第15話 女神の笑みの下

 その人は四階の会議室にいた

 おそらく、いや今回の事件の犯人だ。


 まだ俺の存在に気づいていないようで、じっと窓辺に佇んでいる。

 俺は探偵ではない、親友のために調べていたことがたまたま重なり繋がっただけ。誇ることはない、ただ一つ宮間の疑いを晴らしてほしいだけ。

 ふぅと息を吐いて、会議室に乗り込んだ。


「今日も見回りですか。ご苦労様ですね。誰かが『コンビニ男』のルートに入らないようにするのは大変ですね。松田先生」


 しかし松田先生は焦ったそぶりもなく、窓に腰を下ろして悠然と俺に対峙するように向かい合う。そしてにっこりと、の優しく包み込む笑みを返した。


「今日も見回りなの。昨日の樺山君のように左館に忍び込もうとする不貞な男子を見つけるのが私の仕事。引率の先生に女性は私一人だけだから、負担が大きくて大変よ」

「そうですか。それはそれは、女性の先生って大変ですね。女子のいる部屋も見回りしないといけないくて。自分で仕事を増やしたらそりゃ大変ですよ」


 意趣返しで挑発したが、松田先生は顔のどのパーツをぴくりとも動かさず笑みを、不気味なほどに絶やさず見つめてくる。

 腹の探り合いでは相手の優位に立たされたままだ。すべてがあの笑顔の中に消えてしまう。なら方法を変える。直接食い破るしかない。


「先生ですよね? 宮間を女子風呂に入れたのは」

「……ひどいな。先生を犯人扱いして」

「先生には二つの容疑がかかっています。一つは宮間を覗きの犯人に仕立てたこと。もう一つは自身も覗きをされたと嘘の供述をしたこと」

「嘘? 何の嘘?」

「覗きをされたこと自体がです」

「まあひどい。先生被害者なのに」


 なんと厚かましい。覗きだからこうして崩さないのか、いやきっと殺人を犯しても変わらない。この人の笑みは本当の意味でなのだ。


「森先生からどうやって露天風呂の裏に入って行ったか聞いたわよ。この合宿所の道中にある道に崖があってそこから脚立か何かを使って登ってきたって」

「無理ですよ、あそこの崖を脚立で乗って乗り越えることも。四日目の日は前日の雨が止んだ後、地面の土は相当ぬかるみ、道路も大きい車でさえ、ゆっくり降りないとスリップしてズルズル落ちてしまう恐れがあるほどの酷さだった。

 脚立なんて、そのまま置いたら倒れてしまいます」

「車はどう? ハイエースとかのバンなら脚立を使わず屋根に上がれば十分高さがあるわ。それにサイドブレーキをしっかりかけていれば落ちることはないし。エンジンをかけっぱなしにすればすぐ逃げられる」

「コンクリートの崖を登っても、その後はぬかるんだ土。俺は現場を見てないですが、登り降りしたなら滑ったり登った時の跡が必ずあるはず。でもモリセンたちは見つけられなかった。足跡も、誰かがいた形跡すらなかったんです」

「不思議なことがあるものね」

「ええ不思議ですね。しかも覗かれた扉は分厚く、開けるしか方法がないのに開いてわずか三秒で鳴る警報よりも、先生の方が気づくのが早かった」

「女の勘よ。機械より人間の直感の方がコンマ数秒でも早いのよ」


 のらりくらりと疑問に対してはぐらかすようにいなされる。


「先生、昨日従業員の人が落としたタオルを返しましたよね。それはなぜ」

「あの時聞いたでしょ。お風呂に行く前に見つけたって。あっ、どうやって見つけたかが鍵と思っているのかな。残念ながら先生たちは常時携帯を持つことが許されているの。その明かりで四階を巡回してたら見つけたの」

