第17話 すべては無駄な努力
あの日はとてもよく晴れていたことを今でも思い出せる。
都会の明るすぎる紫の夜とは違い、山の夜は星が瞬いている。ソロキャンのときはこの星と焚火の火が唯一の明かりになるのだけど、ここでは明かりはすべて邪魔者。時刻は九時を回った。昨日脱出する予定だったのだけど、予定していたことと違う状況になって失敗したらしい。
予定と違い車中泊をせざるえなくなり、ご飯は昨日から三食コンビニご飯だし、シャワーも浴びてない。ソロキャンではよくあることだけど、今回はキャンプではない、脱走の手助け。しかもたった二十分にも満たずに元の監獄に帰ってしまうUターン脱走劇。あらすじだけみたら、即ブラウザバックかスルーすること間違いなし。
それを手助けに来た私はとんでもない物好きなんだろうな。とクラクションを鳴らさないよう、ハンドルに体をもたれかかる。
ズンとハイエースの屋根から重たいものが落ちた音と共にぐわんぐわんと車体が揺さぶられる。もう降りるなら一言声をかけてから降りてよ。
パンッとアスファルトの乾いた音が車の横から響く。そしてコンコンと降りてきた人物が窓ガラスを叩いてきた。
「先生、開けて開けて」
待ちくたびれて、ため息が思わず出てきた。防犯のために閉めていた鍵を助手席だけ開けて、そっちに行くように指で誘導する。
「ごめんね先生。昨日トライしたんだけど、ボイラー室の下にあったタオルがなくてしりもち着いちゃってさ」
「ケガ、してないよね」
「運よく足で着地したからしびれただけで済んだ。『未来少年コナン』のしびれた感じってあんなのかな」
「そんな古いのよく知っているわね。ネトフリ?」
「金曜ロードショーのジブリ特集で知った」
大志くんがからからと笑みを浮かべると、私は正面に向き直って何もない夜空とアスファルトを見つめる。
「そこから降りれたのなら、そのまま降りて合流すればよかったのに」
「だめっすよ。俺が開発したこのルートを後輩が使ってまた脱出するんですよ。落ちて骨折したら後輩が可哀想ですし、ルートがバレてしまう。絶対脱出できるルートを開拓するのが俺の役目で、伝説の始まりなんです」
「伝説って何よ」
「永遠に語り継がれること。男のロマンですよ。この地獄の監獄合宿、開校以来毎年ここで催されているのに、誰も逃げきれなかった。脱出不可能のプリズン合宿を俺が打破し、厳しい環境の中で飢えて絶望に打ちひしがれる同級生たちを救う伝説の男、樺山大志。それを聞いた後輩たちは続々と秘密のルートを使って、先生たちに抵抗する。ワクワクするじゃないですか」
「でもみんなを救う物資があるコンビニまでのルート、私の車だよりじゃない。欠陥ルートだと思うよ」
「そこはまた後輩の役目、むしろたった五日で脱出までできたんだから大したもんです。そして脱出でき、飢えたみんなにジャンクな食い物と飲み物を与えたことが実績として残る。後輩たちがこれに続いて、俺の作ったルートを発展、開拓、もしくはスクラップアンドビルド」
「壊されているじゃない」
「いいんですよ。大事なのはこの樺山大志が監獄合宿からの脱走者の先駆けとして開拓したこと。そして後輩たちがコンビニまでの最速ルートを完成させる。後数年したら俺の弟が来るかもしれないし、もしかしたら弟がルートを開通させるかも」
横で彼の伝説話を聞いていなかったら、まぶしすぎてめまいがしそうだった。先生になりたいと思ったのはみんなの道しるべになりたいから。でも道しるべになるというのはどんな人間なのか、それが曖昧なまま教育実習生になった。そこにまさにそんな人間が、それも生徒の立場の子が実現しようとしている。
私が高校生の時には、学校の環境がそこまで過酷ではなかったのもあったけど、そんな考えに至ることすらなかった。
先生になる前に心折れそうなほど、彼はまぶしい。
「ほら、先にコンビニであなたが欲しそうなもの買ってきたわ」
「マジですか。ありがとうです先生」
「お金はいらないわ」
「いや悪いですよ。ほらちゃんと千円持っているし」
「千円超えているわよそれ」
「え? あー、差額分は割引させてくれます?」
急に子犬のようにしゅんとなる。かわいらしい。
本当は千円以内に収めているんだけどね。昨日待ちぼうけにされたお返しよ。
「本当に戻るの? このまま逃げ出したら」
「だめです。俺が戻らないと、これみんなに配れないじゃないですか。それに逃げるってどこに逃げるんですか。こんな山の中で……あっ一つあったか、先生の車の中」
「女性専用車両よ」
「ちぇー」と不満そうに足を組みだす。
たいそうなことを放言するのに、子供っぽい。教室でも快活でよく目立っているけど、惚れている女の子いなそうなのよね。このぐらいのリア充気質の男の子なら、一人か二人はいそうなのに。同級生とかに興味ないタイプなのかな。もしかして、年下? うーんこの子の場合ないか。
「先生ってまだ俺と同じっすよね」
唐突な質問に、私は戸惑った。
「何を言ってるの。私は教育実習生。大学を卒業したら、あなたをビシバシ教育してあげるんだから」
「ビシバシ教育する人が、脱走の手助けをします?」
言われたら反論できない。
