第10話 闖入者現る

 合宿所の従業員が運転する車で再び監獄に戻ってくると、朝井が一番に駆けつけてきた。


「樺山〜戻ってくれてよかった。お前まで病院送りだったら耐えられなかった」


 朝井の真意は、捜査よりこの監獄にいる時間の方だろう。


「オリエンテーリング終わった後、麓で集合させられて何があったと思う。モリセンからのありがたい雨が降った後の行動の屋外独演会だ。雨の後はコンクリートでも土でもどうたらかんたらで、エスカレーターの案内で聞いたことがある話をうねり声で聞かされる地獄を」

「そりゃ散々で」

「他人事のように、お前が転ばなかったら独演会なんてされなかった。お前一人だけ抜けやがって」


 俺が帰って喜ぶのか、文句を言いたいのかどっちなんだ。第一あれは偶然だと聞いているだろうに。


「で、文句はここまで。ついに来たぞこの日が」

「何が」

「条件だよ。宮間が消えた日と同じ男子が先に風呂に入る時間」


 そうだ今日は二日目と同じ日の条件になる。昨日は女子が先だったが、今日で何か新しい発見があるかもしれない。


 夕食を食べ終えて早々に、四階の会議室にバルコニーと調べあげた。だが四階の部屋や周りは特に何も変わったことは起こらなかった。


「なんも見つからねえ」

「同じ時間だからって、そう簡単に見つかったら苦労はないってのに」


 変わらず暗い周りに、風呂場が見えるぐらいだ。こんなに探し回ってもないということは……いやいやまさかだって。


「一階しかない」

「だからそこは俺が」

「始めからずっとか? 最初から最後までエントランスにいたのか」

「いや、途中食堂を見ていたけど。でもエントランスには先生が」

「もしもの可能性があるだろ。お前が食堂に行って、エントランスの先生の監視が緩んだ隙に四階から一階へエレベーターで降りたとか」


 だが朝井のしびれはもう切れそうだった。


「行くしかないだろ。ここにはもうないって」


 結局朝井に押し切られて、一階の捜索に移ることにした。


***


 エントランスの状況は二日目と変わらなかった。違うのは見張りに松田先生がいることぐらいで、三人体制での監視に置かれているぐらいしか違わない。


「食堂を見てからエントランスにトライしたんだよな」

「エントランスががっちりだし抜けそうにないのは事件前に調べ済みだ。その後従業員用の扉も調べたがどこも入れなかった」

「その間に宮間が降りてきた。四階は特に誰も見張りの先生がいなかったし、エレベーターを使うこともできる」


 その推理は苦しいだろう。エレベーターが四階へ降りていたなら、二階と三階のホールで見張ってた先生がを覚えてないはずがない。

 仮にすれ違いになったとしても、状況下からして難しいはずだ。見張りの先生たちはスマホや新聞を見ながらだったが、前を通り過ぎようとしたら勘づくほど神経を尖らせてる。三人もいて誰も宮間のことを気づかないはずがない。


「宮間の顔を知らなかったという線は」

「それは絶対ない、あの時見張りにいたの石川先生だぞ。去年俺らのクラスの担任だった人が宮間のこと知らないわけないだろ」

「ええと、じゃあ。」


 昨日の冴え渡った推理はどこへいったのか、出し抜いた前提を崩さないものしか出てこない。昨日のあれはただの偶然だったのか。

 と、推理を否定する俺も朝井のことは言えない。手がかりがまったくつかめなく、判断材料もない。まさか土管を見つけて、中に入ったら風呂の裏手につながったわけじゃあるまいし。


