第16話 嘘つき先生

 『コンビニ男兄貴』の功績を消したい? 先生の主張が理解できなかった。兄貴が伝説を達成したのは五年前、その時先生は教育実習生。

 その時の当事者では……


「手を貸したんですね。『コンビニ男』が道路へ降りる時に車を出して麓のコンビニへ移動させるのに」


 先生はこくりと頷いた。

 合宿所から脱出するまでのルートは単独でも可能だ。だがそこから先、麓にあるコンビニまでは車で五分、麓までの距離はたしか二キロあったはず。徒歩だと片道だけで単純計算で車の五倍の時間がかかる。しかも帰りは荷物を持ちながら坂道を歩くと考えるとより時間がかかる。


 兄貴が合宿所に戻ってきたのは男子の入浴時間が終わるちょうどの時間。

 計算が合わない。は間に合わない。合宿所の人もそこにいる先生たちも不可能だろう。ただし当時のうちの教育実習生だった松田先生なら、入ることはできずとも途中の道までなら場所の把握も容易だ。


「頼まれてたの、ひもじい思いをしているみんなのために合宿所から少し出るから夜中に車を出して欲しいって」

「出てきたのは何日目ですか。さすがに毎日ではないですよね」


 先生は不敵な笑みを俺に向けた。

 まさか。

 俺が一驚すると、先生は狙いすましたようにくすりといたずら気に笑い声をもらした。


「さすがに一泊だけ、車中泊はソロキャンでやった経験があるから平気だったからね。四日目に目処が立ったからって呼ばれて来たんだけど、彼来なかったの。その日は女子が先にお風呂だったから予定と違って脱出に失敗したらしいの。彼の悔しそうな声、今でも思い出せるわ」


 ふぅっとため息をついて、遠くを見つめる先生。その表情は想像の通りだと、兄貴と先生は。


「脱出できたのは翌日の夜ね。今日は行けるって自信あったから、先に麓のコンビニに買い出ししておいたわ。その夜に壁から降りれるように、乗っていたハイエースを横付けしていたら、宣言通り降りてきたわ」

「そして時間になり、『コンビニ男』は合宿所へ戻っていった」

「その通り、これが『コンビニ男』と呼ばれた伝説のルートよ」

「……正直がっかりです。俺たちが必死に脱出しようとしたのに、内実は外からの協力者。それもバンを運転できる大人の協力が必須だなんて。バカみたいじゃないですか」

「そうね。脱出できたという事実に尾ひれがついて、単独でできたと思わせてしまった。宮間くんもその一人だった。

 あの日、四階の会議室を見回りにきたとき、ロープが大きく揺れていたのを見つけてしまったわ。あの掃除に来るスタッフのおじさんがタオルを流したものでないとすぐに分かって、ロープを伝ってボイラー室に降りたの」


 あのロープは強度としてはそこまで頑丈に作られていない。俺ら学生か、松田先生のような女の人ぐらいが制限いっぱい、人一人の体の重さは物より重いからそのたわみですぐ気づくはず。


「宮間くんはもう通路の方に進んでいたの。でもわざとケガさせようとしたわけじゃないの。興味本位で女子風呂の扉に手を伸ばしたから声をかけたの。そしたら驚いて滑って頭を打ってしまったの」

「そこで犯行に及んだというわけですが、一つ気になったのは四階にいたのはたまたまではないということでよろしいですか」

「ええ、毎年定期的にルートに誰か入り込んでいないか見回っているわ」

「どうして」

「さっき言った通りよ。『コンビニ男』の伝説を消し去りたかった」


 寂しげな顔をして先生が筆箱から一本のペンを取り出すと、ペン先から明かりが灯しだす。それは宮間が持っていたペンライトだった。


「この伝説ができたのは樺山くんも知っている通り五年前、五年よ。当時の子たちが皆卒業したからって、実行した人の名前を誰も知らないまま、具体的な方法すらも不明なまま伝わってる。悲しく思わない?」

「ルートを開拓した人としての詩吟ですか」

「そうね。彼はみんなのために脱走した。伝説を作り上げるためでなく。でも彼の意図に反して、伝説として語られ具体的な方法も達成者の名前も不明のまま『コンビニ男』という無味乾燥とした名だけ受け継がれていく。彼に申し訳ないわ、こんな結末。だから消すのが彼に対するはなむけ、ロープの位置を見えなくするように照明を壊したり、やれることをやったわ」

