番外編

港が見える茶屋

「とにかくいらっしゃっるのよね。

 王さまがおたずねになる前にこうおっしゃったわ」

 ――私は春の嵐に弄ばれるようにここに参りました。

   ですから私のことは『はるあらし』とお呼びください。

「――ってね」

 小葵が言うのは彼女が仕えている11歳の王女のことで、たしか話しはじめは

「姫さまがいかに利発か」というあるじ自慢だった気がする。火香ひのかが茶葉をひく手をやすめずに「ほう」と相槌をうつと、

「嵐に弄ばれるよう、とおっしゃったのもね――」

 王女が鳥舟でこの城市にやってきた折りのことへと話が遡っていった。その話は前にも小葵から聞かされている。舟を襲おうとした魔物を睨みつけただけで追い払ったとか。それが話半分でないなら、ませているどころではない、胆がすわりすぎだろうと思うが、火香は忙しい。

 常連客が好きに喋るのへほうほう頷きながら、ひきおわった茶の粉を摺茶壷に移して石臼をしまうと、大薬缶を4つ取り出して昼餉時ひるげどきのしたくにかかる。

 店に茶を喫しにくる客には急須で煎茶を淹れて出す。薬缶はここいらの屋台の飯屋や摘み物あまものの露店にわたす分だ。この茶店は城壁の外、正門の船泊まりから通用門への崖道に沿った露天市で唯一ちゃんとした厨房設備がある建物だ。露店の食べ物屋は薬缶に溶いた粉茶を買っていけば、こん炉火鉢などを一つふさぐことなくお客に温かい飲物をふるまえるというわけだ。

 さて今日も、港から荷役夫や工夫たちが上がってくるのに間に合いそうだ。

 湯釜の加減を見て腰を伸ばすと、窓からは船泊まりが見える。晴れた空に木造の鳥舟、亀船とも呼ばれる岩船、様々の大きさのものが数十艘も浮かんでいる。そのさらに上空に飛竜の翼が見えた。胸が清々せいせいする眺めだが、哨戒の時間でもないのに珍しい。

「竜が飛んでいるよ」

 と小葵に言うと、お遣い中の王城の侍女もあわてて腰を浮かせた。

「あらいやだ、もうそんな時刻?」

「まだだけど」

「まだ早いわよねえ」

 小葵は窓辺に寄って飛竜の姿や空の色を確かめた。

「こう遠くてはよくわからないけど、お城の竜は赤金あかがね色が多いのよ。

 あれは青黒く見えるわ。緑竜かもしれないわね。野生なのかしら」

「野良の竜というのもここらでは珍しいね」

「そうねえ……。

 でも少し長居だったわね。こちら、包んでくださる?」

 小葵は手を付けそびれた水菓子がのった小皿を示した。

「はいよ」

 と、敷き紙とたとうで二重にくるんで渡してやる。

「おみやげにもう少しいただきたいのだけど……」

「うちのはそれでしまい。

 そこの屋台の売りものだけど、まだ開いてないな。

 かわりにこれはどう?」

 棚から菓子入れをおろして、午後の客に出すつもりだった品を見せた。白餡を桃色の練りきりで結んだ饅頭で、かわりというには趣きが違うが、喜んで買ってくれた。

「姫さまは、桃も桃色のお菓子もたいそうお好みなの」

 お世話さま、またね、と手を振って小走りに通用門に向かうのを見送り、有難いお得意様がたった席を片付ける。丁寧に茶器を扱う手の動きはよどみないが、(やばいなあ……)という気分にみまわれていた。

(お姫さまにさしあげる菓子なんて、うちなんかで買ってほしくないなあ)

 まあ小葵は少し口が軽いようだが頭はいい娘だと思う。

 だいじょうぶだろう、たぶん。

(何かあったら、店をたたんでまた船にのるか)

 片付けが終わると、主ひとりの店内に聞こえるのはしゅんしゅんと湯気がたつ音だけになった。湯の香り茶の香りを吸い込んで気分を換え、空を見る。

 まだ、しらす雲の上を竜が泳いでいて、今はその翼が孔雀石の暗緑色に見える。

 小葵が持ち帰った水菓子の、土台の水羊羹があんな色だった。黒蜜で描いた一片の葉をとじこめた透明な琥珀羹に土台の緑色が映って、水出し茶を固めたかのように見える、涼しげな菓子だ。

 あとで買いに行くことに決めて、そうとなればと昼の商いのしたくに精をだした。


 両親が農産物を運ぶ商船で働いていたから、火香ひのかは船の上で育った。

 速いけれど大きなものでも五十人も乗れない鳥舟とちがって、岩船は浮島そのものが動いているようなものなので、一つの集落ごと運ぶことさえできる。そのかわり船が大きければ大きいほど船の核を操る魔術師の人数が必要になるし、遅い。だからなのか亀船とも呼ばれている。一度の航海が何カ月もかかるから火香は船で育って、船で学べることが知識の全てだった。

 世界の中心には魔界に通じる深淵がある。

 そもそも日の帝国の成り立ちが、深淵の魔物と攻防する諸王の主導権争いに始まっているのだと、この国のざっくりかいつまんだ歴史も教わった。

 もっとも多く皇帝を出したのは数百年前に滅びた三隈利みくまりの王朝で、全盛期に深淵を臨む位置にある数多の浮島に城塞を築いた。直系の子孫である白茅ちがや公の領地が世界中に点在し、また帝国の内外いたるところの神殿や小祠の祭司がだいたい白茅公の氏族であるのは、そんなわけなのだそうだ。