実際彼の提案に、面白そうと思って乗っかってしまった。具体的な内容とかよくわからないのに、彼のキラキラしたリア充の根拠のない自信に煽られてしまった。たぶん私は、彼のことが。
「俺、先生のことが好きです」
「だめよ」
「遠距離恋愛OKです。未成年だめなら、あと二年我慢も」
「無理! 今生徒と恋愛発覚されたら、私のキャリアがダメになる」
それだけは絶対にと大志くんの告白を断った。
彼は何も言わず扉を開けて、車を降りてしまった。
「先生、車出してくれてありがとうございました。さよなら」
そのままお菓子とジュースでパンパンになったコンビニ袋を片手に壁をよじ登る彼の背中は、さっきあった無邪気さがなく。代わりに寂しさしか残されてなかった。
***
「これで全部よ」
先生と兄貴の話の顛末に、俺は立ち眩みした。
いや予想していたことだ。合宿からの帰った兄貴は、行くときにあった陰ることのない自信も明るさが消え失せていた。俺に散々「伝説を作る」「俺の背中を見ていな」と豪語していた兄貴が、あの日以降家族との会話もなくLINEも事務的な会話しか返さなくなった。
あの合宿所でいったい何があったのか。伝説は作れたのか。LINEで何度も送ったが何も答えてくれず、日々俺から送られるメッセージと『未読』の文字が積み重ねていく日々が続き。その年の夏休み最後の日に兄貴は蒸発した。
兄貴の同級生と話したが、彼らも原因がわからないと答えなかった。
松田先生の態度から、兄貴と恋愛関係にあったのは先生とだった。
兄貴を消した人間が今度は親友にまで手をかけた。意図したものであるか関係ない、俺が尊敬した人を同じ人間が潰そうした。
「先生、兄貴を返せとは言いません。兄貴はもうどこにいるのか、五年経ってしまった以上俺たち家族は諦めました。けど宮間だけは救ってやってください」
「安心して宮間くんは無罪放免よ」
「なんでそう言えるんです」
「二日前、石川先生が樺山くんを問い詰めていたでしょ。あれ、石川先生は樺山くんが犯人で、宮間くんをそそのかしたと思っていたの」
「なんで俺に疑いの目が」
「消去法じゃないかしら。宮間くんが女子風呂から病院に運ばれた後、先生たちは重い処分を下す予定だった。けどその日の夜、森先生が急に『保留』にするようにちゃぶ台返ししたの。どうしてかわかる」
「……、服が男子の脱衣室にあった。だが入れそうな従業員用のドアが露天風呂からは入れない仕組みだったから」
「正解。他の先生たちも、起きたことと状況に違和感を持つようになって『保留』状態にしたの。もしかしたら誰かが宮間くんを犯人に仕立て上げられたんじゃないかって。でも誰かわからない、従業員なのか、客なのか、ほかの生徒なのか。一人ひとり聞き出したら合宿の意義である授業の均一化ができなくなるし、生徒全員が容疑者だなんて。新しいクラスになったばかりなのに、いきなり全員に疑心暗鬼を産ませるわけにはいかなかった」
白石先生からはまったく聞かされてなかった話がぞろぞろ出てきて、その場にあった椅子に座り込んでしまった。いやあの人のことだから、あえて伏せたのか。
真実を追求するより、学校の伝統を守ることに固執しているなんて言葉にするだけで生徒の信用を失う。なにせ、犯人捜しをしなかったのが『大人の事情』というもので動かなかったからだ。
松田先生の動機も糞だが、先生たちの態度も糞だ。
「でもなんで俺が怪しまれるんですか」
「石川先生は宮間くんと一番近い仲だったからね。それに文化祭のゲリラライブ、あれ覚えている? 校庭にいきなりギターを持ち込んで無許可ライブした悪ガキ二人って印象を持たれちゃったの。だから石川先生は樺山くんに目星をつけた。具体的な証拠はないけどこのコンビなら何かしらやった。その片割れなら何か知っているかもてね」
なんてこった。去年のライブ失敗しただけでなく、疑いさえもたれていたなんて。
じゃあ俺が必死に宮間の無罪を勝ち取ろうと奔走していたのに、無駄な努力だったのか?
「もちろん樺山くんが疑われるのは許せなかった」
「だから先生が一芝居打って、犯人を外部犯のせいにしたと」
「そうよ。昨日の会議で宮間くんの件は『外部犯による犯行で、不幸にも生徒が巻き込まれて犯人に仕立て上げられた』と結論づけた。今学校でも、噂のもみ消しに必死になっているわ」
「そこは保護者説明会とかが必要では」
「……先生って生き物というか、大人ってややこしい揉め事を嫌う生き物なのよ」
ああ、やっぱりブラックだこの合宿。夢も希望もない。
たぶん松田先生を犯人だと突き出しても、『外部犯』という結論を変えることはないだろう。
『コンビニ男』のルートも中途半端、真犯人は突き出すことはできない。本当に無駄な労力だ。
きっと探偵ものや刑事ものなら犯人の方が項垂れるはずだが、主人公の方が項垂れるなんてものすごく胸糞な話だろう。
「いやだ。こんな終わりにしたくない」
「どう終わらせるの? 私を先生に突き出す?」
「……宮間はここの麓にある病院にいるんですか」
「ええ。それで」
「新しい『
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