はるあらし
星眼の王
帝都全体を遠くから見ると、空に浮かぶ螺旋階段のようだ。
中ほどのひときわ大きな段が皇帝の城市で、幾段か上の小島に第三王女の居館があり、その上はもう
「はるあらしの姫」と称される第三王女は昨日、父君皇帝陛下に代わり日課の祀りごとをするために、早朝に出仕した。
皇帝と皇太子が北方の平定に赴いたので継承権二位の王女にお鉢がまわってきたのだ。
騎竜を許されている皇女には城との往復などこともない。
しかし昨日は珍しく帰りが昼を過ぎ、
「神女どのがいなかったから時間をくわれた」
と侍女にこぼした。
口をとがらせた顔も愛らしい。
この藤の月に14歳の祝賀がすんだばかり、まだまだあどけない。
腹心の侍女としてはやんわりとでも窘めるべきだが、小葵は笑って
「お寛ぎなさいませ」
と外衣を脱がせてやった。
王女はテラスに出した籐椅子に飛び込み午睡についた。
それきり、目を覚まさなかった。
桜色の唇から甘い香りが漂っていたが、息をしていなかった。
鳥舟が城市と館を往復し、医師や薬師や祈禱師や錬金術師までもがあれこれ試みた。
魔術師は皇太子からの伝言を持ってきた。
皇帝の名において禁庫の封印を解くことを許可するとのこと。
小葵は目眩がした。
――何を言っているんだろう、この王子様は。
封印を解ける神女様がいないのに。
神女様がいないからこそ連絡が遅れて混乱しているのに。
夜更け、小葵は他の者たちを皇女の寝室から追い払った。
しばらく誰も入らないように言って扉を閉めた。
眠っているような王女の傍らに一つだけ灯火を残し、他は消した。
窓を開けて星明かりを招き入れる。
しばらく夜空に祈ると、黒い虹のような影が流れ入って人の形をなした。
「私の世継ぎのことだからね、直々に来たけれど。
お前、
小葵は床に身を投げるようにひれ伏さずにいられなかった。
見つめてはいけない。声を聞くだけでも総身が震える。
夜と影の主、魔王、
王女のために覚悟を決めたつもりが、これほど恐ろしいとは思っていなかった。
「さて。
久しぶりだね、私の名づけ子よ」
魔王は春嵐姫に声をかけ、しばらく見つめる様子だったが
「お前は竜に乗れるかね?」
と、唐突に聞いてきた。
養母が眠っているのを確かめて安良は小屋を出た。
もうすぐ
どんぐり形の小島の側面に刻まれた階段を上って社殿に向かう。
あと少しで上りきれる、いちばん幅の狭まったところで、夜虹の影に包まれた。
おおきみ様だと気づく前に影は半ばだけ人の姿になって
「夜にこんな道を…、危ないだろうに」
不機嫌そうな顔をした。
めっ、という顔だ。
急に抱きつかれるほうがよっぽど危ないと思う。
呆気にとられている間に魔王は戻ってきた。
影に抱いて誰か連れてきている。
痩せて、生成りの法衣のような質素な身なりだが
――きれいな
小葵はこんな時なのに見とれてしまった。
寝台のそばに降ろされた佳人は目をみはって、王女と、魔王と、小葵を順番に見まわした。
目が合うと労わるようにほほ笑んでくれる。
ふわふわした心地になりかけたが、魔王が影から人の姿になっていることに気づき、あわてて伏しなおす。
見てはいけないのだ、絶対に。
少しの間のあと、とても悲しそうな声がした。
「あの――私も何もしてあげられません」
悲し気で穏やかな、少年の声であることに驚いた。
本当にこんな時なのに。
「申し訳ございません」
「いや、お前」
深みのある魔王の声が応えた。
「〈涼新たなるお方〉がどこにおわすか、お前はわかるだろう?
姉さんを連れていっておやり」
「えっ…」
「そこの者は竜に乗れないと言うのだよ」
少年のほうをこっそりと見上げると、何を言ってるんだこの人はという顔をしていた。
それにしてもきれいだ。
やさしい線の眉、さらさらした髪、明るい色の大きな眸に、それから――
「あの、私も乗れません」
「ん?」
「〈契約〉の印がない者は乗せてもらえません。
印をお持ちなのは皇族の方々と高位の神職の方だけです」
「そうだったか?」
少年は小首をかしげてにっこり笑った。
しょうがないお方だ、という表情だが、魔王は言った。
「傲慢な竜どもめ。
だがお前は乗せるだろうさ、
やすら」
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