第107話 幕間 七色の魔術師の恐怖

 アーサー様は私のような紛い物ではなく神の使いに選ばれた使徒なのだ。


 負ける訳がない。


 その考えの通り一瞬で勝利をもぎ取ってみせた。

 あの炎の海に呑まれてはさしものあの男も生きてはいまい。


「ご無事ですか?」


 私なんかが心配するなど烏滸おこがましいことだと分かっているが、それでもその言葉を口にせずにはいられない。


 この御方の存在はそれほどまでに重いのだ。


 私個人にとっても。そしてなによりこのにとっても。


「……無事だが無傷とはいかなかったな」

「え?」


 そう述べた彼の口の端からは血が出ていた。

 その光景に私は驚きで目を見開く。


「お怪我をされたのですか!?」

「問題ない。口の中が切れただけだ」


 掠り傷以下のなんてことない傷だと彼は言うがそういう問題ではない。


 何故なら彼の肉体は鍛え抜かれたステータスだけでなく神の使いから授けられたスキルによって強靭な守りが施されているのだ。


 それこそ生半可な魔物では万単位の群れとなっても傷一つ付けられないくらいの。


 その守りを僅かとはいえ貫いてダメージを通す。


 そんなことはB級となった私にも至難の業だというのに。


(一体あのバケモノはなんなの)


 片目を眼帯で隠した日本人の男。


 自分が傷つくことなど欠片も恐れずにこちらに猪突猛進してくるあの姿は迫られる私からしたら恐怖以外の何物でもなかった。


 あるいは奴は肉体を修復するスキルを神の使いから与えられているのだろうか。


 でなければあそこまで痛みも損傷も無視して突っ込んで来られるとも思えない。


 もっともアーサー様の炎はスキル無効化の特性を持っている。


 その炎に呑み込まれれば如何に強力なスキルがあったとしても意味をなさない。


「ソフィア」

「あ、はい!」

「時間がない。ダンジョンに干渉を」


 そうだった。


 彼は戦闘に特化しているので私がこの役目を果たさなければならないのだから考え込んでいる時間などない。


 落ちていた神の使いから預かったダンジョンに干渉するためのアイテムを手に取ると中断していた作業を再開する。


 だが中断した時間が長過ぎたせいか許された時間内ではこのダンジョンを崩壊させることは難しそうだった。


 どうにかできてダンジョン内の魔物を外に出す氾濫くらいだろうか。


「構わない。氾濫でも目的は十分に達成できる」


 私達の目的は最近になってこの日本を中心に活動を開始したと思われる神の使いとその力を与えられた存在である使徒に対する牽制と警告だ。


 神の使いにも様々な存在がいて、その全てが協力し合っている訳ではない。中には敵対関係にある使い同士もいるそうだ。


 そしてその思想も個々によって違うとのこと。


 人間との共存共栄を目指す存在もいれば、その力によって支配を目論むもの、あるいは人を滅ぼそうとする存在もいるらしい。


 そういう多種多様な思想があるという点は人間と大きな違いはないのかもしれない。


「完了しました」


 そんなことを考えながら作業は無事に終えた。


 これで遠からずにこのダンジョンから魔物は溢れ出ることになるだろう。それによって無辜の民が被害を受けることになるのは分かっている。


(それでもこの世界を、人類全体を守るためには必要なことなのよ)


 必死にそう自分に言い聞かせる。


 人類との共存を望む所謂穏健派とされる私達の神の使いはこの日本で現れたと思われる別の神の使いのことを全く分からないと言っていた。


 同じような考えを持つ派閥や相手のことなら多少の情報を知っているというのに。


 つまりこの回復薬作成という前代未聞の事態を引き起こしたと思われる神の使いはそれと敵対する過激派となる。


 そいつらが回復薬を作れるようになった場合、穏健派は非常に不利になると我らが神の使いは述べていた。


 なお回復薬作成に神の使いが関わっていない可能性は絶対にあり得ない。何故なら回復薬を始めとした霊薬は今の人の技術では絶対に作れないものだからだ。


 そして現に過激派に力を与えられたと思われる眼帯の男もこうして現れたのだからそれは間違っていないだろう。


 問題は力を与えられた使徒がこいつ一人だったのかどうかだ。


 それに作れるようになった回復薬を販売している目的も調べなければならない。


 過激派が独占すれば穏健派は追い詰められたのに売るという選択をしたのは何か理由があるはずだから。


(でもとにかくこれで敵の戦力を一人は削げた。それに敵も膝元で氾濫を引き起こされたことを知れば警戒して動きが鈍くなるはず)


 穏健派が負ければ人類は神の使いの支配下に置かれるか、あるいは滅ぼされることになる。


 それを防ぐためには手段を選んではいられない。


 そのために犠牲を容認するような考えは決して好ましい話では無いのは重々承知している。


 きっと私は死んだ後は地獄に落ちるだろう。


 だけどそれでも人が生き残る道を残すためにはこうする以外にないのだ。


 段々と過激派が力を付けている現状を鑑みればなおさらに。


「……別の使徒の気配がするな、どうやら時間切れのようだ」


 我々の今回の一連の行動は非常に危険を冒している。


 それこそこれが明るみになれば共存を目的としている穏健派から排斥されることもあり得るだろう。


 そうならない為にも我々が独断専行を働いたことの証拠は決して残してはならない。


「いい加減に監視の目を誤魔化し続けるのも限界だな。戻ろう」

「畏まりました」


 目的は達した以上長居は無用。


 神の使いに用意していただいた特殊な転移石を使って脱出をしようとする。


 無いとは思うがこの脱出の隙を狙われることを警戒してアーサー様が転移したのを見届けた後に私も転移石を使おうとしたその時だった。


「がああああああああああ!」


 荒れ狂う炎の中からそのバケモノが飛び出してきたのは。


「ひっ!?」

「クソ熱い上に息も出来ねえし、マジで死ぬとこだったぞ!」


 全身火傷だらけで今にも死にそうだが、そもそも本来ならそれで済むはずがない。


 あの炎はスキルを無効化しているのだ。つまりこのバケモノはスキルなしであの炎の海から生き抜いたことになる。


 本当にこいつは人間なのか。使徒とはいえスキルが使えなければその能力は制限されるはずなのに。


 だからこそアーサー様は他の使徒に対して天敵となり得る存在として各方面から警戒されているのだから。


 付けていた眼帯は燃えてしまったのか隠されていたその右目が露になっていて、それと目が合った私はゾッとした。


 その右目は明らかに人のそれではなかったからだ。


 虹色の宝石のように光る、明らかに人外のそれはまさにバケモノそのもの。


(逃げなきゃ!)


 あまりの恐怖に思考はそれで満たされている。


 ここで奴に捕まれば生きて帰れる気がしない。


 必死になってバケモノが行動を起こす前に転移石を使って、私はどうにか逃げ切るのだった。

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