第9話悪夢を食らう妖魔

獏と名乗った男はジャケットのポケットからハンカチを取り出すとそれで顔を拭いてくれた。紳士的なその所作に感動すら覚えた。顔についた臭い唾液と自分がもどしてしまった胃液がふきとられる。少しだけすっきりした気分だ。


「よう立てるか?」

そう言い獏は私に手をさしのべる。そのざらざらした手を握り、私は立ち上がる。

この獏という男はまた会ったなと言った。ということは私は以前彼にあっているということなのか。


「忘れちまったのかい、嬢ちゃん。まあいい、忘れることも人間には必要だからな。おっと奴が起き上がるぞ。なあ嬢ちゃん、ここより広い場所を想像してくれないか。ここはあんたの悪夢が産み出した世界だ。嬢ちゃんなら作り変えることができる」

獏は言う。

この部屋はたしかに私の記憶にある場所だ。獏の言う通り、作り変えることができるかもしれない。


体についた破片を払いのけ、今まさに立ち上がろうとしている。

私は目をつむり、想像した。ここよりも広い場所を。

私が想像したのは通っていた小学校の運動場だ。学校は嫌いだったけど図書館は好きだったな。私が通っていた小学校の図書館にはロードス島戦記や風の大陸なんかが置かれていて、ボッチの私はそれを読むことだけを楽しみに学校に通っていた。

そんなことを思いだしながら、まぶたを開けるとそこは懐かしい運動場だった。

体育は嫌いだったけど登り棒は好きだったな。好きな理由はご想像におまかせします。


前方約五十メートルのところにあの大猿が立っている。

「邪魔をする奴は許さん。その女は俺のものだ」

大猿はそう言い、こちらに走りよってくる。

「誰があんたのものになるもんか!!」

私は喉がいたくなるほどの大声で猿の化け物に言ってやった。


「よく言ったな、嬢ちゃん。あとは俺にまかせな」

そう言い、獏は私の頭をくしゃくしゃと撫でる。異性にさわられるのは好きではないがこの男だけは不思議と悪い気はしない。


獏は右手に持っていた木刀を左手のひらですっとなでる。その木刀は銀色にキラキラと輝く。太陽を直に見たような眩しさだ。目が開けていられないほどの眩しさだ。

私はこの光を見て、思い出した。

この光を何度も見たことがある。

子供のときに、こうして悪夢を見るたびに彼はやって来て、私を怖がらせるものをやっつけてくれたのだ。

夢食みゆめはみばくは私と母親がつくりだした人格キャラクターなのだ。

母親か作ったおとぎ話の世界に私が獏という男を登場させた。

私が恐ろしい記憶から逃れるためにつくりだした人格キャラクターだ。


私は眩しさに目を細めながら、夢食み獏とかつて私を犯した猿の化け物の戦いを見る。

獏、そんなやつなんてやっつけてしまえ!!

私は心の底から獏を応援した。

「まかせろ嬢ちゃん、いや作者マスター。あんたを怖がらせるやつは全部俺が食ってやる」

獏は銀色に光輝く木刀を上段にかまえる。

すでにあの大猿はすぐそこまで迫っていて、まさに今、その鉄のような筋肉の腕で獏を掴もうとしていた。


「さあ、悪い夢を断ち切るぞ夢太刀ゆめだち!!」

夢食み獏がそう言い、上段に振り上げた夢太刀を一息に振り下ろす。

夢太刀はかの大猿を頭のてっぺんから胯間にかけて切り裂いた。

大量のどす黒い血液を運動場の土にぶちまけながら、やつは絶命した。

ピクピクと少しの間けいれんし、動かなくなった。


やったぞ!!あの大猿を倒した。さすがは私の夢食み獏だ。


夢食み獏はジャケットのポケットからスキットルを取り出し、大猿の傷口に当てる。不思議なことに大猿の巨体が血の一滴も残すことなく、吸い取られた。

スキットルの飲み口に口をつけ、獏は一口ごくりと飲む。

「狂った執着心が良い味だな」

と獏は言った。

そのスキットルをジャケットの内ポケットにしまい、今度はズボンのポケットからたばこをとり、口にくわえる。

これまた不思議なことにたばこに火がつき、獏は紫煙をはく。

食後の一服といったところか。

ちなみにたばこの銘柄はしんせいだ。


「さて、作者マスター。あっちに戻ろうか。これからは俺もあんたに味方するぜ」

夢食み獏はたばこを一本吸いきり、ぽいっと地面に捨てる。

たばこのポイ捨てはいけないけど、これはちょっと意味が違うのだ。

たばこの吸殻が地面にあたる瞬間、それは何処へともなく消えてしまう。

さっと場面は変わり、もとのあの大階段の踊り場にいた。

私の実家のアパートで気を失っていた水無月真珠も無事に戻っていた。

獏はアフターケアまでばっちりだ。


作者マスターすまない、私がついていながら」

水無月真珠は文字通りすまなそうに言う。

いいのよ真珠。あなたとの物語きずなはこれから築けばいいのだから。


作者マスター!! 戻ってきてよかった!!」

神宮寺那由多が私に抱きつく。


作者マスター、無事で何よりです」

安堵した様子で渡辺学が言う。


「さあ、このくそったれのゲームをクリアしようじゃないか」

新しく仲間になった夢食み獏は言った。

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