第13話 偽りの華

 二人が出て行ったあと、少女はしばらく呆然としたまま、次第に少女は二人が言っていた事が気になり始めた。自分が本当にフィオレであるという確証が欲しくなったのだ。少女がフィオレに選ばれなかったと下に見ていたルイが、あれほど鮮やかな証を贈られている。少女には無い証をズルいと感じてしまっていた。だから、人外が帰ってきたらおねだりをしてみようと静かに決める。

 己のフィオレを大事そうに抱え込む人外の姿を見れば、少女の願いを聞き入れる事などたやすいと感じたのだ。少女がフィオレの証を欲しがっても、あの紳士的な人外ならば証を贈ってくれるだろう。

 きっと、ヴェレーノがすぐ近くにいたから伝えられなかっただけだ。自分がフィオレなのは間違いではない。そのはずだと少女は自分に言い聞かせた。


「きっと、私に贈るのを忘れていただけよね?私は、ちゃんとフィオレなんだもの」


 ふかふかのベッドの上で三角座りをし、膝に額をつける。泣きそうになりながら、少女をフィオレと呼んだ人外が部屋に訪れるのを待つ。今の少女には彼女をここに連れてきた人外の言葉以外、信じられなくなっていた。

 ぺルラこそがヴェレーノで、ルイはヴェレーノにフィオレだと嘘を吹き込まれているのだ、と。そう思わないと少女の精神は壊れてしまいそうになる。今まで少女が目を瞑り、気づきたくなかった物を指摘されてしまったのだから。


「そこで蹲ってどうしたんだい?」


 突然かけられた声に少女は飛び上がる。けれど、話しかけてきた声の持ち主が、少女をフィオレにと望んだ人外のものえあると気付いて安堵した。


「もう、いきなり声をかけるから驚いたわ」

「すまない。けれど、扉の外から何回も声をかけたんだよ。それでも返事がなくて、心配になってしまってね」

「あら、そうだったのね。それなら気付かなかった私が悪いわ。ごめんなさい」

「かまわないよ。それよりさっきから暗い顔をしているね。悩み事かい?」


 心配そうに少女を覗き込み、優しく頬を撫でながら顔色を伺う人外に、少女はどうしても彼がヴェレーノだとは思えなかった。だから先ほどあった出来事を全て彼に話してしまう。


「ここに、地下に閉じ込められているはずのヴェレーノが来たわ。てっきり死んだと思っていた女の子も……その時に言われたの。「本当にフィオレなら、人外に証をもらっているはずだ。体のどこかに絶対に」って……ねぇ、私は貴方のフィオレよね?まだ証がもらえてないだけでフィオレよね?」

「そうか、地下からヴェレーノが逃げ出していたんだね。それは怖い思いをさせたね。すまなかった。それと君は俺のフィオレだよ。俺の華を君は喜んで受け取ってくれただろう?」


 不安そうな少女に人外は優しく笑いながら頭を撫でる。仕草は優しいのに、目の前の人外は発した言葉に少女は凍り付く。人外の中では少女に既にフィオレの証たる華を贈っているらしいのだ。少女は受け取った記憶など無いにもかかわらず。

 これでは、あの二人が少女に言った言葉の方が正しいではないか。今まで少女が信じ目を背けてきた現実を、あろうことか少女が信じていた人外自身が突き付けてきたのだ。

 嘘だ。そんなことない。信じたくない、といくら少女が思っていても彼の人外の言葉は変わらなかった。


「君の体にちゃんとあるはずだよ。オレが贈った、俺の華が」


 そして放たれる少女の幻想を、世界を壊す言葉。少女の体に目の前の人外の華など咲いていない。少女はフィオレではなかったのだ。突き付けられる現実に少女の声が震える。


「……ないわ。私、貴女から貰った記憶も、体にも証は……」

「……何言っているんだい?ソーレ」


 少女が泣きそうになりながらも告げた言葉に、今度は人外の方が固まる。蹲る少女の視線に合わせるため、しゃがんでいた人外がゆっくりと立ち上がった。少女が見上げる人外の目は虚ろ。よく聞けばその口から小さく「嘘だ……そんなはずは……贈った華がないなんて……」と、繰り返す。

 今更ながらに違和感を強く感じても、あの二人が正しかったのだと後悔しても、もう遅い。


「それに、私の名前はソレイユよ。さっきから呼んでいるソーレって……どなた?」


 人外は目を見開き固まる。そして、スンっと表情をなくした。

 人外の瞳孔が縦に裂け、肌を刺すようなピリピリとした感覚が少女を襲う。予備動作もなく、人外が少女の腹部を蹴る。


「がはっ……」


 衝撃で少女の体は壁に叩きつけられた。肺にある空気がすべて、体の外へと押し出される。意識が飛びかけるがそれはマズいと必死につなぎとめ、痛みでにじむ視界で人外の腕が鱗に覆われ人間の腕ではなくなるのを見た。爬虫類っぽく変化した腕に力がこもり、その腕が少女の頭を掴む。頭を掴まれたまま持ち上げられ、少女の足が宙を蹴る。

