やすら
竜はたちまち島群地帯を駆け抜け、平穏な大雲海に踊りでた。眩しい光景と鋭い風が彼らの両脇を翻しては後ろに残ってゆく。竜の背は思ったより広かったが、片腕に同い年の少女の体を支えて、もう片腕で背につかまっているのには苦労した。この翡翠色の鱗の竜は帝城の竜舎で最も美しく、春嵐姫のお気に入りなのだそうだ。
――それで、おおきみ様はああ仰ったのだろうか
安良は生まれてから9歳まで春嵐といっしょに育った、乳姉弟だ。その頃はふたりとも違う名で呼ばれていた。姫は母君が亡くなって王宮に迎えられた時に名を改めた。安良は乳母を退いた母とともに、田舎のお館からもっと田舎の、小さなお社と番小屋しかない小島に移り住んだ。子どもながら守番として働き、衣と名をもらった。
だから「はるあらし」と「やすら」として会うのは初めてだし、竜に乗せてもらったこともない。
――もうすぐほんとうに会えますね
安らかであどけない顔に目を落として、昼寝の幼子にしてやるように小さく背をたたく。もうすぐといっても、どのくらいすぐなのかはわからないが。それに、たしかに安良は〈涼新たなるお方〉の神泉、再生と癒やしの泉がどこにあるか知っているが、それは遠い東のはて、見たことのない空だ。どれほど飛べば着くのかわからないし、言葉もかわせない手綱も許さない竜の飛ぶままにまかせていてだいじょうぶなのだろうか。
風を裂く緑竜のたてがみをじっと見つめる。と、その頭上を大きな、とても大きな影がよぎる。
巨大な黒竜〈猛き雲海の王〉が彼らを追い抜いていったのだった。
島々を一つに繋ぐほどの長さと、黒曜石のような光沢を持つ雄大な体から灼熱の蒼炎と吹雪が噴き出し、空に嵐雲を描いていく。緑竜は恐れることなく、その軌跡を追って東へと飛んだ。
しばらくして光の色が変わり、安良は〈新涼の女神〉の領域が近づいていることに気づいた。雲の原がとだえがちになり、遠くに見える静かな凪に打ち寄る白波のようだった。初めて目にする眺めに懐かしみにも似た安堵を感じたのもつかの間、波を割り、紺碧の巨竜が姿をあらわして、黒竜と対峙した。
――青の
ぶつかりあう威光にうたれながら、安良は春嵐を抱きしめた。
藤花のとばりのざわめきが激しくなった。
漣たつ泉のほとりで、神女は二柱の守護聖竜の声なき会話を見守る。雲の原の上で〈猛き雲海の王〉と〈地に着かぬ大君〉が舞っていた。
蒼炎と吹雪を纏う黒竜と、金色の風雲を纏う青竜は、互いに牽制しながら空を泳ぐように飛び交っていた。それは天地の秩序を司る神々の舞だった。
やがて青の大君は道を譲るように身を翻してこちらに戻ってきたが、小島を遠巻きにくるんで、なおも守護の意を示した。
緑竜はあわただしく羽ばたき、翻弄せんとする風をいなしながら小島にちかづく。怖気ながらも己を励ましてすすんでいるかのようでもあった。その背で安良も乳きょうだいを抱き支えているのか縋っているのかわからない有様だったが、やがて島の上の人影に気がつき、目をみはった。
波立つ藤の花のもと、長い黒髪を風がもてあそぶにまかせて、凛とした白い姿が立っていた。
「案じないでください。
〈猛き王〉があなた方をお連れになりました。
〈青の大君〉がお許しになりました。
さいごに女神がお受け入れなさいますかどうか、私は見届けるだけです。」
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