七日目

第18話 起死回生

「朝井、そっち掃除終わったか」

「あとからぶきで終わる」


 ついに監獄から解放される時が来た七日目の朝。この日は今までの六日間と比べると一番楽だ。


 パサパサのシャケの切り身付き朝食の後、授業の代わりにこの一週間の合宿の感想を二千字以内で書くというめんどくさい内容を書かされた。

 内容なんて、飯がまずい、一日中勉強で体が鈍る、監獄と変わらない。で済むのにわざわざ何を書けばいいのかさっぱりだ。

 しかも後輩たちの参考になるためにケガや事件のことは訂正するようにだとさ。


 いや後輩のためにこそどこの場所でケガしやすいとか改善することを伝えないとダメだろ。うちの部でもヒヤリハットやケガの発生原因をノートにまとめるというのに、終わってんなこの合宿。


 訂正の巡回に来ていたのが適当な白石先生と松田先生だったのが救いか。


「朝井くん何を書けばいいか困ったらいつでも手を挙げて質問してもいいのよ」

「はい、OKっす」


 松田先生とお近づきになれたことでも書いてやろうか。思えばこの合宿でいいことなんてそれぐらいだし。で、感想文を書いた直後に今までお世話になった感謝を込めて自分たちの部屋を掃除しろだとね。これは先輩から事前に聞いていたことだし、授業と比べたら体を動かせるだけでこの最終日は天国だ。というかこんな波乱万丈な合宿は俺たちが初だろう。


 宮間が覗き犯として捕まるわ、男子は連帯責任として深夜までモリセンのお説教を聞かされるわ。今までの合宿の中でうちの学年は最悪を引いたかもしれない。


 しかし妙だと思ったのは宮間に関する処罰の話が何もないということだ。宮間が覗きをしたという噂自体はすでに学校にも届いていた。いや今の時代LINEのグループを複数つくればあっという間に拡散される。

 ところが、水泳部のグループを見ればそんな話は聞いてないとくる。水泳部の二年生が俺だけだとしても、他の学年で二年と繋がりのある人間から伝え聞くはずだ。ましてや学校で顔が広いあの宮間がだ。


 ほかのグループLINEにも同じことを聞いてみたが、どうも宮間の話を聞いているグループと聞いてないグループでくっきりと分かれていた。


 おそらく学校が今回のことについて隠蔽を目論んで、情報統制をしているのかもしれない。宮間が退学させられないことはいいのだが、こんな措置を取ったのは宮間を助けるというより、伝統ある勉強合宿文化を意地でも守りたいという意思が働いたと思う。

 完全に俺の勘でしかないが、この合宿を体験したらそう思わざる得ない。

 共通化というお題目を掲げて勉強漬けの日々をさせられる苦行。従順に、大人しく管理しやすい合宿は先生にとって都合がいい。そんなことされたって、ちゃんと勉強とかしてやるってのに。子供の教育がいつまでも同じと思ってんのか。

 こんな環境なら、宮間や樺山のように無理にでも反抗する生徒が出て来るもんだっての。


「おーい終わったか朝井」

「終わった終わった。久しぶりに体を動かしたら、体バッキバキだ」

「お前はもう腹の方がバッキバキだろ」

「腰骨がボキボキいってんの」

「合宿が終わったら彼女捕まえた方がいいぜ。腰が鍛えられるからな」


 やっと解放されるからか、同室のやつがにやりと下ネタをはさむ余裕もできていた。こいつとは初日からすぐにはこんな関係にはならなかった。本来見知らぬ人間と気軽に話ができるというのは、天賦の才能が持っているものだ。俺が知っている限りは宮間がその類だ。

 最初はそれなりに、授業の愚痴とか言い合える程度には付き合えるだろうがやはり前のクラスのノリで話もできないし、プライベートまでには踏み込みにくい。相手が信用できるか否かの問題でなく、相手と自分との情報外の話をされると話が噛み合わなくなるからだ。


 そこで俺がとった方法は、馴染ませること。水泳もいきなり泳がせるより、塩素入りの水に顔をつけたり、水に体を浮かべることで慣らしていく。夜は樺山と探偵ごっこで旧友の仲を温め。朝と昼間は同室の奴らと勉強で分からないことの情報共有や先生たちの(ほぼモリセンのことが九割だが)陰口を言い合う。こうすることで両方の仲を深めていく。

