第7話 容疑者を絞り込め

 露天風呂から脱出した後、ひたすら湯冷めした体をもう一度風呂の中に入って温まったころには規定時間の三十分ギリギリ過ぎてしまっていた。


「朝井、樺山。一般の人がつっかえるから早く上がれ」


 浴場から出てくるとモリセンが仁王立ちで待ち構えていた。タオル一枚でもお構いなく、早く着替えろと急かしてくる。さっきまで一般の人も入っていたのに、もしも一緒に入っていたら合宿所から文句言われるぞ。ただ決まりがあるから従えと言っているだけだろ。これだから自称進学校は。


 風呂場から出て部屋へ戻ろうとすると、朝井がエレベーターではなく階段を選ぶように勧めた。朝井曰く、エレベーターだと待ち時間や同じ空間の中で調査の内容を盗み聞きされる危険があるからだという。合宿所の中にいる人間全員容疑者であるなら、その判断は理にかなっている。

 壁をろくに調べようとしなかったくせにこういうところは探偵のように用心深い。


「扉があったということは、それは従業員用通路だ。たぶん女風呂にも扉があるはず」

「なんであるとわかる?」

「こんな古い旅館、昔はプライバシーのためにわざわざわけるとかの概念ないだろうし、掃除とかのメンテナンスから両方行き来できるだろうよ。ともかく、宮間はそこの通路で犯人と出くわして、女子風呂の中に落とされたわけだ」

「風呂から扉までの距離は手を伸ばせば届いた。犯人は宮間を突き飛ばしたか、気絶させてそのまま落としたか。どちらにしてもドアさえ開いてれば不可能じゃない」


 館内には浴場内の従業員通路を示すものはなかった。防犯上女子風呂につながる箇所を客に入らせないようにするために隠されているのだろう。しかもそこに宮間がいたということは、『コンビニ男』のルートがそこにあるということだ。


「で、問題はここからだ。どうやってあいつらは従業員通路に入れたかだ」


 男子風呂からの従業員通路の扉は固く閉ざされていた。押しても引いてもびくともしなかったから向こう側から鍵がかかっていたことになる。開くとなると向こう側しか開かないことになる。

 どこから侵入したのかが今回の事件の鍵になる。しかも浴場へは入らずにだ。事件当時風呂場への入り口がある一階は俺が捜索していた。たとえ俺が見逃していたとしても、エントランスにいる先生やほかの男子たちが宮間が風呂場にいたことを見逃すだろうか。

 それもない、奴の影は濃すぎる。影が見えたらとりあえず声をかける人間がいるぐらいに。


 どこから侵入したんだ。本館とつながっているか館内図にも載ってないし。


「四階から一階へ降りる謎もそうだが、服を着ていた人間が裸にされたのも謎だよな」

「それは覗きの罪をなすりつけるためだろ」

「最初は俺もそう考えたが、露天風呂に従業員通路があったとなれば推理にちょっと修正が必要になる。容疑者は合宿所の全員ではなく、客だけだ」

「なんでだ? 従業員通路を使うなら従業員の方が」

「従業員なら無断で侵入してきた宮間を昏倒させるより、通報した方が騒動になりにくい。浴場の裏に自由に出入りできる従業員が覗きなんてのも通らない」

「もっとやばいもんやってたからとかは、薬とか」


 朝井の推理の返しに、言葉が詰まる。うむむ、従業員の線さえ崩ればけっこう容疑者が絞れたと思ったのに。


「そういえばさ宮間の服どこにあるんだ」

「俺の部屋にあるぞ」

「じゃなくて、事件時に着ていた服。裸に剥かれて、犯人が持っていったら、先生だって変だと思われるだろ。そうなると隠し場所が必要になるな。俺が思うにあちこち従業員を使って……いや従業員じゃないかもしれないぞ。ほかの人に見つかるリスクだってある。見つかってしまうリスクを犯すような真似はできない」

「でも従業員なら堂々と脱衣所に脱がせた服を抱えて置けるだろ」

「いや、俺は最後に風呂から出たが従業員は入ってこなかった。入った時間が九時十分から三十分手前までだから間違いない。もう時間ギリギリだから風呂場にいた男子全員風呂場から出ていたぞ」


 宮間と別れて一階に降りたのがたしか九時五分、たった五分で気絶させて服を脱がせて脱衣所に行く時間などない。

 またしてもシャーロット朝井の推理が炸裂してしまった。俺が可能性として従業員がシロだと答えたのに、朝井に塩を送っただけになった。俺が解決しようとしていたのに。苦々しいことに朝井は誇らしげな態度もなく、うっすら生えた口ひげのあたりをさわさわ触って難しい表情をしているところだ。