「灯りは問題じゃないんです。問題は先生がお風呂に向かう時です。なんで落ちたタオルをお風呂に行くついでにフロントに渡さなかったんですか。あのタオル色落ちも激しくかなり使い古されていたから一目で俺ら生徒や他の客のものでないとわかるはず。風呂に行くなら渡せたはずですよ。フロントにいる従業員に」

「それは、たまたま忘れちゃてたの。お風呂から上がった時に渡そうと思ってたんだけど」

「渡させなかったではなく、んですよね。なぜならこの後騒動が起きてタオルを持ち主に返すことができないかもしれないと予測してね」


 先生はやさしい性格だ。相手のことを十分に考えるだろう。自分が起こした騒動で、タオルが紛失などして持ち主のところに返せないと考える。


「一昨日の事件の全貌は先生の一人相撲。午後十時に先生は一人風呂に入った。そして露天風呂に入り、誰もいないことを確認して叫び声を上げた。全員簡単に騙されましたよ。どこから現れたかわからない宮間の事件があって、また同じ場所で覗き事件が起きたとあっては、徹底して犯人をしらみ潰しに探すでしょう。

 そして風呂場の通路はご丁寧に道路から見えており、登ることは一応は可能だった。モリセンや従業員の人は外部からの犯行だと錯覚されました。そして見事な手際と全員思い込んだ、どこかに証拠品が落ちているかもしれないのに一つもなかった。

 実際は先生の狂言とも知らずに。証拠も痕跡もないですが本人の口から見たとなれば、犯人がいたことを前提に推理や証拠頭をするでしょう。なにせそこは覗き事件が起きてしまった場所ですから」


 窓からコツコツと叩く音が流れる。松田先生の長い爪が窓のサッシを叩く音だ。顔にはまだ現れていないが、苛立ちで気持ちが揺れているんだ。


「ちょっと怒っちゃうよ先生。探偵ごっこも大概にするべきよ。樺山くんは証拠が見つからないというけど、反論になる確固たる証拠も揃ってないってことだよ。疑わしきは罰せずという言葉知ってる? どんなに疑っても犯人と決めつけたらいけないってことよ。

 それに容疑が二つもあって、その一つが宮間くんの事件にも関わっているなんて。ひどくない」


 だいぶ動揺している。まずは第一段階は成功か。

 第二の事件は反証できる証拠はない。現場を直接見ていない以上証拠を持ち込むことは不可能だ。しかし動揺を誘うことはできる。

 余裕がある状態とない状態とでは反論するための考えが鈍くなる。先生に詰められても、何もしてない人間と心当たりのある人間との違いのように、揺さぶりに対する効果が違う。


「では宮間の事件について話しましょう。宮間は犯人の偽装によって覗きの罪を着させられたんです」

「宮間くんのは男子風呂から入って、そこから女子風呂に入ったんじゃないの」

「いえ、扉は通路側しか開けることができません。これは一昨日従業員の方がモリセンの前でしたので十分な証拠になりますよ」

「じゃあどこから入ってきたの」

「その前に、事件の経緯から話しましょう。宮間は偶然ボイラー室に侵入し、露天風呂の裏にある通路を見つけることができた。ところが、もう一人通路にいた人物がいて、そいつに気絶させられた。

 この人物が犯人で、宮間の服を脱がせて女子風呂に入れた。そして犯人は女子が風呂に入って宮間を見つけた騒ぎに紛れて脱出した。これが事件の全貌です」

「……なるほど。先に覗きをしていた犯人がいて、たまたま入り込んでしまった宮間くんに犯行現場を見られてしまうことを恐れて気絶させた。そして宮間くんに罪を着せて、犯人は男子風呂から脱出したということ」

「いいえ、逆なんですよ。犯人はに逃げたんです」


 そう、ここが不可解で理不尽な事件の流れだった。そもそも犯人はその日偶然その通路を見つけたわけではない。明らかに人の手が加わり作られた通路に誰も通らないはずがないことは予測できる。十分な警戒と逃げ道を確認する必要がある。