 そして結果が出た。気軽に話すことができるぐらいには接近した。

 このつながりは後々また学校に戻った後にも響いてくる。分裂させられたクラスメイトをいつまでも隣にまで行くわけにもいかない。今のクラスの中で交友をつくらなければ、下手すると孤立してしまう。

 そう思うと、この合宿の意義である新しいクラスメイトとの交流を深めるは意味があったかもしれない。

 

 しかし中にはそうできない人間もいる。それは樺山だ。たった二日で親友を失い、もう一人の同室とはうまくいってないという。

 隣でずっと仏頂面のまま原稿用紙に無言でペンを走らせていた。昨日まで『コンビニ男』ルートを探す、真犯人を絶対に見つけ出すと息巻いていたがあの様子だとダメだったようだ。宮間親友のために必死になった本人には悪いがこの合宿の期間、楽しめて助かった。


 本当のところ『コンビニ男』ルートとかどうでもいい。半分は宮間のためそしてもう半分は去年比較的仲の良かった樺山と居られる口実が欲しかった。しかし樺山当人としても、気軽に話せるクラスメイトがいて助かったかもしれない。そう思うと、俺の下心も救われるかもしれない。

 しかし、最終目標の合宿所からの脱出はできなかったようだな。もし『コンビニ男』ルートというコンビニへ行ける道があるのなら、コーラとか飲みたかったなぁ。薄いお茶と水ばかりで、のどに刺激がなんもなくて寂しいんだよな。


 ……あっ、そうだ。宮間に預けていた千円返してもらってない。くそっ、学校に戻ってきたら絶対に請求してやる。


「部屋の掃除が終わった部屋から、荷物をもってエントランスに集合」


 三階を巡回しにきたモリセンの声に従い、先に終わった俺らのは荷物を肩に下げて、檻から退所した。他の部屋はまだ掃除をしているらしく、ほうきの掃く音が聞こえている。前に樺山の部屋に行ったことがあるが、すべての部屋の大きさは変わらないはずだから二人しかいない樺山はだいぶ遅れるだろうな。


 エントランスには半分くらいの生徒がすでに集まっていた。予想通りまだ樺山の姿が見えていない。


「やっと監獄生活から解放される」

「コーラとポテチ食いてえ」


 あと数時間で解放される。そう思うとみんな気が緩んで各々の願望を口に出し始める。しかしそこに横槍を入れる邪魔者が。


「おい、お客さんがいるんだぞ。静かにしろ。それと帰りの買い食いも禁止だ。帰るまでが勉強合宿だ」


 はぁ。またこれだ。合宿の決まりが法律かっての。それにモリセンの声が一番煩いっての。

 買い食いしてもごみはちゃんとゴミ箱に捨てるし、イートインスペースがあるコンビニに寄るし。買い食いの何がダメなのか。まあ伝えても変わらないんだよなこの合宿。


「全員集合、これからお世話になった合宿所の人にお礼を述べる。代表学級委員」


 十分程度経った後、出席番号順に整列して従業員の方にお礼のあいさつを述べる。

 早く終わってくれと頭の中で願いながら、学級委員長が合宿での疲労でやられたのか死んだような目でお礼のあいさつを述べていた。


「ではこれより、学校に戻る。全員バスに乗れ」


 すべての過程が終わり、合宿所を出るとまるで寝起きのように腕を伸ばしたりするやつらが出てきた。「まだ終わりじゃないって言ってるだろ、気を抜くな」

 モリセンが吠える声がエントランスに響く。お前の声が一番迷惑なんだけどな。


 合宿所の前に停まっているバスに乗り込むと、先に座っていた緑山と香川がお互いの頭を支えるようにもたれかかり熟睡していた。いるよな、緊張の糸が切れて帰りに熟睡するの。俺が去年に大会の応援から帰るとき、三年生が電車の中でいびきかいて熟睡していたように。


 ずんずんとバスの奥に進むと、樺山が一人手にあごを乗せて窓の外を見ていた。隣にはまだ誰もいないようだが、おそらく宮間がいた席だったのか。たしか行きの時も宮間と隣だったし、やっぱ寂しいのかな。


「樺山、ここ空いているなら隣に座ってもいいか」

「いや、ちょっと一人にしてほしい」

 遠くを見つめたまま顔を向けない樺山に「そうか」と残して、後ろの席に向かった。


「友達のとこ行かないのか」

「あいつこの一週間大変だったから、疲れてんだ。帰りのバスぐらい休ませてやらないとな」

「それ俺らも同じだって」


 いやいや、それ以上の負担がかかってんだわ樺山には。


 しばらくすると後部座席がうるさいエンジン音と共にガクガク揺れ始めると、バスが動き始めた。みんなやっと帰れると実感したのか、歓声でなく、安堵の息があちこちで吹き出していた。


