第30話
「あ……」
いつものように、名取慎吾(本物)と入れ替わって若葉学園へ登校中のことだ。今にも泣き出しそうな空がとうとう涙を零したところだった。
なんていうか、雨に濡れたアスファルトの匂いがやけに懐かしく感じるとともに、俺は今日何かが起きそうな予感がしていた。
そういえば、名取慎吾(本物)が最近、やたらと俺に学校の様子を聞いてくるようになった。あれだけ嫌がってたのに気になってるってことは、いい加減ゲームに飽きて学校へ行きたいと思うようになってるのかもしれない。良いことだ。
俺自身、ぶっちゃけ毎日学校に通うのはダルく感じ始めている。年齢だけ若く見せても、結局のところ中身はおっさんなわけだからな。
なので、そろそろお互いに本来いるべき場所に戻るべきなのかもしれない。たまに学校へ行きたくなったら交代してもらえばいいし、あいつだって良い気分転換になるはず。
「――ん……?」
雨が激しくなってきたこともあり、俺は誰の目にも留まらぬ速さで学校へ到着すると、玄関付近でやたらと視線を感じるのがわかった。生徒たちがそこそこいるから特定できないが、この中の誰かにとても注意深く見張られてるような、そんな陰湿な空気がヒシヒシと伝わってくる。
やはり、こんやじゅうにじだれかがしぬ――わけじゃないだろうが、何かやばいことが起きるのはほぼ間違いない。
「――藤井ー、一緒に帰ろうぜえ」
「おう、鍵山。どっか寄ってくか?」
「カラオケいこーぜ」
「いいね」
「…………」
あっという間に放課後になったってことで、俺は深淵の耳当てを使い、耳をそばだてて最近の若者が学校帰りにどこへ行くのか聞いてみたんだが、その内容に驚かされっぱなしだった。
カラオケだの猫カフェだの100均だの、あとは部活かどこにも寄らずに帰宅するのがほとんどで、ゲームセンターに行く生徒が一人もいなかったのでジェネレーションギャップを感じてしまったんだ。昔はゲーセンが基本だったのになあ。たまに本屋とか。
やっぱり、見た目だけ若返っても心まであの頃に戻れるってわけじゃないので、より自分が歳を取ったんだってことを意識させられてしまう。皮肉なものだ……。
ん、教室から出てしばらく廊下を歩いていると、柴田に加えて複数の生徒が俺のあとを追ってくるのがわかった。どいつもこいつも特徴的な吊り上がった眉をしてると思ったら……思い出したぞ。柴田と一緒に俺をボコボコにしたやつらじゃないか。多分、銀さんの足を負傷させたのもあいつらだ。
いよいよこのときが到来したか。最近何もしてこないしとうとう諦めたのかと思い始めてたら、こういうことだったんだな。油断させておいて、こうして人数を集めて奇襲してやろうっていう魂胆なんだろう。
気になるのは、連中が一様に嫌らしい笑みを浮かべてるってことだ。何か余裕があるっていうか、勝ちを確信しているかのような、そんなある意味不気味な表情なんだ。一体どんな汚い作戦を練ってきたのかは知らないが、無駄なことだ。
さあ、いつでも来い。俺はやつらに向かって振り返ると、わざと怯えるような表情を見せつつ、あえてゆっくりと歩いた。最早牛歩といっていい遅さだが、これでも走ってくるやつらと同程度。俺が普通に走ったらっていうか、歩くだけでも簡単に振り切っちゃうからなあ。
「やつが逃げたぞ!」
『追えっ!』
兵士のような台詞を吐いて追ってくる不良どもを殲滅するべく、少し立ち止まって何度かやつらに捕まりそうになりつつも、追い立てられる格好で人気のない校舎裏のほうを目指すことに。
『へへっ……』
「そ、そんなぁ……」
そこで10人ほどいる不良たちに囲まれてしまった俺は、わざとらしく声を震わせるとともに肩を竦ませる。それにしても、昔のヤンキーは見た目からして金髪のリーゼントやらボンタンやらで気合が入ってたが、今は違うんだな。下手すりゃ一般人と変わらない。
やつらの中には見ない顔も何人かいて、高校生の割りにやたらとガタイがいいのもいたから、おそらくこいつがボスなんだろう。この男だけは体格もそうだが、雰囲気というか目つきが違う。
「名取慎吾だっけ? なんで逃げんのよ。ちょいツラ貸してくれや、なぁ」
「……は、はぁ……」
「お前、最近やたらと目立っとるようじゃのー」
お、ボス猿がタバコを口に銜えたかと思うと、ライターで火をつけつつ喋りかけてきた。その際、若干咳き込みそうになってたので俺は思わず噴出しかけたが我慢する。
