第一話:煌めく海と、目指す島
*
──話は数時間前に遡る。
「あれが目的の島か。何だか不思議なトコだなあ」
ワタライ・ワダチは甲板の手摺りから身を乗り出し、眼前に広がる光景を眺め声を上げた。潮風に少し癖のある赤毛がなぶられ乱れるのも気にせず、その朱金の瞳を好奇心に輝かせる。
ワダチたち六名はとある任務を背負い、瀬戸内海の小さな島へと船で海を渡っている最中だった。午後の陽光に穏やかな波は煌めき、蒼穹を背景にして海鳥が頭上を行き交う。
「ワダチちゃんたら、あんまり身を乗り出すと落ちるわよ?」
夢中で風景を眺めるワダチの背に、不意に野太い男の声が飛んだ。ワダチは手摺りに預けていた身体を船縁から引っ込めると、声の主へとおもむろに振り返る。
「テライさん、その呼び方やめて貰えませんかね」
「あらぁ失礼。ついアタシったら……あんまりにもワダチちゃんの行動が可愛いもんだから」
「だから、呼び方! テライさんってば」
抗議するワダチの視線の先にはテライと呼ばれた男が立っていた。
そう、男である。自分を『アタシ』と称するこの男の名は通称ディアドラ・テライ。身長も高いが肩幅も広いレスラーのような大柄の体躯だ。だが体格以上に目を引くのは、それに似つかわしくない真っ赤なピチピチのワンピースと赤いヒール、それに網タイツと派手なメイクであった。
ディアドラはオーバーリアクションで肩をすくめると、やれやれといった風に派手なルージュを引いた口を開いた。
「分かったわワダチ君。でもね、それならアタシの事もテライさんじゃなくてディアドラ姉さんって呼んでくれないかしら?」
そして豊かな栗色の縦ロールを掻き揚げながらウインクを一つ。ワダチはディアドラのそんな仕草に表情が引き攣るのを懸命に堪え、溜息を飲み込んだ。
どう返答すべきか悩みつつワダチが口を開きかけたその時、涼やかな声が二人の間に割って入る。
「──リーダー、ワダチ君。もうすぐ着くからそろそろ準備してくれと船長が」
そう言いながら船室から現れたのは、すらり背が高く男物のスーツを着込んだ女性だった。銀縁の眼鏡を掛けた理知的な顔は凜々しく、ハスキーな声音も相まって中性的な雰囲気を醸し出している。
「あら、もう? じゃあ急がなきゃね。ありがとコヨミ」
カツカツとヒールを響かせながら船室へ向かうディアドラの背を眺めながら、何だリーダーでもいいのかよ、とワダチが毒づく。そんなワダチにコヨミと呼ばれた眼鏡の女性が柔らかに微笑んだ。
「リーダーはいつもあんな調子なんだ、悪く思わないでくれ。──さあ、ワダチ君も準備を」
この男装の麗人の名はコトホギ・コヨミと言う。暗銀色の前下がりのボブに灰色の瞳、そしてストイックにも見える淡いグレーのスーツがワダチの目に眩しかった。むしろこの人の方こそお姉様と呼びたいものだ、と思うもののワダチは口には出さなかった。
「あ、はい。直ぐに行きますんで」
ワダチの返答に満足げに頷いたコヨミが船室へときびすを返す。その後を追おうとして──もう一度だけ、ワダチは背後を振り返る。
先程より近付いた島が鮮明に見える。白い砂浜と緑に覆われた沿岸部に対し、島の中心部にはまるでCGで加工されたかのように、巨大なビルディングが数え切れない程建ち並んでいた。
そして中央にそびえ立つ、天を衝く程に高い時計塔から何かが──そう、得体の知れない何かが自分を見詰め返したような気がして。
──いや、そんな筈は無い。初任務で緊張してるだけだ。……しっかりしなくては。ワダチはそう自分に言い聞かせ、背筋に走った悪寒を首を振って散らしたのだった。
*
その島の名は、
瀬戸内海に浮かぶこの小さな島には、戦前には住民がいたようだが、無人になってから長いこと放置されていた。そこに目を付けたのが躍進甚だしいIT系の企業の若社長だった。
企業はその島を買い、そして本社をそこに移す計画を立てたのだ。インフラを整え、ビルを建て、街を作り、住居を揃え、病院や学校や娯楽施設までも整備し、その島だけで全てが完結するひとつの街を作り上げた。
そのシンボルとなっているのが、島の中心部に建築された時計塔だった。ロンドンのビッグ・ベンにも似た雰囲気のそれは、荘厳さと雄大さを兼ね備えていた。島で一番高い建築物である時計塔は島の何処からでも見る事が出来、そしてその鐘は島の何処までも響くのだ。
若き社長は工事の視察に訪れた際、完成間近の時計塔を眺め、『これぞ私の理想だ』と満足げに笑ったという。古くは時計部品の製造を担う小さな町工場に端を発したその企業にとって、代が替わり業種が変われども、未だに自分のルーツは時計にあるという矜持がそうさせたのかも知れなかった。
街がほぼ完成し、いよいよ本格的に大移動を始めようという頃──それは起こった。
原因不明の事故が相次いだのだ。最初は偶然で片付けていた小さな事象が度重なり、とうとう作業員に死者が出るに至って、企業は事の重大さを認識した。
勿論、島を買い上げるにあたり周囲の島の住民達に古いいわれは無いかとの聞き込みもおこなったし、地鎮祭などの儀式も蔑ろにしてはいない。再度お祓いなどをしても立て続けの事故はおさまらず、とうとう計画は一時凍結となってしまった。
しかし巨額の投資をした計画をこのまま諦めるなど出来よう筈も無い。
──かくして社長は悩んだ末、『組織』への調査を依頼したのだった。
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