第20話


「――ふう……」


 あれだけ激しかった雨がピタリと止んだこともあり、俺は運動がてら『深淵の森』でモンスター相手にひと暴れしたあと、例の洞窟から現実世界へ帰還したところだった。


 ちなみに例の宿での一件以降、少し離れた場所で深淵の耳当てを使って蛇男と少女の会話を聞いてみたんだが、やっぱり迷惑系マジカルユーチューバーっていうだけあってそういう邪悪な意図があったんだなとわかった。


 それと、だ。エシカテーゼっていう女の子が俺を恨んでるかと思いきや、ダーリンにするとか言い出したのでちょっと焦った。ただ倒しただけだってのに、一体なんで気に入られたんだか……。ま、まあ女心と秋の空って昔から言うしな。心配しなくても一過性の恋心なんてすぐに冷めちまうだろうさ。


 こっちに来るまでには向こうの世界も雨が上がってたとはいえ、現実世界のほうは雲一つない快晴で、改めて住んでいる世界が違うんだと実感できた。そういや、まだ昼頃なのか。


 顔見知りがいないかどうか、【地図】スキルで周囲を隈なく探してみたが、銀さんはどこか出かけちゃってるみたいだし、黒猫のクロも姿を見かけない。例のヘルメットの女の子は学校中だろうし、暇すぎるってのも考えモンだ。また異世界へ行こうか……そう思ったとき、誰かがこっちへ近付いてくるのが見えた。


 ありゃ誰だ? 学生服を着てるし、どこかの学校の男子生徒みたいだな。また性懲りもなく俺をボコりにきたのかと思ったが、眼鏡を掛けてて真面目そうな上に一人しかいないし違う可能性もある。ただ、人は見かけによらないともいうしな。一応元のホームレスの姿に戻って相手がどう出るか様子を探ってみるか。


「…………」


 俺はわざとらしく、男子生徒を見るやいなや、怯んだと思わせるためにビクッと肩を震わせてやった。これなら、あんまり喧嘩に自信がなくてもこいつなら大丈夫だと思って襲い掛かってくるかもしれないしなあ。


 ……あれ、男の子は俺に向かってぎこちない笑みを浮かべながら軽く会釈してきたかと思うと、遠慮したようにベンチの端に座ってスマホ――いや、ゲーム機を弄り始めた。あれは仁天道スイッチってやつか。なんか普通にいい子そうだし話しかけてみっかな。


「ちょっといいかな」

「あ、すみません、おじさん。お邪魔でしたか?」

「いやいや。心配しなくていい。どんなゲームをやってるか気になってな」

「……これですか? エルダーの伝説ですよ」

「おお、あれか、魔法の木が少年になって冒険するやつか。そりゃ超有名タイトルだね」


 勝手に覗き込むわけにもいかねえってことで訊ねたらやっぱりそうだったか。俺も昔はゲームをよくやってたなあ。当時はファミリアルコンピューターだったか。それにくっつける形でデスクトップシステムってのがあって、カードの書き換えとかを店でやってて、一回500円だったんだ。ドラグーンクエストⅢも徹夜で並んで買ったもんだよ。当時は社会現象にもなった。まあおっさんじゃなきゃわからんことだが。


「ちょっと覗いてもいいかな?」

「あ、いいですよ。やってみます?」

「いやいや、俺はおっさんだし下手糞だから、隣で見るだけでいいんだよ」

「はあ、わかりました」

「……うわ、森林の影まで揺らめいてるじゃねーか。今のゲームって、映像が映画みたいに美麗で随分進化しちゃってるねえ」

「そうなんですか?」

「そうだよ。昔は本当にクソゲーばっかりだったからね。値段だけバカ高いくせに」

「ははっ……」

「男爵令嬢誘拐事件シャーラップホームズなんたらっていうゲームはそれはもうやばくてね。町を歩いてるだけの通行人を探偵の主人公がキックで倒せるんだけど、そのうち自分が何をしてるのかすらよくわからなくなったよ」

「へえ、面白いんですねえ」


 こんな感じで、俺はゲームをする男の子に話しかけまくっていた。正直迷惑かもしれないと思ったものの、悪いと思ってもやめられない止まらない。銀さんもそうだが、おっさんになると話がやたらと冗長になっちまうんだ。


 俺はそのあとも、お化けのK太郎っていうゲームをやって腱鞘炎になりかけた話なんかをやって笑わせようとしたんだが、大きな溜め息が少年の口から飛び出したのでハッとなった。


「わ、わりいな。邪魔だったろ。おっさんはこの辺で失礼するよ」

「いえ、違うんです」

「え?」

「僕、学校に行きたくなくって、今日家に帰ったらバレるかと思うとつい溜め息が……」

「じゃあ、今日はサボったのか」

「はい。最近高校生になったんですけど、中学時代から僕をいじめてきたやつと一緒のクラスだし、学校なんてもう行きたくないと思って……」

「……わかるなあ。俺もガキの頃からよくいじめられてたから」

「え、そうなんですか? そんなに明るいのに」

「ハハッ……そりゃ、今はな、現実が辛すぎて笑いもないとやってられんから。ほら、こういう格好だから、わかるだろ?」

「……ホームレス、なんですかね?」

「そうそう! これでも元ユーチューバーだったんだがなあ」

「へえ……意外ですね。僕も学校行くくらいなら、ホームレスかユーチューバーになりたいかなあ」


 少年が覇気のない表情で天を仰ぐ気持ちがよくわかる。学校なんてジメジメしてて、俺も本当に行きたくない場所で監獄にすら見えただけにな。どんなに穏やかなメダカでも狭い水槽に何匹も入れればそのうち喧嘩が始まる。それと同じで、なんの原因もないのにいじめられることなんてざらにあった。そもそもいじめなんて刑務所の娯楽みたいなもんで楽しいからやるんだろうしな。


 代わってやれるものなら代わってやりたいが……って、待てよ? 俺にはそれが可能なんじゃないか?


「君、どこの学校で名前はなんていうんだ?」

「僕ですか? 若葉学園の一年二組の名取慎吾なとりしんごっていいます」

「おお、しかも若葉学園か! なあ、提案があるんだが……俺と人生を交代しないか?」

「え……?」

「ゲームばっかりじゃ飽きるだろうし、なんなら一か月だけでもいい。俺は変装の名人でな。誰にでも成り代わることができる」

「そ、そんな、ご冗談を――」

「――これを見てくれ」

「え……えぇぇっ!?」


 名取っていう少年が驚くのも無理はない。ホームレスの汚らしいおっさんから、イケメンでスリムで若々しい、学生服姿の少年になったのだから。これもエデンの首輪、【年齢操作】スキル、仙人の平服のおかげだ。


「どうだ、凄いだろう?」

「す、凄い……で、でも、ちょっとイケメンすぎるような……?」

「それなら、君の下ろした髪形を真似して眼鏡をかけたらいい。ほら、それっぽくなる」

「あっ、ほんとだ……!」


 俺はさっき『深淵の森』で手に入れた五個の魔石(小)のうちの一つに【物々交換】スキルを使い、少年のと同じような眼鏡を掛けて笑みを浮かべてやった。もちろん伊達だから度は入ってない。


「でも、僕はどうすれば……?」

「大丈夫。好きなだけゲームできるような場所があるから、そこへ行くといい。学校が終わったら迎えに行く」

「へえ、そんな場所が? って、そんなのあるわけないよ……」

「いや、あるんだな、これが……」

「ちょっ!?」


 俺は少年を抱えると、空間の歪みへ向かってジャンプした。


「――こ、ここは……?」

「とある洞窟の中さ。ここなら誰も入ってこないし、食料も用意してある。ほら」

「わあ……」


 俺は以前【物々交換】スキルで獲得しておいた鯖缶やらカトウのご飯のパックやらを【倉庫】から適当に取り出して広げてみせた。


「で、でも、ここ、ちょっと怖いような……?」

「大丈夫大丈夫。トイレに行きたくなったらあの壁の下にある歪みに触って戻ったらいい。公衆トイレがすぐ近くにあるわけだからな。あ、洞窟に戻るときは近くのテントを押えてある石を使って、その上でジャンプするといい」

「な、なるほど。でも、なんだか夢みたいですね……」

「夢なんかじゃないさ。さっき、少し静電気みたいなのが走っただろ?」

「あ、そういえば、確かに……!」


 名取という少年も、これが現実のことなんだと理解できた様子。さて、これで俺も明日から若葉学園の生徒として生きていけるってことで、なんとも感慨深いな……。

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