姫君たちと竜の話

「姫さまと竜の話はまたこんどね」

 と言って帰った小葵こあおいだが、それから長く火香ひのかの店から足が遠のいた。お見限りというわけでもないと思う理由はあった。

 別のお姫さまが竜の背に乗って入城するために、入出港も港の周辺の人の出入りも厳しく制限される日が続いたのだ。小葵は王族に仕える侍女なのだから城内で日頃より忙しく働いていたはずでもあった。

 なにしろ国の命運を左右する姫君を迎え入れるのだから。


 南方の白茅ちがや公の城から八十と数日かけてやってきたのは、本当に「亀船」だった。

 日の帝国が始まるよりもっと昔、一つの王国を背に乗せて雲海を泳いでいたという伝説の霊亀を思わせる巨大さなのだ。

 少し以前から煙草をつかいたいという客のために小屋の横に縁台を置いてあって、その日は商売をあきらめた屋台のあるじたちが暇をつぶしていた。

「気がついたら島が新しくできていたみたいじゃないか」

 ひつじ雲に浮かぶ船影を指さしたり手庇てひさしで見たりとすっかり物見遊山だ。

「あんなに遠くで止まってるのはどうしたわけやろう」

「うっかりぶつかったらどっちも粉々だろうが」

「そんなことあるかい」

「あるかも……」

 火香は薬缶で皆の湯飲みにほうじ茶をつぎたしながら珍しく話に割り込んだ。

「……しれない、けど」

 数日も城の井戸から新鮮な水をもらえず気が重いため、かえって口の重しをはずしたくなったのだ。

「あれは示威的警戒距離ってやつ、だと思う」

「なんやそれまじないか」

「えーっと……」

 ちょっと待ってと、薬缶を屋内に置きに行く間に考えた。柄杓としんばり棒を持って戻り、体格のいい酒売りの男に棒のほうをわたす。

「なんだい」

「わたしがこれで」

 ひしゃくを軽くふってみせて、大きく振りかぶる。

 酒売りは棒を受け取ったままの形で2歩ほど退いた。

「にいさんを殴ろうとしたら」

「よせよせ」

 さらに大きく1歩後ずさる。

「よけるよね」

「よけるわ」

 火香が得たりとうなずいて、空いてるがわでにいさんの足もとを指さす。

「そこ動かずにわたしに棒を向けて」

「お、おう」

 酒売りは半歩退いて、半身はんみで下段に構える。

「動かないでって言ったじゃない」

「動くなよ」

「なんで」

「なんなんだい」

 棒の先と火香の腹にはおろした柄杓をひらひら遊ばせられるほど間がある。

「わたしがこっちのお城、おにいさんがあの御船ってこと」

「なるほど」

 煮売り屋のおやじさんが膝を打った。雨の前日にその膝をさすって「明日は降るな。ああこれはつまらねえ古傷でしてね」とか言いだしそうな老人だ。

「ゆとりを見せつけてるんだな」

「そうそう」

「おまえさんは逃げ腰にしか見えんかったけどな」

「なんだと」

 まあまあ、やれやれと皆笑った、その次の日。


 王都正門に入港していた船はすべて対の門の船泊まりか二の島三の島に移動させられ、港のまわりいったいが禁足になった。

 阿鹿あじかの城の翼竜たちが上空から監視する中、正門の港には小甲竜の一隊と、騎馬百、歩兵二百ほどが整列していた。正門の側の城壁の上には火蜥蜴と竜使い士、歩哨兵は壁の上にも内外にも日ごろの倍の人数が立っていた。敵軍を迎え撃つような物々しさだ。もちろん白茅ちがや公の船も同じかそれ以上の備えだろう。

 大亀船の頭のあたりから四頭の翼竜が飛び立った。案の定、四頭いずれもが遠目にも阿鹿城で見たことのない巨躯とわかる。翼はみな緑がかった黒、鱗は深緑から翡翠色。王の赤金色と姫君の緑の飛竜たちが警護する空に八艘ほどの鳥舟が滑り出ると、騎馬兵が「禁足である」「控えよ」と大声で繰り返しながら駆け回った。

  門をはさんだ向こうの幕屋通りならともかく、この市にはこの店の他に泊まり込めるような建物はないし、火香はもともとおとなしく店にこもっている。念入りなことだ。感心しながら彼女は窓を半ば閉めて目立たないようにした。窓の開きぐあいに関係なく、遠くてよく見えはしない。

 すべての鳥舟が着陸すると正門が開いて、城内の大通りにも警護の兵が並んでいるのがうかがえた。

 先頭の船から白い一団が降りてきた。豆粒より小さくしか見えないが、大きな生き物に乗った人にかちで付きしたがう人々の列のようだ。足取りのゆるやかさ加減から見るに、乗りものは白鱗の甲竜だろう。希少な色の稀有な大型甲竜にのるその人こそ白茅公の姫君、生まれながら〈神女〉である至高の巫女だ。

