第11話 少女と紅い真珠のゼラニウム
キィ……っと音を立てながら、そっと開かれた部屋の扉に少女は驚いて振り返る。いつもそこが開かれるときは、少女をフィオレに選んだ人外が声をかけるか、ノックをしていたからだ。そのどれでもなく開かれた扉に、先ほど朝の挨拶をした人外が何か忘れた用事があったのかと扉を見つめる。
そこから現れたのは少女の知る人外ではなかった。
頭の天辺から少し長めの襟足にいくにつれて、碧から黒にグラデーションがかった髪。目元に散らばる髪と同じ色の鱗。真珠のように白い肌。甘く垂れ下がった目尻と、そこにはまった美しい琥珀色の瞳。すっと通った鼻筋に、すらりとした体躯。その全てが美しい男だった。
男の後ろから少女の顔が現れる。
肩口でそろえられた黒髪は前髪だけ、右から左へと斜めにカットされたアシンメトリーな髪形。少しつり目がちな大きな黒真珠のような瞳。象牙色の肌も滑らかそうで、男の服の裾に縋りこちらをうかがう様は、小柄な身長と相まって庇護欲をそそる見た目をしている。
美しい男の背後から少女を覗き込む小柄な少女もまた違った美しさを持っていた。
体格差のある2人に呆気にとられていると男が口を開いた。
「あ?人間のメス?」
少し警戒していた男――ペルラが少女を見て、少し警戒を緩める。そして自身の傍らにいる少女――ルイに向かってきく。
「ここにルイ以外にも人間のメスがいたの?」
「え?あっ……」
ペルラとルイの目の前にいるのは、ここに連れてこられたきっかけとなった少女。ルイは覚えていても、少女はルイのことなど覚えてはいないだろう。
覚えていても、それは人外から伝え聞いた事くらい。
「こいつ足枷してんじゃん。逃がす気ねぇな」
二人の会話と、男の目元にある鱗。少女の目に留まった鱗で男が人外であると知れた。ふと、ここに連れてきた人外が言っていた言葉が少女の頭に浮かぶ。
『地下にヴェレーノを閉じ込めている』
思い出した瞬間、少女は震えた。人外が閉じ込めてくれていたはずのヴェレーノが目の前に居ることに恐怖を感じて。
「……どうして?……どうしてヴェレーノがここにいるの……」
震えながら紡ぐ少女の言葉に2人はキョトンとした顔を少女に向ける。さながら「何言ってんだこいつ」とでも言うように。
「……ヴェレーノってそれ、オレの事じゃねぇよな?」
「貴方以外に誰がいるの!貴女もヴェレーノに抱え込まれたと聞いたから、てっきり死んだと思ってたのに!」
少女が放ったヴェレーノという言葉にペルラは視線を鋭くし、手斧を持っている腕を人魚の腕に戻す。「あんなのと一緒にすんな」と。変化した腕と、向けられる鋭い視線に少女は怯える。
「……え?僕いつの間に死んでたの」
「気にするのそこなの?ルイ」
緊迫しかけた空気がルイの一言で離散した。なんとも言えない空気が3人の間にみちる中、あっけらかんとルイは少女に聞き始めた。この空気の中で自然と会話を続行しようとするルイに戸惑いながら少女は答える。
「というか、どうしてペルラがヴェレーノなんです?ペルラは人外ではあるけれど、ヴェレーノではないですよ」
「そんなはずないわ。だって私をここに連れてきた人外の方が言っていたもの。『ここの地下にヴェレーノを閉じ込めた。一緒にいた少女はヴェレーノが抱え込んでしまった』って……」
「ふぅん。オレがヴェレーノねぇ……それ逆だけど」
ペルラの言葉に少女は信じられないといったふうに首を振る。そんな少女にペルラは呆れたように少女の足枷を指さす。
「仮にオレがヴェレーノだったとして、なんでお前が足枷つけて閉じ込められてんの。ルイがオレに殺されてねぇのは?」
「それは!ヴェレーノが地下にいるから安全の為で……彼女が殺されてないのは貴方の気まぐれでしょう?」
「それじゃあ、オレが地下から出てきた時に逃げれねぇよな。現にこうして、ここに居るしな」
「……きっと彼が気づいて助けに来てくれるわ!だって私は彼のフィオレに選ばれたんですもの!」
ペルラは目を瞬く。フィオレに選ばれたという少女の言葉に面食らってしまったのだ。まさか、ヴェレーノがさらってきただろう少女に、自身のフィオレだと言っていたのが滑稽だった。
「へぇ、フィオレにねぇ。ならフィオレの証も勿論、貰ってるよな?」
「え……」
