒を解いたのか、剣を収めるライゼル。


(ご自身が危険な目に遭われたというのに、こんな状況で私の心配をされるとは……)


 今までもライゼルの優しさを目の当たりにしてきたが、改めてライゼルの人間性には驚かされる。


(この人だけは死なせるわけにはいかないな……私の命に代えても……)


 アニエスが密かにライゼルへの思いを新たにすると、階下から足音が聞こえてきた。


 息を切らせたオーフェンが、勢いよく部屋の扉を開けた。


「ライゼル様! ご無事でしたか!」


「おお、オーフェンか。ちょうどいい。つい先ほど刺客に襲われたばかりでな」


「やはり……この者がライゼル様に牙を……」


 オーフェンがアニエスに対し剣を抜こうとする。


「なんでそうなるんだよ! こいつは暗殺者から俺を守ってくれたんだ。……文字通り、命をかけてな」


「……!」


「なんと……!」


 ライゼルが詳しい事情を説明すると、オーフェンの敵意が和らいでいく。


 先ほどの刺客は明らかにアニエスを狙ってのものだった。


 だというのに、ライゼルは自らが狙われたことにして、アニエスが守ってくれたのだと強調した。


 この状況でライゼルがウソをつくのだとすれば、理由は一つしかない。


 ……庇っているのだ。正体がバレ、今後立場が悪くなるであろうアニエスのことを慮って、「この者は無害だ」と説明するため。目にわかる実績という形で、アニエスに花を持たせたのだ。


(ライゼル様……私のために、そこまで……)


 アニエスの瞳に玉の涙が浮かぶ。


「それで、刺客というのは……」


「ああ。アニエスが退けてくれたが、全員逃がしてしまった。……手傷を負わせたから追跡はできるかもしれないが、今は(俺の)身の安全が第一だからな」


(ライゼル様……)


 一人感動するアニエスをよそに、オーフェンが考え込む。


「ふむ……では、ライゼル様の御身を狙う何者かが、まだどこかに潜んでいると……」


「ああ。しばらくは警備の人数も増やしておこう」


「はっ」


 後始末のため、オーフェンが配下の兵に指示をする中、ライゼルは一人所在なさげに佇んでいた。


「にしても、どうするかなぁ……」


 面倒な後始末はオーフェンに丸投げしたからいいとして、問題は部屋が使えないことだ。


 片付けは後でやるにしても、襲撃されたばかりの部屋で寝るほど豪胆な神経は持ち合わせていない。


 そうなると、適当に宿でも取って外に泊まるのも手だが、屋敷があるのに外に泊まるのもおかしな話だ。


 第一、今自分の居場所を変えては、せっかく警備を増やそうとしてくれるオーフェンの負担になる。


 そうなると、おのずと選択肢は限られてくるわけで……


「俺は今日、どこで寝ればいいんだ……?」


 一人頭を悩ませていると、アニエスが遠慮がちに前に出た。


「……で、でしたら、今晩は私の部屋で寝る、というのでいかがでしょうか?」


「……いいのか?」


「もとはといえば、私は客間を使わせてもらってる身です。……主人の部屋がつかえないとあらば、明け渡すのが筋でしょう。…………それに、何かあった時の護衛も兼ねられますし」


 なぜか言い訳がましく理由を付け足すのはさておき、妙案に違いない。


 とくに断る理由もないため、ライゼルが素直に頷く。


「わかった。それじゃあ頼めるか」


「は、はい」

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