 そしてそんな島々の一つで火香が船を降りたのは5年前。東方の小王たちの中から台頭した阿鹿あじか王がこの島に本城を遷して間もなくの頃だった。


「これはなんとも綺麗じゃないか」

 こざっぱりした身なりの初老の男が、透明な水菓子をのせた小皿をささげ持ってためすがめつしながら言った。

ねえさん、実に趣味がいい」

「そこの甘もの屋の品だよ。仕入れ先は四の島の、ええと……、

 小父おじさんなら知ってないかい」

 男は小間物商で、城内やこの露天市から屋敷町がある四の島、長屋町の六の島まで渡り歩いて、求められる品を手売りしたり卸したりしている。

「はつめ亭かい」

「そう、そこ。はつめ亭が巧みなのさ」

「ご謙遜だね」

 小間物屋は菓子から目をはなさずに笑った。彼の商売もののことでも考えているのだろうか。

「謙遜って美味いものかい? わたしは学がないんだ」

 火香ひのかは石板に炭で数字を書き込みながら受け応える。小間物屋に出した椀も含めて今日淹れた茶を数えているのだ。数種類ある茶缶は朝に一度ずつしか開けないから、こうしてその日に使った量と残りの量を把握している。

「趣味なんてのは学がある人のものだろ?」

「そういうことが言える人を無学とは、あたしは思わんね」

 火香は短く笑って

「買いかぶってくれて、どうも」

 話を打ち切ろうとした。お客に自分の話をするのは苦手だ。

「買いかぶりついでだ。なぜ町に下りて、ちゃんとした店をかまえないんだい?

 それぐらいの甲斐性はあると見たよ」

「そりゃ買いかぶりじゃない、見そこないだったね」

 甲斐性は、ないのだ。小娘がまがりなりにも店をもてたのは、立派な城郭が建って使わなくなった物置小屋を伝手でもらいうけたからだ。客あしらいも得意ではない。茶をのみにくる客と長話しする必要はないが、商いをひろげるには商売人どうしのつきあいが肝心になる。

「ここだから、やっていけるだけだよ」

「そうかねえ」

「この場所が好きだしね。眺めがいい」

「ああ、好きならしかたない」

 こくこくうなずいて初老の商人は菓子を味わいはじめた。察しがいい。さすがだと感心する自分はやはり商売屋に向かないと思う。


 ここだからやっていけるというのは本当だ。

 小さい砦があるだけだったこの島に阿鹿王が入ってから、砦は城塞になり王城になり、物見塔や灯台がぽつぽつあるだけの列島にどんどん人が入って拓かれてきた。城の正門が面した港はいつも軍の岩船に鳥舟、商船団、島々をつなぐ鳥舟があふれている。

 だから通用門への崖道のこの市も、いつも人でにぎわっている。城内に入らず港で働く人が相手の見世がほとんどだが、火香の客は薬缶で買いに来る飯屋や甘もの屋に、小葵のように城内から息抜きにくる人、

「そろそろ舟がつようだ。はい、ご馳走さま」

 この小間物屋のように待合所につかう人などだ。

「はい、またお越し」

 よいしょと立ちあがって行李を背負うのを手伝い、軒先まで見送った。

 大声で呼び込みをしている甘もの屋のおかあさんと目が合ったので会釈だけをかわして店にもどると、またひとりになった。

 様々の品物が通り、人が通り、風が通る道の端の、茶の香りが籠る店ではたらくのが性に合っている。

 眺めがいいからここが好きというのも本当だ。

 店は東の城壁の外、ぎりぎりの崖の際に建っている。窓からの眺めは住み慣れてきてもとすることがあるが、晴れた夜明けには住み慣れても飽きることのない絶景が見られる。

 哨戒の時刻には船だまりの上を飛ぶ竜が見られるのもいい。

 船が見えるのがいい。


 小間物屋が今日最後の客になるかと思ったら、日が落ちだすころに小葵がまた来た。今度は鳥舟乗りに文遣いをたのむついでだそうだ。

 玉露をといきたいところだがぬるめに淹れた煎茶と香の物をだすと「生きかえる」と喜んでくれた。

「あの桃色のお饅頭、おくちにあったようだわ。

 でもいくらなんでもたった二口ふたくちでめしあがってしまったのは驚きね。

 お茶ものまずによ? お子さまって凄いわ」

「お口にあったならよかった」

「それで、やっぱりあの翡翠色のお菓子もお見せしたかったのだけど……」

 恨めしげな上目遣いをされたので仕方ない。買い占めた箱詰めを開け、封切り前のを1本ふろしきに包んで渡した。

 どうやらそういうことを気にしないお姫さまらしいが、こちらとしては切り残しのようなものをさしあげるわけにいかない。

「あら、あらあら、ごめんなさいね」

 大喜びだ。

「そういえば緑竜がいたかもしれないって申しあげたら――」

 どんな緑だ、一頭だけか、どこから見たどちらから見た、と

「あまりにご熱心だから、そんなによく見なかったのが申し訳なくなって――」

 うふふっと笑ったのだが、ゆっくりのどを潤すと思案顔で言った。

「やっぱり近い将来さきに竜に乗るお方なのかしら」

「へえ?」

 おこうこのおかわりと二番煎じにするかと考えながら生返事をする。

 小葵はまた小さく笑って

「姫さまと竜の話はまたこんどね」

 なにか気になることをのこして城に帰っていった。

 


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