盲目的に主張する少女にペルラは呆れながら指摘する。フィオレの証は貰っているのかと。その言葉に少女は固まる。少女が彼の人外から証を受け取った覚えなど無いからだ。どれほど思い返しても少女の記憶にはない。
「……証?フィオレに選ばれるのに証が必要なの?」
「お前が本当にフィオレなら説明されているはずだけど?」
「ペルラも僕にフィオレの証を送ってもいいかって聞いてくれたもんね」
「そうね。普通は受け取る人間に、受け取るかの意思確認するんだよ」
少女の視線がルイに固定される。フィオレに選ばれたのは自分だと、自分だけだと思っていた少女にとって証が自分に贈られていない事はショックだった。ましてや、自分と違いヴェレーノに抱え込まれ死んでいたと思い込んでいたルイが、自分と違い証を受け取っている。
目の前に居る美しい人外が守ろうとしている少女が、フィオレとして選ばれていた。しかも自分には無い証まで受け取って。
けれどもそれを認める事が出来なくて。それを認めてしまえば、少女をここに閉じ込めている存在がまるでヴェレーノのようではないか。
「そんなの嘘よ……貴女がフィオレだなんて。証を持っているなんて」
「嘘じゃねぇけど。オレがあげたし、ルイも受け取ってくれた」
「嘘よ!私が!私がフィオレなの。貴方みたいなちんちくりんじゃないわ」
「オレの話きけ?なぁんでルイに敵意バシバシなの。そういう所はクソ野郎に似てんな」
「彼は素敵な方よ!いつも私をお姫様みたいに、大事に扱ってくれるの。そこにいる口の悪い人外とは違うわ。大切にされてないのね、貴女。ああ、それともヴェレーノにフィオレだと勘違いさせられているのかしら?そしてそれを信じたのね。可哀そうに」
「ペルラは優しい。彼を侮辱するのはやめて。僕が彼のフィオレなのは変わらないし、大事にしてくれてる。それにそんなにうろたえるなんて、フィオレの証を受け取ってないの?」
告げられる言葉は少女を否定するものばかり。認めたくない、自覚したくない、自身がフィオレでないなどと。少女の目の前に居るルイは、少女の中で敵に変わる。少女の夢の世界を壊す敵に。
「っ!うるっさいわよ!このブス!お前が偽物なの!」
夢見がちな少女の言葉にペルラの表所が消えた。後ろからルイを抱き込み、ルイの服の首元を緩め始めた。突然始まったぺルラの行動にルイともども少女は困惑する。そんな二人をしりめに、ぺルラは少女にルイの首筋に咲いた紅い真珠の華を見せた。
「本当にお前がフィオレだと言い張るなら、体のどこかに華のアザがあるはずだ。ルイみたいにね。綺麗だろう?オレの華を咲かせた、オレだけのフィオレは」
見せつけられた華に少女は目を見開いた。紅く色づき、真珠のような輝きを持つ五枚の花弁がルイの首筋に咲き誇る。少女に見せた事に満足したぺルラはルイの首元を律義に直し、その頭にキスを落とした。ルイはくすぐったそうに笑うとぺルラに擦り寄る。
目の前で仲睦まじくしている。少女が憧れた人外とフィオレの関係そのものの光景が目の前にあった。
「嘘よ……嘘に決まっている……」
少女の体に華のアザなぞどこにもない。もちろん彼の人外から贈られてもいなかった。少女はフィオレではない。その現実に少女は自分がフィオレではないと認める事が出来ない。そんな少女に吐き捨てるようにぺルラは告げる。
「どうせそのままでも殺されるだろうし、オレの大事なフィオレを馬鹿にした事……本当は殺したいけど我慢したげんね。オレ優しいでしょ?」
「助けないの?ペルラ」
「助けないよ。助ける義理はない。ここまで自分がフィオレだと思い込んでるなら、助けても意味がねぇじゃん。こいつにとってフィオレでいる事の方が大事みたいだし、それに……」
「それに?」
「オレが、オレの大事なフィオレを馬鹿にされて助けるなんて、するわけないでしょ。寧ろ殺したい」
無表情のまま少女を睨みつけるペルラに、ルイは驚く。人外がフィオレを大事にするのは知ってはいたが、ここまでなのかと。不謹慎だがルイはペルラがルイを大事にしてくれているのが嬉しかった。ルイ自身は目の前の少女に何の感情も抱いては無かったから、どうなろうと構いやしない。
ルイを大事に抱え込んだペルラは、いまだ呆然とする少女を置き去りにし、少女の居る部屋から出た。
パタリと静かに閉じたドアを見つめ少女は一人部屋に蹲る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます