第19話 最後の悪あがき
「先生、最後くらい協力してくださいよ」
「協力って何をすればいいの」
「帰りのバスどっちのクラスのに乗る予定ですか」
「樺山くんのクラスに乗る予定よ」
「じゃあ交代してくれるように頼んでください。白石先生なら先生が頼めばすぐ受け入れられるはず」
「それだけ?」
「はい」
もうこの時間に脱走するのは不可能、最終日は先輩からの情報で掃除と感想文を書かされる予定のはず。時間的に余裕あるのは掃除の時間だが、現状外へ脱走できるルートは夜九時ちょうどの時間にタオルが積まれてなければ危険だ。
仮に降りることができたとしても、掃除は自分の部屋のみ。勝手に四階へ向かったらほかの生徒に不審がられるか、見張りの先生に捕まる。なら別の場所でやるしかない。
「どうしてそこまで意地になるの」
「俺は兄貴のように頭もよくないし、体力もない、コミュ力もない。ないないづくし。でも伝説を残し、継承したい。兄貴がしたように」
俺の目的は脱走するのではない、『
「大志くん、あなたのことを評価していたけどまるで違うわね。向こう見ずな人だわ。いいわ、バスの位置交代してあげる」
***
翌朝、朝の一時間はこの合宿の期間の感想を書くというもの。その次が掃除とスケジュール通りに進んでいる。そう何事も起きなくていい、順調に進んでいてくれ。ここでまたトラブルが起きたら、この後のチャンスがつかめない。
同室の河坂とは無言のまま掃除を進めている。おとといの夜以降ほぼ会話することなく、お互い無言を貫いている。
「終わったぞ」
「こっちもだ」
短い会話、というか返事をして荷物を抱えて部屋を出る。
「今日は何も起きなくてよかった」
ああ、今のところはな。
悪いな河坂、この後最後のトラブルを起こすからよ。我慢してくれ。
部屋の掃除が終わったのは俺たちが最後だったらしく、エントランスには学年全員が集合していた。
「樺山、河坂早く並べ。全員集合、これからお世話になった合宿所の人にお礼を述べる。代表学級委員」
学級委員が従業員の方に感謝の挨拶を述べる中で、モリセンに怪しまれないよう腹の辺りをぐりぐり確かめる。
朝は結構水を飲んだ。ちょっと刺激しても出るか。
「ではこれより、学校に戻る。全員バスに乗れ」
モリセンの命令に従い、カバンを引っ提げてバスに乗り込んだ。
座席は行きと同じ場所のはず。しおりの座席表に従ってその場所に座る。隣には誰もこない。いや本来は宮間が座るはずだったが、空席になっている。前にある袋を漁ってみると、やはり備え付けていたエチケット袋。これがあれば。すると朝井が同室の奴らと談笑しながら通路を進んでいた。
「樺山、ここ空いているなら隣に座ってもいいか」
「いや、ちょっと一人にしてほしい」
「そうか」
何かを勘付いたのか、それとも気遣ってくれたのかあっさりと後部座席へと下がってくれた。すまんな朝井、さすがに今回は隣に居させるわけにはいかん。
そしてバスに乗り込んだ引率の先生は、モリセンと白石先生の二人。
松田先生がちゃんと入れ替えてくれたようだ。
ガクンと座席が動くと、バスが動き出した。じわじわと動くバスはらせん階段のような坂道を降りて、麓に向けて進み続ける。ふと窓の外から白い煙が見えた。前に見た浴場がある場所、そしてそこのコンクリートの壁には松田先生と兄貴がいた。
一瞬、その場所に若い松田先生と兄貴が座っているハイエースの幻影が見えた。
バスはその場所に停車することもなく、通り過ぎていく。通り過ぎた跡には、アスファルトしかなかった。そこには最初から何もなかった。あのハイエースは俺の頭の中にしか存在しないものだ。知っている者にしか見えない幻影。