「樺山と朝井。もう風呂に入ったのか早くしないと二日連続で森先生に怒られるのは嫌だろ」


 席を立った石川先生が俺たちの前に現れた。


「さっきから一階をうろうろしているがまさか脱走を企んでいるんじゃないだろうな」

「まさか、こんな強固な布陣で逃げられるわけないですよ」


 さっきまで出し抜ける前提の推理をしていた人間とは思えない手の変えしようだこと。


「樺山なんかはそうじゃないのか」

「そんなことないですよ。俺も朝井と同じで」

「どうだろうな、あの宮間とコンビのお前がお手上げなんて」


 なんだこの対応。朝井の時はあっさり引いたのに、俺の時はまだ絡みついてくる。白石先生のとは明らかに異なる。疑いを持った目つきでだ。

 な、なぜだ。モリセンに睨まれることはよくあるけど、なんで石川先生に。朝井には目もくれないで。


「石川先生、前の教え子にいじわるしちゃダメですよ」

「意地悪ではなく、ヒアリングです」

「言葉を変えても、生徒からの印象は変わらないんです」

「気をつけるよ」


 松田先生に怒られると、石川先生は後ろめたそうに、さっと飼い主に怒られた犬のように引いて見張りの場所に戻っていった。


「樺山くん怖くなかった?」

「石川先生で怖かったら、森先生は閻魔大王ですよ」

「こらっ、目の前にいなくてもそんなこと言っちゃダメ」


 俺の方にも雷が落とされた。ただ威力は静電気程度の可愛いものだ。しかし二十七にもなる人が生徒に「ダメ」って言葉を使う方がダメだと思うのだが。


「人前では言えないからこそ、結束が固まるってこともありますよ」

「そんな悪いこと誰から教わったのかな?」

「白石先生。ちなみに松田先生がソロキャンしてるから、自分も連れていって欲しいって言ってました」

「また白石先生懲りてない、グルキャンは女の子だけしかしないって何度も言ってるのに」

「意外っすね先生キャンパーなんて」

「アニメの影響でね。大学からやり続けてるの、大学の友達と行く時私がバンを運転してキャンプ用具を運んだりしたよ」

「いやもっと聞きたい

「詳しく聞きたい人は、お風呂に入ってから」

「よし入るぞ樺山」


 宮間の存在をころっと忘れてしまったように、松田先生の手のひらで踊らされた朝井に引きずられて風呂に連行されていく。


***


「結局成果なしか」

「お前はあっただろ、松田先生のプライベートを堪能して」

「一対一ならもっと最高だった」


 風呂から出た後、松田先生は約束通り、女子の風呂の時間が終わるまで大学時代の話をしてくれた。ソロキャンのきっかけから、グルキャンへの誘われ。そしてこの学校で教育実習生として赴任してきた話と多くの話をしてくれた。


 それと宮間との話に何か関係があるのかと言えば、まったくない。ちょうど松田先生が教育実習生だった時が兄貴が合宿に行った年と同じなのでにわかに期待したが、教育実習生は学校の行事には参加できないため当時の合宿所のことは何も知らないときた。

 と言うわけで、得たのはニヤケ顔で満足している朝井だけ。せっかく同じ条件だったのに何も成果もない、このままでは宮間は覗きの汚名を着せられたまま学校に戻ってきてしまう。


「ちょっと電話してくる」

「うん。先生のリクルートスーツかぁ」


 ぼんやりと天を仰ぎながら、妄想に浸っている朝井をエントランスに置き去りにして携帯を取りに行く。


『もしもし母さん』

『大、今日はちゃんと出てくれたわね。合宿所に来て連日予定外のことがあったみたいだけど、今日は特に何もないみたいね』

『うん。今日は特に何も。予定表通りオリエンテーリングをして勉強して終わり」


 個人的に起きたことはあったが、心配をかけないように伏せておいた。すでに鼻血も固まっているし、顔の傷も紙で切ったと言い訳すればいい。


 しかし家族の心配をするのに毎晩電話で直接声を聞くことは一般的なのだろうか。携帯を受け取った生徒はその場で携帯を使うのでだいたいの顔を覚えてしまっている。

 初日から今日(時間の起きた二日目を除いて)まで毎日来ているのは俺を除いて皆無、せいぜい二回が限度だ。合宿で電話する機会は残り二日、残りの二日で一気に追い上げてくる人はまずないだろう。