「だから代わりに『バルコニーの濡女』伝説をつくろうと」

「そうよ。四階のルートを見回りにウロウロしていたらいつの間にかこの時期の怪談として流れ始めたから、ちょうどいいと思ったの。竜頭蛇尾不明な『コンビニ男』から、正体不明の幽霊『バルコニーの濡女』の方が受けがいいとね。私なら何年でもここに通えるから伝説はちょっとそっとじゃ消えることはないし」


 先生は『コンビニ男』のことを尊敬している。合宿所で貧しい食事しか与えられないかわいそうな仲間のために善意をもって脱獄した勇気を、伝説という言葉で片づけその方法も意思も継承されず軽んじられたことに義憤が起きたのだ。

 先生の意志は立派に見えるだろう。だから俺は『コンビニ男兄貴』の本心を伝えることにした。


「先生…………いい加減嘘はやめてください。『コンビニ男』は名前自体は意図しなかったですが、最初からつもりだった」

「何を根拠に」

「俺直接話したんです『コンビニ男』と。先生の話はご立派そうで悲劇的な話し方ですが、やることが中途半端で、自分のことしか考えてないじゃないですか。間違った伝説が広がっているなら当事者として正しい『コンビニ男』の伝説と名前を生徒に伝えればいいじゃないですか」

「けどそんなこと先生として」

「白石先生あたりが流したとでも言えばいいでしょ。敬愛する『コンビニ男』のために裏で地味な工作や自分に関する伝説を作ろうとしているのに、自分の口から直接『コンビニ男』の話をしない。教師としての身分を守りたいからなんて自己保身そのものじゃないですか」


 腕を組みながら、ひじのあたりをぺしぺしと軽くたたきながらいら立ちが募っていた。松田先生は『コンビニ男』のもう一人の当事者でありながら本人兄貴が持ち合わせていたという高潔さも善意も見当たらない。笑顔でごまかす醜い大人そのものだ。

 五年もの間自分はやり遂げたと大仰に話していたが、本当につぶすなら従業員にロープを片付けさせたり、通路の裏の崖を修繕させるような完全につぶすようなやり方もしてない。とりあえず見にくくした程度だ。大したことは何もしていない。

 それに、俺が怒っているのは宮間を覗きの犯人にさせたことだ。


「宮間の件だってそうだ。あいつを女風呂に入れる必要なんかなかった。ただ先生が脱出するのに女風呂以外だと都合が悪かったからでしょうが」

「そんなことない。宮間くんをあのままにしておくわけにはいかなくて」

「それが本心なら最悪の選択じゃないですか。まだ覗きの罪を着せさせる方がまっとうですよ」


 本当にこの合宿はクソだ。無駄な伝統を守る習慣、ろくな食事も出さない。挙句には伝説の当事者が自分の都合のために親友に罪を着せさせた。クソッたれ。


「クソですよ先生あなたは。あんたのようなクソな大人に俺の尊敬する人間が二人も消えてしまった。あんたの思い通りに『コンビニ男』の伝説を消させません。絶対に残します。これが消えたら、本当に兄貴のことを誰も覚えてもらえなくなります」


 「兄貴」と俺が口にすると、うなだれていた先生の首が食いつくように起き上がるとじっと俺の顔を見つめた。


「……まさか大志くんの弟くん!?」


 信じられないと顔に書いてあるのが丸わかりの衝撃で驚いていた。

 俺と兄貴は近所からよく兄弟なのに似ていないとはよく言われたが、一番近くで見ていたはずの先生にすらわからなかったとは。やはり俺は兄貴にはなれない星の下の生まれなのだろうか。


「大志くんは、大志くんは今どうしているの? 今連絡取れる」


 兄貴の弟と分かるや否や、先生は一気に接近してきた。それまでの一歩後ろに引いて見守る立ち位置からすっかり忘れてしまったように。


「そんなことできていたら、宮間がどこから逃げたかすぐに答えを出しますよ。

 。合宿が終わって夏休みの後に。たぶん先生はその頃にはもう教育実習生の期間が終わった頃だと。教えてください、兄貴と先生に何があったか」

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