 竜たちが歓喜のように吠え、つられたように阿鹿の軍が神女への崇敬を唱和する。熱狂的な咆哮と重厚な賛美の声が響き渡る空のもと、姫君の一行がゆっくりしずしずと入城し、門が閉まるまで、火香は無言で高揚感をおさえながら見ていた。


 5日目の夜明け前、3方の通用門が解禁されたので水を貰いに行った。以前は城壁の外にも水路が通じていて火香が茶店を開いた小屋のそばに井戸があったが、警備の都合で塞がれてしまっていた。

 火香でもひける荷車は乳母車ぐらい小さく、水瓶を一つ運べるだけだ。それでも瓶いっぱいに水を満たしてもらえば重い。つぶれた井戸のそばに荷車をとめて、縁台に座り込んだ。お客のために置いたものだが、帰ってすぐ腰を下ろせるのは案配がよかった。

 日の光がおとずれる前の青い薄闇に包まれたこの時間、聞こえる音はすべて遠い。火香と同じく一日の始まりが早い人々の物音、夜警の気配、竜や軍馬、家畜のざわめき。縁台で二度寝したくもあり、それはもったいなくもある。

 眼下のはね雲が色を変えはじめたので立ち上がり伸びをした。さあ湯をたてよう。

 そのとき、大岩船がわずかに上空のほうに動いていることに気がついた。


 ――うっかりぶつかったらどっちも粉々だろう

 ――そんなことあるか

 (あるんだなあ……)

 夕方、火香はまた店の外で上空を仰いでいた。

 商う者、買う者飲み食いする者もときおり空を指しては噂しあい、通りすぎる者も上を気にしている。

 白茅公の岩船は半日かけて階段状の列島の最上段のまた上に着き、そこで止まった。 さすがにうっかりぶつかったりはしないだろうが、あれほど大きなものが近くを過ればこの城市ですら嵐にみまわれたも同然、列島の小島などは大惨事だろう。だからあんなに距離をとり、ゆっくり動いたのだ。


「開門!」

 門衛が声を張り上げ、市のざわめきがとまった。数名の歩哨兵が走ってきて、重厚な門扉を開けて駆け出てきた衛士と合流し、列をつくる。

 市にいた人々はしぜんと道を開けたかたちになり、何が通るのかと待ち受ける。

 一頭の青い小甲竜と竜使い士を露払いに、真っ白な被衣かつぎをまとった小柄な貴人が近侍や腰元、数頭の牛と牛飼いをひきつれてあらわれた。

 時の人、白茅公の姫君だろうかと思ったのは、純白の羅の被衣に、染めが浅いが仕立ての上等そうな小袖と袴という召し物のためだろう。

 貴人は門に近い火香の店の前で足をとめ、被衣を肩におろした。あらわれた髪は短く切り揃えられていて、いかにも幼げだ。

 一歩ひいて控えた侍女が小葵であることに気がついた。


「みな、らくに聞け」

 小葵の主人、阿鹿王の三の姫君はすずしく通りのよい声を響かせた。

「このたび神女輝夜帷かぐよのとばりの姫に神託が賜られ、

 わが父阿鹿あじか王、皇帝即位のお許しがった」

 歓声がやむのを待って王女は続けた。 

「わが父への寿ことほぎに感謝する。

 神女どのご到着以来、皆には不自由をさせ、すまなかった。

 即位の儀にあたり、またそなたらの営みに差し支えがでると懸念もあろうが、

 安堵してほしい」

 彼女の民をみまわして、うなずいてみせる。

 そして腕を広げて荷を負った牛と腰元たちを示し

「これは神女どのと王より、そなたらへ詫びの品である。

 おのおの納めてくれ」

 王女が朗らかに言うと、包みを捧げ持った腰元たちが進みでた。市の人々が行儀よくお下賜を頂戴し歓呼の声をあげる。

 火香のほうにも小葵が来てくれようとするのを、すたすたと王女が追い抜いてやってきた。

 あわてて火香も店先に寄っていた人々もひざまずこうとすると、王女は手を挙げて止めた。真向いに立たれた火香はしかたなく小腰をかがめて頭を低くする。

 お姫さまは11歳、小柄なのだ。可愛らしい。

「あなたは小葵においしいお菓子を売ってくれる人だね」

 嬉しそうに、首をかしげて火香の顔をのぞきこんできた。

「今日はわたしにもお茶をご馳走してくれ」

(だから、やばいって思ってたんだ……)