 俺は最初、男子風呂から脱出したと錯覚した。しかしよく考えれば、そこは逃走経路として不十分だ。露天風呂に長湯している人がいるかもしれないし、中の浴室に誰がいるか把握できない。しかも扉は三秒で警報が鳴る仕組みだ。確認を怠って扉から出たら一発でアウトになるようなことは慎重にならざる得ない。あの重い扉から露天風呂を観察するのに三秒ではとても時間が足りない。


 それよりもモリセンが提示した崖からのルートの方が確実だ。あの日は雨も降ってなく、コンクリートの壁をゆっくりと降りれば逃げ切れる。もしくは合宿所に戻るはず。

 それができない人間となると限られてくる。


「外部からの人間ではない。これは従業員の人が真っ先に崖のルートを調べるでしょう。もちろんそこからは何も出なかった。当日泊まっていた人でもない。そのまま逃げたら、合宿所の従業員から誰が不在であるか調べられるから不可能。正面から戻れないのは、見張りの先生たちに外に出たはずのに何をしていたと問い詰められる。だからうちの学校の人間が容疑者として絞られる」

「すごいわね。でもそれ私でなくても生徒でもできるんじゃないの?」

「いえ、この犯人は経験者です。俺たち学生は機密保持のために先輩たちからしおりなどの館内を見れる資料を受け取ることができません。通路への行き方もわからないのに、来て一日ですべてを把握なんて不可能です。

 もう一つ、犯人は女性であるのは宮間がどんな体勢で入っていたかです」

「体勢?」

「風呂の端を両腕で支える形で座りながら入っていたそうです。変だとは思わないですか、女風呂に入れるならどんな体勢でもよいはずです。風呂の脇に転がしても、風呂に沈ませるだけでもいい。女風呂に男がいるだけで混乱を引き起こします。なのに、まるで溺れないよう、風邪をひかないように時間のかかる体勢にさせていた。

 そしてそんな時間のかかるやり方では、警報が鳴ってしまう。なら扉を閉めてそこから逃げればいい。女性ならそのまま逃げても違和感はないでしょう」

「それでも」

「それでも容疑者は先生以外にも女性従業員でもできる。と言いたいんですよね」


 二の句を継がせないよう畳み掛ける。


「従業員なら合宿所の構造も把握している。フロントを経由せずに通路へ行けるルートを知っているはず。それでも先生なんです」

「証拠はあるの」


 今まで聞いたことのない殺気だった言い方で証拠の存在を突きつけた。


「一つ落とし物を拾っているはずです。宮間が持っていたライトペンを、先生の筆箱の中に。河坂が証言してくれましたよ、訂正する時に間違って押すと光るペンを出したって」


 さっきまでの赤く紅潮していた顔が、すっと青ざめ始めた。次の瞬間、先生は体をぐるっと回して窓に足をかけようとした。


 


「下のタオルは片付けたのでケガしますよ」


 その言葉を放つと、先生は一瞬動きを止めた。その隙を逃さず脇を羽交締めして窓から引き摺り下ろした。


「やはり先生知ってたんですよね『コンビニ男』のルートはここからがスタートだということを」

「鎌かけられたってわけね。よく考えたら、九時になってから五分も経ってないのに短時間で片付けなんて不可能だったわ」


 『コンビニ男』いや兄貴が脱出したのはこの会議室の四階の窓からだ。窓の下に伸びるロープを伝って一階のボイラー室へと降りたった。降りるまでに高さがあるのだが、下にはハゲた従業員が作り上げたタオルの山があり、それがクッションとして降りられた。

 このロープは従業員が使い終わった大量のタオルをボイラー室へ直接送り届けるために設置したものだろう。左右の館両方に張られ、どちらも行き先はボイラー室に向かっている。そして、落ちたタオルが積み重なって山を形成していた。


 その光景を見るには男子側のは暗くて見えなかったが、宮間はペンライトを持っていたから、従業員がタオルを流しているのを目撃できた。


「先生教えてくれますよね」

「……『コンビニ男』の伝説を消し去りたかった」

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