兄貴はあそこで心を折られて消えてしまったが、兄貴の目標である伝説は『コンビニ男』として誰かが伝承してくれた。中途半端な形ではあるが、生気のあった兄貴の残り香を残してくれた。
頼りないロープを腕二本を頼りに伝って、女風呂を覗きたい雑念を振り払って最終的に他人任せ。ふつうの人はこんなルート怖くて使えないというのに。自分ができるからほかの人もみんなできると考えるまさに兄貴がやりそうな脱出ルートだ。
そしてヒントもほとんどない状態で、ルートに入れた宮間も。やはりあいつはどこか兄貴に似ていた。俺はずっと今日まで兄貴の幻影を追いかけていたのかもしれない。
だが、今をもって兄貴の『コンビニ男』伝説を塗り替える。
景色がだんだんと地表と同じ高さに近くなりだしたあたりで、俺は手を挙げた。
「先生ちょっと」
手を挙げてみる。都合よく白石先生が先に腰を上げたのを見て、手を下ろし喉の奥に指を突っ込んだ。喉の奥が脊髄反射でびくりと拒否反応を起こし始めると、そのまま指を深いところに押し上げる。
腹の奥から塊のようなものがこみあげてくる。それがのどのところにまで上がりだすと、すかさずエチケット袋を口に当てる。
「お、お。ぶろろぶえっふ」
「おい、樺山大丈夫か!?」
「な、なんとか。袋の中に入ってますか、ぜんぶ」
「お、おう。とりあえず全部出せ出せ」
先生が俺の背中をさすりながらバスの運転手に向かって「すんません止めてください。吐きました」と声を上げた。
「樺山気分が悪いのか」
「は、はい。なんか急に気持ち悪くなって」
「吐いたものは。タオルとか必要か」
「いやえらいですよ樺山は。エチケット袋の中に全部入れてます。ちょっと席の方がにおいますが」
「おお、そうか。とりあえずバスを止めるから、樺山降りて呼吸整えろ。白石先生、一緒に降りて見守ってくださいな」
バスが麓のちょうどコンビニの前に停まると、俺は白石先生に連れられて降りる。
「大丈夫か。半端に残すより全部吐き出した方がいいぞ」
「は、はい」
といっても出るものはもう出ないだろう。出したゲロのほとんどが大量に飲んだ水で、エチケット袋の中には液状のものが大半を占めている。
「コンビニ、寄らせてください」
「コンビニ? ああ、水か。それともトイレか。学校まで二時間だから我慢したら保健室でも」
「ちょっとバスは、きつい」
ふはぁーっとわざとらしく呼吸を深く入れて、息苦しさをアピールする。俺の反応を見て白石先生は険しい表情を作った。
「しょーがない。俺も森先生の隣はきつかったからちょうどいい。森先生、ちょっと樺山の体調悪いのでしばらく休ませておきます。俺が付き添いしておきます」
「ああ頼んだ。送り迎えはタクシーでも使ってくれ」
モリセンがバスを出すように運転手に伝えると、扉が閉まり、俺たちを残して走り去ってしまった。よし後は……
「おーい樺山、水買ってきたぞ。これで口の中洗っとけ」
先にコンビニに入っていた白石先生がビニール袋から水を取り出すと、それを投げて渡した。水を口につけると中の酸っぱいものが薄まり、口内がすっきりする。
「酒はだめですよ先生」
「なっ、おいおいこんな状況で買わねえぞ俺」
「でも何か買っていますよね先生」
先生は慌ててビニール袋を後ろに隠したが、水以外の何かが入っている重さはごまかせなかった。本来ならこの前のことをネタに強請るつもりだったが、先生の方からネタを提供してくれてありがたい。
「あー、なんかいるか。さっき吐いて腹の中空っぽだろ」
「なんでもいいんですか?」
「なんでもっては無理だけど」
「じゃあ、病院連れて行ってくださいよ。宮間が入院しているところの」
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