 無表情から笑顔へと変え、そのまま深く抱き込まれるが、力が強すぎて痛みしか感じない。少女の顔を覗き込み、裂けた瞳孔を少女の視線に合わせる。

 声だけは優しく、行動と視線だけが暴力的で。そのちぐはぐさに恐怖が募り、少女が何とか逃げようともがくが人外の力が強すぎて逃げる事すらかなわないのだ。


「俺をからかっているんだね?君の帰る場所はここで、君が安心して眠れるのは俺の腕の中だろう?ソーレ」

「違う……違うわ……」

「は?」


 震える少女に人外の雰囲気がガラリと変わる。抱き込む少女の体に一切の加減を忘れ、腕に力を入れて抱きしめた。呼吸を荒くし、シュー、シューと威嚇音を出しながら。ミシミシと少女の体から悲鳴を上げる音が聞こえる。


「なんでだい?何か気に入らないモノでもあったのかい、ソーレ。ならそれを処分しよう。だから俺以外のオスの所に行くなんてやめてくれ。俺から逃げるなんて許さない」

「は、離してちょうだい!嫌よ!痛いのはいやあ!」

「なんで俺を拒絶するの!?ああ、そっか、そうだね。ヴェレーノが来た時に俺が居なくて、怖い思いをして拗ねているんだろう?」


 人外が少女の手を取り、手の甲にキスをしようとした。少女からしてみれば、先ほどから自分に暴力をふるっていた人物からのキス。これが暴力をふるわれる前だったのならば、うっとりと頬を染め、受け取っていただろう。以前のように。自分とは違う人物の名前を呼び、その名前を少女に向けて呼ぶのが気持ち悪くて仕方がなかったのだ。

 そして思い出す。これと似た事が一度あったと。ソーレという名前こそなかったが、己のフィオレならばそんなことは発言しないと、いきなり豹変し腕をきつく掴まれた記憶。

 ルイに触れるペルラはまるで宝物を壊さないようだったのに対して、こちらは何の手加減もしていない。この人外の理想のフィオレとして振る舞わなければ、話も通じないし、大切に扱われる事など無いのだ。そのことにやっと気づいてしまう。

 

 少女が望んだ人外とフィオレの関係は、憧れたモノは、こんな暴力的なものではなかった。愛でて慈しんで、お互いを尊重しあうような、誰もが羨むような関係のはず。望んだものはこれじゃない。だから人外の腕を思わず振り払ってしまったのだ。


「いやあ!触らないで!私はっ、貴女の人形ではないわ!私をフィオレと言うならば、私を見て!」


 振り払ってしまった後で少女の顔は青ざめる。何故なら振り払われた人外が、すべての感情が抜け落ちたかのように無表情で見下ろしていたのだから。笑顔で話しかけてきたと思えば、無表情になる。少女は青ざめ固まるしかない。これ以上の痛みなど受けたくないが、何が人外の地雷になるかなど少女には分からなかったのだ。


「違う……違う……違ぁう!!」

「ひぃっ」

「俺の愛おしいフィオレは俺を否定したりしない!俺のひまわりは、俺の愛を優しく受け止めてくれる!俺の最愛は、俺を怖がったりしない!」


 ラフラと少女から離れ、そう叫びながら頭をかきむしるのだ。その姿は異様の一言に尽き、少女はますます怯え始める。目の前の光景は、まさしく狂っているヴェレーノそのもので。勘違いをしていたのが少女の方なのだと、理解するのに十分すぎる程の威力があった。


「…………も……くも……よくも……」


 俯き、小さな声で何かをブツブツと呟く。あいにくと少女にの耳には、何を言っているのかは聞き取れなかった。人外がゆっくりと顔を上げる。

 人外は完全に少女に対して威嚇をしていた。睨みつけられる視線の強さに、今までの危険な状態が悪化したことを悟ってしまう。死の危険さえ加わってしまったのだ。少女がどれほど後悔してところでもう遅い。

 自分の求める唯一ではないと、他でもない少女自身が人外に教えてしまったのだから。少女を睨みつけ威嚇していた人外が動き出す。トカゲの人外特有の鋭い爪や牙をむき出しにして。


「俺の、俺のソーレをどこにやったぁぁぁぁぁぁ!?」

「……え?」


 叫びながら人外の振るった腕が少女の左足にかすった。瞬間、少女の左足から鮮血が舞う。太ももの半ばからバッサリと切り裂かれた左足と、人外が持つ己の左足だったものを見て、少女は自分が何をされたのか理解した。理解すれば、それまで感じていなかった痛みが少女を襲う。

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