第21話
「慎吾ちゃん、気を付けて行ってらっしゃい」
「うん、母さん、行ってくる!」
「あ、ねえ、ちょっと待って。何か悪いものでも食べたの?」
「え?」
「だって……あんなに学校に行きたくないってぐずってたのに、昨日から妙に張り切ってるし……」
「き、気のせいだよ。それじゃ、行ってくるね」
「…………」
深淵の耳当てってのは本当に便利だ。自分の聞きたい音や声だけを的確に拾ってくれるんだからな。
こうして、公園から名取慎吾(本物)と母親の会話をしみじみと聞いてたら、それからほどなくして本人が俺(偽物)のもとへと駆けつけてきた。彼が結構近くに住んでるのがわかったので、ここで待ってたんだ。さすがにどんなに似てるといっても、家の中まで本人として入り込むのはリスクがでかすぎるからな。
「おじさん、お待たせっ!」
「よし、来たか。それじゃ例の場所まで行くぜ!」
「うん!」
そういうわけで、俺は《リンクする者》の称号を使い、空間の歪みを作り出すとともに少年を抱えてジャンプした。といっても、あんまり高いところには作らない。この子が公衆トイレを使うために現実世界へ戻ったとき、石の上に乗って跳躍しても伸ばした手が届かなくなる恐れがあるから。
名取君(本物)を洞窟まで送った俺は、その足でニセモンの名取君として若葉学園へと向かった。あいつが一ヶ月くらいしてゲームに飽きて学校へ行きたくなる頃には、いじめっ子らを一掃して毎日快適に登校できるような環境づくりをしてやるつもりだ。そうなったらあの母ちゃんも泣いて喜ぶだろうよ。
学校へ着いたとき、校門付近で見守っていた教師たちから不審者扱いされるんじゃないかと緊張したが、普通に素通りできたので大丈夫だった。ふう。よく考えたら当たり前なんだが、まあ俺の外見は高校生そのものとはいえ、中身はおっちゃんなわけだからな。
そういう事情もあって、慣れるまでは少々時間を要しそうだ。ただ、どのクラスなのかはあらかじめ本人から聞いてるし、それがなくても目的地である一年2組の教室までの道筋は【地図】スキルの効果で輝いて見えるので問題ない。
はあ、それにしても鳥肌が立つくらい懐かしいなあ……。下駄箱や教室、廊下等の木やワックスの匂い、どれもこれも、かつて俺が味わった覚えのあるものばかりだ。金木犀の香りなんかもそうだが、当時は当たり前だと思って意識もしなかったものが、歳を取るとやたらと貴重で愛おしく感じられるものなんだ。匂いと記憶は相関性が高いというのもうなずける。
俺はすれ違う高校生たちに対し、心の中で話しかける。おい、お前ら、想像もできねえだろ? 今歩いてる自分はおじさんなんだぞ? あたかもシャーラップホームズの主人公になったかのような謎の無双感を味わいつつ、俺は該当する教室へと向かった。おぉ、いるいる。子供たち――もとい、俺の同級生たちが。やはり、いじめられっ子が久々に来た影響か、多くの棘のある視線を肌で感じることができた。
「お、名取のやつ、学校来たのか」
「あいつ、久しぶりに見たな」
「いじめられた傷も癒えたのかね」
「家でもいじめられてて居場所なくなったんじゃないの」
「てか、なんか表情明るくね?」
「…………」
おっと、いけねえいけねえ。急に表情が明るくなったら変に思われるかもしれないってことで、俺はどんよりした面持ちになりつつ席に座った。すると、だ。やっぱり気のせいだったとか陰キャのあいつらしいとかそんな声が飛んでくるのがわかった。
とにかく、俺をいじめてたやつらを誘き寄せて全滅させるには弱い振りをしておいたほうが無難だろう。ゴキブリは一匹見かけたら100匹いるっていうから、ちょっと駆除してハイ終わりってわけにもいかんしな。
「――お、珍しいのが一匹いるな。それじゃ、授業を始めるか」
『ププッ……』
俺のほうを一瞥した先生の第一声が眩しい。おいおい、一匹だと? これにはクラスメイトの一部から失笑が上がる始末。これじゃまるで野良犬かなんかが教室に迷い込んできたみたいじゃないか(昔はよくあったが)。教師がいじめに加担するのもありがちだが、根が深い感じがしたので徹底的にやらねば。
「――おい、名取慎吾。この数式を解いてみなさい」
「えっ」
数学の授業中、俺は先生からいきなり名指しされた。おいおい、学校を休んでいた俺をわざわざご指名とは……これも教師の人気取りの一環だろうか?