 真剣に考えたこちらの面目が立たないじゃないか。


「……じゃあまったく先生たちが大騒ぎしてないってことは、宮間の服はどこかにあったってことか。……どこにあるんだ」

「部屋に行くぞ。上がれ!」


 ドンドンドンと小刻みに段差を駆け上がり、二階に上がり俺の部屋の前までもどった。


「早く入れろよ」

「急かしたら入るものも入んねえよ」


 囃し立てられて鍵がうまく穴の中に入らない。

 ようやく鍵が周り中に入ると、すでに河坂は布団をかぶって寝ていた。またキレられないよう、音を立てずカバンが収められているクローゼットを開ける。初日にはカバンが三つでぎちぎちになっていた狭いクローゼットが、なぜか空間に余裕がある。

 


 いったい誰が。と一瞬犯人がと頭がよぎった。

 いやよく考えろ。部屋に侵入してカバンを奪う? 宮間を犯人に仕立て上げるのに、そんな面倒なことをするか? 宮間が病院に搬送される時、着替えの入ったカバンを先生が取りに行かないわけがない。


「くそっカバンどこにいった」

「先生が持って行ったんだ。たぶん病院に搬送する時に着替えがないと困ると思って」

「その想定忘れてた。戻ってたらどこにあったか聞き出せたのに」


 二日目の夜に着ていた服、あれの行方が分かればどこにいたか目星がつくのに。せっかくの手がかりが消失し、手詰まりになってしまい呆然と立ち尽くしてしまった。


 突如ドンドン、ドアが叩かれた。たぶん夜の見回りの先生が来たのだ。すると朝井がクローゼットのカバンの間に自ら挟まって中に入っていった。


「閉めてくれ。もしモリセンだったらまたお説教部屋行きはかんべんだ」


 そこからは日本神話の一面のように音も立たずクローゼットの扉を閉め切ってしまった。


 モリセンなら男子でも違う部屋にいたら問答無用で、規則違反だとどやされるだろう。


 ドアのノック音は早鐘を打つようにノックをしてくる。少なくとも松田先生ではないことは間違いない。どうかモリセンではありませんようにと祈りながら「今開けます」とドアを開いた。


「樺山、戻っていたならすぐに開けろよ。友達とおしゃべりに夢中になっても、上からの返事はすぐに返すのは社会人スキル必須だぞ」


 ドアを叩いていたのは白石先生だ。モリセンじゃなくて助かったと肩の力が抜け落ちる。

 国語担当の白石先生は規律重視のモリセンと真逆で、その象徴に髪型がソフトモヒカンと緩い。本人が規律とかがめんどくさがりということで、生徒からありがたがれる存在。しかも顔はあばたいっぱいのおっさんなのに、その気だるさと緩さから意外と人気があったりするので、バレンタインデーでチョコをもらえたと授業中自慢してくる。

 うざいことさえ抜けばいい先生なのは間違いない。


「松田先生だと思ってがっかりしたか」

「ぜんぜん昨日会ったので十分堪能しました」

「えー羨ましい、俺はせっかく昨日当番だったのを変わってやったのに、誘いもなんもなくて。って違う違う。お前の携帯鳴っていたから持ってきてやったぞ。親御さんからだと思うから早く連絡してもらえ」


 手に持っていた箱から俺が預けていた白のスマホを渡すと、先生はふわあと軽くあくびをした。


「十一時になったら俺のところに返してくれよな。しばらく館内の右館男子部屋の二階か三階をうろついているからな」

「先生、宮間のカバンがなかったんだけど知りません」

「宮間の? それなら病院に持って行ったぞ」

「着ていた服も?」

「脱衣室にあったのもまとめて送ったぞ。もちろん男子の方な。すっぽんぽんだから搬送してすぐ救急隊の人に渡したかったが、森先生がすぐ男子たちを会議室に連れて行けってうるさくて」


 男子生徒全員が会議室に連れてこられたのは九時五十分ぐらいのはず。その間に男子風呂に侵入して服を置く時間もできるはず。


「しかしアホだよなああいつ、女風呂覗いたら風呂場で頭打って」

「頭打ったんですか」

「お医者さんからは軽い脳震盪起こしてるけど命に別状ないって。宮間と同じ部屋なら、合宿終わりに見舞いに行ってやったらどうだ」


 じゃあなと手を振って白石先生は扉を閉めていった。そしてそのタイミングで朝井が息苦しかったらしくぶふぅと深呼吸してクローゼットから出てきた。


「白石先生だったのかよ。それなら隠れる必要なんてなかったぜ」

「やっぱり服は全部持って行ったことが確定した。そして着ていた服が脱衣所にあった」


 犯行に及んだのは五分から三十分の間、その間に宮間の頭を何かで叩いて気絶させ、女子風呂に入れさせる時間は十分にある。後は時間ギリギリまで待って、宮間の服を携えて扉から男子風呂に入れば怪しまれずに済む。