 普通の親は毎日電話をかけてきたりはしない。


『母さん、俺のことそんなに不安なのか』


 言葉を濁して、思ったことをぶつける。すると電話の向こうから啜り泣く声が流れた。


『大はお兄ちゃんと違ってしっかりしているから心配する必要はないんだけど、もしものことがあるから。大事な息子が、向こうで元気しているのか不安で』

『ご、ごめん。そういうつもりじゃ』


 視線が冷たい。漏れた会話から別れ話か何かと勘違いして目で覗き込んでいた。聞かれて困る内容じゃないのに、こういう勘違いをされたら困るな。話の内容を聞こえなくするボックスとかあればいいのに。人一人入れるようなそれほど広くなくてスペースのある。できたら人が入ってるのがわかるように透明の……ってそれ電話ボックスか。


『そろそろ寝る時間だから切るね。おやすみ母さん』

『おやすみ、あと二日がんばるのよ』


 向こうの電話が切れるのを待って、ようやく人心地ついた。毎日がんばってるっての。


 勉強復習を欠かさず、運動は秀でたものはないが文化祭でステージには立てた。クラスが分かれても寄ってくる友達もいる。人並みの人生を送れる程度の力量はある。

 でも俺には才能なんてものはない。


 宮間のような、人付き合いの高さが。

 朝井のような、肉体と忍耐力が。

 緑山のような、魅力が。

 兄貴のような、記憶に残る偉大さが。


 周りは秀でたものがあるのに、俺は凡百。添え物程度。秀でた者には秀でた者が集まるというのに、「がっかり」と評した香川の言葉もしかたがない。


 でも母さんから見たら、兄貴より俺な方が評価が高い。兄貴はサッカー部で次期エースと期待されていた。学校だけでなく近所でも評価が高かった。そしてここでは『コンビニ男』として伝説を残している。


 兄貴のことを考えていると、再び兄貴のLINEを開けていた。そしてそこに俺が今日まで調べ上げた『コンビニ男』の脱出ルートを打ち込んだ。


『兄貴、そろそろ教えてくれよ。兄貴が合宿所で使ったルートのこと。合宿所の外へ出るのに使ったのは露天風呂の裏にある従業員用通路。そこから降りてコンビニに行ったんだろ。戻りはそのまま通路の扉から誰もいなくなった男子風呂へ入り、部屋に戻る。

 ここまではわかった。いや正確には後ろしかわからなかった。従業員用通路へどうやって入ったのか。侵入経路は四階から、そこだけしかもうわからなかった。頼む兄貴、教えてくれよ』


 今までで一番長いメッセージを送り込んだ。しかし待てども、既読がつかない。もうすぐ十時半を回ろうとしている。また明日電話する時に見てみるか。


「きゃああ!!」


 一階の方から絹を裂くような悲鳴が上がった。その叫びにまだ起きていた生徒たちが一階に引き寄せられて行く。


「戻れ、部屋に戻れ。お前たちには関係ないことだから戻って」

「戻った方が身のためだよ」


 石川先生と白石先生の二人が野次馬で集まる生徒たちに戻るように押し留めている。しかしこんな時に陣頭指揮に立つはずのモリセンの姿がない。


 階段から足を伸ばして奥を覗くと、消灯時間を表すダウンライトが灯されているエントランスが見えた。その右奥からは明るい光が漏れ出ている。あそこは女風呂、それに悲鳴。

 まさか、出たのか! 覗きの事件が。


 高鳴り出す心臓を抑えながら、体を縮こませて隙間を縫って一階にへと降りる。

 他に誰もいないと思われたが、左奥にある男子浴場へと走って行く朝井の姿を見つけた。


「朝井、どこに行くんだ」

「男子だ男子風呂。女子風呂はともかく、通路のドアなら聞けるかもしれない」

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