 火香は顔が引きつるのを感じた。


 あばら屋にお通しするわけにはいきません、かまわぬ、かまいますと押し問答のすえ、縁台に借りてきた毛氈をひろげ、お姫さまに座っていただいた。

 だが火香が湯をたてなおし茶を淹れる間、王女は立ったり座ったり方々ながめまわして落ち着きがない。濃茶とお気に召したという桃色の練りきり饅頭を盆にのせ持っていくと、待っていましたというように座りなおした。

 菓子を一切れ、茶を一口、味わって満面の笑みになる。

「おいしい。小葵がくれたのよりおいしい」

 控えている侍女と、ごめんね、どういたしましてといった仕草を見せあって火香に向きなおった。

「お茶の香りがすばらしいし、この席がいいのだね。広々して快い」

 火香は頭をさげた。王女はふふっと笑い、

「ほら、あの子」

 と指さして、面を上げることをおゆるしくださる。指さす先に、岩のようにうずくまった青い小甲竜がいる。

「神女どのが贈ってくださったんだ。

 見たことがない青だろう? 大きいだろう?

 とてもおとなしいんだ」

「甲竜がおとなしいのはふつうではありませんか」

 小葵が口をはさんだ。

「あの子は賢いからんだ」 

 むきになって言う。子どもらしい。

「だから席を用意してもらえなかったら、あの子にもたれて茶を飲もうと思ったよ」

 それは微笑ましい光景かもしれない。

「ここの眺めはいい。あの子の背から見たらもっと素晴らしいだろうね」

 雲海を見渡して、茶碗に目をおとすと、ちらりとその目に子どもらしくない光が瞬いた。

「次にあの子と来たら、鞍の上でお茶をいただこう」

 仮にも茶の道の者として、それはできかねるのだか。いや、有りか?

 ひとり問答におちようとしかけて、はっと気がついた。

 王女は何食わぬ顔で菓子を口に運び、小葵はすましている。

 周りに目をはしらせると、ほかに王女の言葉が耳に入った様子の者はいない。聞かぬふりをしているのではないといいが。

 竜は〈契約の印〉を交わした人間しか背に乗せない。〈契約〉の資格をもつのは神女のような最高位の神職の者と、帝国に身命を捧げる誓いをすませた者すなわち皇帝と皇太子だけなのだ。

 この方は第三王女の身で、まだ父君の即位も成っていないのに、自分は竜に乗ることになると仰ったのか?

 王女は無邪気そうににこりと笑って立ちあがった。

「もうあんなに船が戻ったのだね。

 どうりで市も賑やかだ」

 崖のふちに立って眼下の港や遠い雲海を見わたす様子は、好奇心旺盛な子どもらしくもあり、巫女服に似た白い衣装のために神妙にも見える。

「私も船でこの城に着いたんだ」

 ぽつりと言って火香をふりかえった。

「あなたもだそうだね」

 火香はうなずいた。

「あなたの家からずっと船が見えるのはいいね」

「はい」

 この答えは用心が必要だと火香は考える。

「船は懐かしゅうございます」

 どれほど船に乗っていたのか、どれほどの島々を訪れたのか尋ねられると、これは正直に答えるしかない。

「ここはかつてのあなたのような旅人が通る。

 そして、あなたは見聞が広くとても聡いときいたよ」

 頭の中で警鐘がやかましく鳴った。驚いたように大げさに畏まってみせる。

「滅相も……。 私は船倉にこもって十余年、今は日暮らし湯をたて茶を挽くだけの者でございます」

「そう?」

 王女はまた小首をかしげて火香の顔を見たが、頭をふって席にもどり、菓子をつつきながら言った。

「わたしのような子どもの言うことではとりあってもらえないか」

 やはりこの姫君は火香を間諜に抱えようとでもしていたのか。こわいお子さまだ。

「それはそうと」

 王女は気をとりなおしたようだ。

「あなたも見たという翡翠色の竜ね、そちらも神女どののお抱えらしい。

 わたしも飛竜がほしいな。

 毎日お祈りしたら譲ってくださらないだろうか」

 そんなことを下々にきかれても困る。顔にでたのか、王女は愉快そうに笑った。

「飛んでいるところをわたしも見たい。

 また来るから、そのときもおいしいお茶をたのもう」

 

 その後、王女は準太子に立てられ、小島の離宮に移った。

 小葵が茶を飲みに来ることは減ったかわりに、

 港の上空に翡翠色の飛竜をよく見かけるようになった。


*****

本編に続く。

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夜の慈母の娘と竜を招く姫、魔王と匿われた少年~星眼の王は夜のとばりの内でおこることならだいたい知っている~ 百田桃 @momodamomo

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