「どうした? いいから、ほら、やるんだ。お前ができないのはわかっているが、とりあえずやってみなさい」
『ウププッ……』
「はあ、わかりました……」
大方、滅茶苦茶な答えを書かせて笑いを取ろうってやつだな。こうしていじめられっ子を犠牲にすればクラスの一体感も増すから、授業を妨害するような生徒も逆に出辛いっていう考え方かもしれない。さすが学校の先生にまで上り詰めただけあって、凄くかしこい。
「できました」
『えっ……!?』
教壇に立った俺が1秒も経たずに黒板に解答を出してみせたこともあってか、先生を含めて、生徒たちから驚嘆の声が上がる。そりゃそうだろう。これだけ知力値が上がってるんだから、学校の勉強くらい余裕だ。実際、学校に着く前にちょっと教科書を見たらスラスラ解けたからこの結果はわかっていたんだ。
いじめっ子連中からどんな反応が見られるかと思ったら、たまたまだろとか、あんなの大したことないとか、そういった負け惜しみのオンパレードで爽快だった。
「――おいコラ、シンゴー、お前生きとったんか、ワレ」
先生が教室から去り、休み時間に入った途端いじめっ子らしき強面の少年がやってきた。このわかりやすさ、助かる。
って、この眉毛がやたらと薄くて整えられてるやつ、どこかで見た覚えがあると思ったら……そうだ。この前俺をボコったやつの一人じゃねーか! こいつも高校生になってやがったんだな。しかも入れ替わった名取と同級生とは、何か因縁のようなものを感じる。
「おい、んだコラ、何人の顔じろじろ見てんだ。俺と喧嘩したいってのか!?」
「あ、い、いえ……」
「へっ、ビビりが。数式を偶然解いたくらいで調子に乗りやがってよ。慎吾、てめえのその間抜け面がむかつくから、挨拶代わりに一発殴らせろや」
「え、そんな――」
「――やめて!」
『え……』
いじめっ子と俺の声が被る。誰かが勇気をもっていじめを止めてきて、偉いなと思ったら、そこにはまたしても見覚えのある生徒がいた。ヘルメットを被ってないから気が付かなかったが、確かにあの子だ。俺がユーチューバーをやってた頃にファンになったと公言した少女だった。
「名取君が困ってるじゃない。柴田君、いじめ格好悪いよ」
「ちっ、またお前か……! 名取、てめえ覚えてろよ。今度俺の仲間連れてきて、たっぷり可愛がってやっからな!」
顔を歪め、捨て台詞とともに立ち去るいじめっ子。柴田っていうんだな。仲間も連れてくるんなら、こっちから探す手間も省けそうだからいいとして、なんでそこまでして俺に執着してくるんだか。まさか、この正義感の強い子にホの字とか? やたらと素直に引き下がったことからもありえそうだな。
「名取君、大丈夫だった?」
「あ、う、うん。平気。ありがとう……」
「お礼なんていいよ。私ね、いじめとかする人、大っ嫌いだから」
「さすが、俺のファンなだけある――」
「――え?」
「あ、い、いや、こっちの話! それより、君の名前は?」
「え……名取君、忘れちゃったの? この前、私も中学生の頃いじめられっ子で家に引きこもってばかりだったから、他人事とは思えなくって自分のこと話したのに……」
「そ、そうなんだ。なんか階段で転んで頭打っちゃって、それで忘れちゃったのかな」
「え、だ、大丈夫……!? もう一度言うけど、私、
「あ、そうなんだね。覚えておくよ」
「ふふっ」
俺のファンはひなたちゃんっていうんだな。覚えた。本物の名取君も、いじめられてもこんな優しい女の子に庇ってもらえるなら、ゲームなんかせずに学校に通ってたほうがよかったのに。まあなんにせよ、いじめっ子に加えてこの子と一緒のクラスなら、学校生活は尚更楽しくなりそうだ。
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