「そうなると容疑者は男ってことになるか」

「一般客は除外できるぜ。俺騒動を聞きつけて、男子風呂の前まで戻ったんだ。そこからずっといたけど男風呂から一般客は見なかった

「となると犯人はうちの学校の男子ってことになるな。犯行の動機も理由づけできる」


 となると朝井が風呂から出る最後までいなかった男子が犯行に及んだとなる。


「朝井、誰が風呂の中にいたか覚えてるか」

「全員はわかんねえよ。去年と同じクラスにいたやつはともかく、別のクラスだったのも混ざってるし」

「覚えている男子だけ数えればいい。男子の数は両方合わせても二十一、俺ら二人除けば十九。そこから可能な限り減らせば容疑者がだいぶ絞れる。頼む名探偵朝井様!」

「ノリで言っただけなのに、本当に探偵のようなことされるとは……よしっ脳汁絞り切るまで思い出す。とりあえず部屋に戻るわ」

「ああ、報告は明日頼む」


 お互い額のあたりに手のひらをかざして敬礼をした。


 朝井が部屋から出ると、ベッドの上に倒れた。疲れもあったが、今俺にできることのない空虚さに何をすべきか気力が湧いてこない。朝井は今頃必死に思い出そうとしているのに、俺ときたら。


 もしあの時女子風呂に行かず、男子風呂の前で止まっていたら、騒動の後に出てきた男子の顔を見ることができて容疑者を絞る作業に使えただろうに。

 最大の局面に立っているというのに何もすることがないなんて。やれることがないのはわかってる。だが何もしてないと、自分が役立たずだと思えてしまう。


 ピロン。携帯が鳴った。

 そういえば携帯昨日騒動のせいで取りにいけなかったから溜まってるはず。


 携帯を開くと、まず飛び込んできたのは画面全てを覆い隠すほどの母さんからのメッセージがずらっと未読状態で溜まっていた。これは電話で答えないともっと容赦ないぞ。

 とりあえず溜まっていたメッセージをすべて既読にして、電話で発信する。

 発信音を二回鳴らすと母さんはすぐに出てくれた。


ひろし。やっと出てくれた。どうしたの昨日は。十時には連絡できたはずでしょ』

『ごめん、うちの生徒がやらかしたせいで、スマホ取りに行く時間が潰れちゃって』

『やらかしたって何を』


 しまった。宮間の件をごまかそうとはぐらかしたが、追及されるまでは予想していなかった。そのまま伝えるわけにはいかないし。


『風呂場で騒ぎすぎて、お風呂に入っていた客からクレームがあったんだ。ほら合宿所一般客もいるって言ってただろ。それで男子全員連帯責任で反省会』

『そうなの。大はそうじゃないよね』

『違うよ。俺より先に入っていたやつ』


 それを聞くと、興奮気味だった母さんの声が落ち着きを取り戻した。

 連帯責任で反省会をされたのは事実だし、風呂場での出来事だから間違ってはない。


『それで、兄貴は帰ってきた』

『まだよ。何か聞きたいことがあるの。よかったらお母さんが代わりに聞いてあげようか』

『いや、大したことじゃないから』


 『コンビニ男』本人から脱出ルートを聞き出せば、宮間の侵入経路と犯人を一気にあぶり出せたのに。そもそもの話、具体的なルートの情報を伝えず伝説だけ残して語り継がせた兄貴の無責任のせいだ。

 必死に隠していた千円もペンライトも、ファ◯チキを食べる計画が全部霧散してしまった。そのせいで宮間が……


『大? 聞こえてる?』

『ごめん、聞き逃してた』

『ちゃんと明日も連絡してきなさいよ。毎日十時には携帯返されるのだから、忘れないように』

『わかってるよ。おやすみ』


 電話のボタンをスライドさせて、通話を終えるとスマホを頭の横に置いてまた無気力に戻る。


 兄貴よ。あんたいったいどこから侵入できたんだよ。考えれば兄貴が伝説を達成したのが五年も前の話だ。その間に合宿所の設備が入れ替わっていたかもしれないし、工事で内装も変化してるかもしれない。


 何せ館内図の変遷が伝承されなかったのが大きい。この合宿に参加した後、館内図が描かれたしおりは回収される決まりになってる。情報漏洩から守るためらしいが、館内図ぐらいで大げさなことを。しかもこの合宿所今のご時世でインターネットのホームページすらない。

 だから内装は先輩たちの伝聞でしか伝えられない。そんな徹底した情報隠匿の中で、兄貴は見事脱出に成功した。その成功を伝えきれなかったのは、兄貴の預かりどころないところに変化があったのだろう。


 スマホを取り上げて、兄貴のLINEを開く。


『どうやって合宿所から出るの?』

『自分で見つけること』


 かつて聞いたメッセージの返信が残されていた。

 やっぱり当てにならないなと思いつつも。


『今合宿所で大変なことが起きた。兄貴が脱出したルートを教えて、ヒントでもいいから』


 と書いてスマホを閉じる。

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