「……め、目立ってるって?」
ビビッていると思わせるべく、俺がおずおずと問いかけると、やつはもったいぶるかのように目を細めて煙をフーッと吐き出したのち、俺に顔を近づけて凄んできた。顔芸かと思うと笑えてくるが、ある意味テンプレだと思って堪える。
「うちの舎弟の柴田の女に手出してるって聞いたからよぉ。うちのシマ荒らして、覚悟できとるんか、ワレェッ⁉」
「え、えぇ?」
「しらばっくれんな、オラッ。空野陽葵って女だ。このダボがあッ!」
「あ、あぁ。あれって柴田君の彼女だったんですか?」
「アァッ? おい柴田、お前の女よな?」
「も、もちろんっす! 俺の女を、この名取慎吾が奪ったっす!」
柴田のやつが俺を指差してとんでもないことを言ってきた。よくこんな出鱈目を平然と主張できるもんだなあ。
「名取慎吾。お前、なんちゅうことしてくれるんじゃ、おいコラアッ!」
「…………」
「しらきんのかワレッ、挽き肉にされてもしょうがねえことやっとるんぞ。あぁ⁉ おいてめえら、例の女連れて来い!」
「へい」
ん? ボスの命令で、不良たちがどこかへ向かったと思ったら、まもなく一人の女子生徒を連れてくるのがわかった。あ、あれは……。目隠しに加えて口にハンカチのようなものを当てられてるが、俺にはそれが誰なのかよくわかった。現実世界での俺の唯一のファンである空野陽葵だ。
「おい、空野。お前の彼氏は柴田だよな?」
「……ひ、ひがい……違います……」
さすがだ。どういう状況なのかは薄々わかってるだろうに、彼女は喋りにくそうだったが即座に否定してくれた。
「おい、空野。お前自分がどういう立場かわかっとるんか?」
「…………」
「……なんとか言え、コラ! おい柴田、お前無理矢理ぶちこんでやれ」
「えっ? で、でも、それは――」
「――いいから、やれっての! チェリーかキサン⁉ 女なんてのはよぉ、先にやったモン勝ちなのよ。初めてやった相手を好きになんのよ。この名取とかいうビビリ君も寝取られて嬉しい、お前も好きな女を手に入れて嬉しい、ウィンウィンじゃねえか」
「……う、うん。それじゃ、やるっす……!」
「い、嫌っ……! やめでっ、お願いだからっ……!」
「はあ……お前ら、覚悟はできてるんだろうな」
『えっ⁉』
やつらが驚くのも無理はない。何故なら、今の俺は名取慎吾の姿ではなく、かつてのホームレスそのものだからだ。
「……え、その声、もしかして、トモさん……⁉」
「そうだ。助けにきたよ、俺の唯一のファンを」
「ト、トモさん、ダメ。逃げて……!」
「大丈夫だ。ちょっとだけ待ってろ」
スマン、名取慎吾(本物)よ。ここで名取を演じてしまったら、吊り橋効果も相俟って俺の唯一のファンを君に取られちゃうかもしれないから。俺はそこまでお人よしじゃないんだ。
『――ぐはぁっ……⁉』
騒動にならないうちに素早く終わらせてしまおうと、俺はスピード面だけは本気を出してやつらを蹴散らしてやった。ある意味暴走族といっていい。多分、連中には何が起きたかすらもわからないはずだ。気付けば倒れていて泥を舐めていたくらいにしか感じないだろうが、これでいいんだ。
「ひっく……。助けにきてくれたんですね……」
「あぁ、俺の唯一のファンだからな、陽葵ちゃんは」
「……それだけですか?」
「え?」
「私、ファンなだけじゃなくて、あなたのお嫁さんになりたいです……」
「…………」
「ダメですか?」
「……よ、喜んで」
「よかった!」
はっきり言って年齢差がありすぎるが、それでもいい。もし気が変わってしまっても、女心と秋の空っていうからな。自分はこんなおっさんなんだし、期待なんかせずに待ってやるとしよう。
そんな達観した感じのことを内心思いつつ、俺はいつの間にか空が晴れ渡っていることに気付いた。年甲斐もなく、青春ごっこに夢中になってたみたいだ。俺もまだまだ若いのかもしれない。眩しい空にかかる虹を見上げながら、自然と笑みが零れるのがわかった……。
ホームレスのおっさん、現実と異世界を行き来できる称号を得て最強になり、無双する姿を異世界に配信して人気者になる。 名無し @nanasi774
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