「いいか、帰っても気を抜かないように。家に帰るまでが合宿だからな」


 モリセンが呼びかけるが、みんなそんなこと知ったこっちゃないとぐったりと寝ているか、隣と談笑しているかのどちらかだ。後はバスに揺られて、学校に帰るだけ。


 ガタガタと大きく縦に揺さぶられながら、後部座席の窓から外を見るともう俺たちを閉じ込めていた監獄合宿所の建物がすっかり見えなくなっていた。麓まで近い。


「先生ちょっと」


 席から一本の手が挙がった。あそこは樺山の席だよな。

 白石先生が様子を見に近づいていくと、席の方から酸っぱい匂いが漂ってきた。


「おい、樺山大丈夫か!?」

「お、お。ぶろろぶえっふ」


 席から聞こえる嗚咽とベトベトと音を立てて落ちていくのが聞こえてきた。

 ここで吐くのかよ! まじか。


「すんません止めてください。吐きました」


 バスが道のわきに停車すると、樺山は白石先生と共に降りて行った。樺山の手元には白い袋が握られていたから、最悪の事態は免れたようだ。しかし、吐いた痕跡である匂いがわずかに漂ってきている。


「くそっ、匂いがこっちまで」

「窓開けろ、窓」


 寝ていた人たちをみんなでたたき起こして、数センチしか開かない窓を開けさせる。こんな小さくしか開かない窓、数で対応しないと車内に籠ってしまう。


「森先生、ちょっと樺山の体調悪いのでしばらく休ませておきます。俺が付き添いしておきます」

「ああ頼んだ」


 そう告げると、白石先生と樺山を残してバスは発進した。樺山がいた席は吐いた後の酸っぱい匂いが漂っていた。


「お前ら、こういうことだからな。最後まで気を抜かずに」


 いやモリセンの説教なんていいから、さっさとバスを出してくれ。

 酸っぱい匂いが少しかおる車内で、席にもたれかかりながら頭を抱えた。


***


 バスから途中降りてしまった樺山と宮間を除いて、全員無事ではないが。なんとか学校に帰ることができた。


「ほんと散々だったな」

「松田先生がいた前のバスは天国だったろうな。なんでこっちじゃなかったんだ」


 最初から最後まで騒動ばかりで、俺まで浸かれてきた。こんな時にはやはりあそこだ。


「どうする帰り」

「モリセンの言うこと無視して、買い食いしようぜ。俺もう限界だ」

「俺も俺も。コンビニ直行、目指すはファミマ!」


 意気揚々と青と黄色のコンビニの店へ歩を進める。一週間ぶりの通学路は、夕焼けも相まって懐かしさが感じる。

 所以これがノスタルジーというやつか、一週間でこれなら、一年とか十年も経ったら泣いてしまうのだろうか。


 懐かしさに浸っていたのもほんの僅か、目の前のコンビニに出会いたくもない人間がいた。


「買い食い禁止だと言っただろ」

「えーなんで。家帰って着替えても同じでしょ」

「無理お腹空いたって、飢え死にする」

「家に帰ればたらふく食べれるだろ」

「石川先生の鬼」

「ダイエット中にたらふくとか禁句なのに」

「お前らさっき飢え死にするとか言ってただろ」


 コンビニに寄ろうとしていた緑山と香川が石川先生に捕まっていた。ここのファミマ、学校から少し遠いから先生が来ないと思ってたのに。

 巻き添えを喰らわないよう慌てて曲がり角に戻って隠れた。


「マジで見張り立っているのか」

「進路の相談とかちゃんと見ないくせに、やらなくてもいいところだけはしっかりやるんだからうちの学校」

「これほかのコンビニにも先生いるだろ。これ帰って家で飯食った方が早くないか」


 いやいや、何かを食べるとかじゃなくて。みんなで打ち上げしてだべりながら、文句たれるのがいいのに。ほんと最後から最後までフラストレーション溜まりっぱなしで、ろくでもないなこの合宿。


 ピロンと腰に入れていた携帯が鳴った。母ちゃんから早く帰るよう催促のLINEかなと開いてみる。


「……そんなのありかよ」


 LINEに映されていたのは、コーラを片手にフライドチキンを咥えている樺山のムカつくようなドヤ顔写真。その後にメッセージが添えられていた。


『最終日脱走成功だ』

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