第6話 密室の風呂場
「はい、手を止めて。止め。今日は女子が風呂が先に入るから間違えないように。また個室のシャワーを使いたい生徒は先生に言うように。なんでこんなこと言うかは、察しなさい」
国語の白石先生が気だるそうに連絡事項を伝えると、腕を伸ばして一人早々に会議室から出ていった。察しろと言われるまでもないだろ。昨日の今日で覗き事件が発生したのだから、また覗きが起きると警戒するからだろ。
しかし体が痛てぇ。腕を上げると肩の関節からぽきぽきと音が鳴る。今朝の自習の時間で遅れた時間を取り戻すため、五十分の授業の間に挟まる十分休憩時間が消えてずっと座りっぱなしだったからガッチガチだ。
「どうするお風呂」
「シャワーにするよ。なんか怖いし」
「でも絶対に混むよ。先生たちと同じ時間に入るようにお願いしてみない」
先に入る女子たちが今晩の風呂をどうするか悩んでいた。館内図にあったシャワー室は大浴場の隣にあるのだが、三つしかない。この合宿所に来ている女子は二クラス合わせて三十二人。予定表では風呂は三十分で上がるようにされているが、どう見積もっても一分で済ませなければ終わらない。
ゆっくりと風呂に入れないのはかわいそうだが、残念なのは風呂上がりの女子を拝めないということ。この合宿所では限られた空間でしか、女子と顔を合わせられない。そのわずかな空間こそ一階のエントランス、昨夜緑山と話をした場所だ。
湯上りで髪が濡れ、顔が火照った女子の色っぽさを特に怒られることのなく見られる最高の場所だった。それが昨日の事件でプリズン合宿の楽しみが減ってしまった。
おのれ、犯人め。
「さて樺山君、そろそろ我々の時間ではないかね」
「なんだその口調」
「捜査と言えば、この口調だろ。ホームズ的な」
パイプ椅子の上で脚を組んで、手にはパイポ替わりにシャーペンを指に挟んでキメ顔を決めている朝井。かっこつけだが、水泳部自慢の肉体と日焼けした肌が様になってる。本当にホームズの恰好したら似合うんじゃないだろうか。
「じゃあ
「同じ時間の方がいいんじゃないか」
「おいおい時間がないんだろ。悠長に明日までに合わせていたら、宮間を助けられないぞ。まずは現状の四階を探索して、翌日との違いを比べるのが先決じゃねえ」
四階はバルコニーや会議室に宴会場など、団体客が使うための大部屋が集まっている。それなのに人がいないのは、敷島高が占領しているからだ。昨夜の八時半に四階の会議室での授業が終わり、みんなが出た後に従業員が催し物を準備していた動きはなかった。その後九時に宮間が四階に上がっていったことから、おそらくこの四階、もしくは一階へと降りた時に宮間が犯人と出くわしてしまったに違いない。
しかし問題は、四階から一階にある女子風呂へどうやって移動したのかだ。
瞬間移動なんてありえない。エレベーターに乗ったとしても、移動している様子は監視している先生が見つける。それを見逃したとしても、エレベーターはエントランスの中心にあるからすぐ一階にいる見張りの先生に気づかれる。
さて、まずは会議室だが先ほど現代文の授業が終わったままの状態で、机の上にはケシカスが残っているぐらいしかない。ここは特に気にする箇所はないだろう。なにせ朝の自習から終わりの時間まで勉強と授業に使っていたのだ。ここに何か変化があって誰も気づかなかったら、全員鈍いか勉強に集中していた勤勉な人のどちらかだ。
もちろん俺はどちらにも属さない……はず。
「やっば暗っ。懐中電灯とかないとやばいな」
会議室の窓を開けた朝井が外を一望すると、外はわずかに館の明かりで手元に電線が見える程度で奥は完全な暗闇。都会の人工的な照明で慣れている人間では遠くにあるものの輪郭すらおぼつかない。
「宮間はスマホ取りに行ってないんだよな。ここから飛び降りるなんてバカな真似できるわけないな。いや本当に落ちて……」
そんなことするほど愚かな男ではない。それをそのまま伝えるべきか、いやここは少しジョークを入れてみるのが吉じゃないか?
「じゃあ朝井なら飛び込めるのか」
「遠まわしに俺がバカって言いたいのか、お前俺に死ねってのかコラ。つか俺は水泳であって飛び込みは専門外だっての。お前が落ちてみるか」
「冗談だよ」
「笑えるか」
しまった。朝井の許してはいけない琴線に触れてしまった。宮間だったらもっといい切り返しとかできたのに。即興でのジョークはまだ早かったか。もっと勉強しないと。
残りを探し回るが、ほかに気になるところもない。
「失礼します。会議室の清掃させていただいてもいいでしょうか」
「すんません。もう出るので」
頭部が
「ちょっと気になったんだけど、ここ宴会場っていつも開いているんですか」
「いや、宴会場は予約があるときか掃除をするときぐらいにしか開いてませんよ。開けっ放しにして誰かにいたずらされたら問題ですし。今月は特に必要もないし、清掃はまだしていませんよ」
宴会場というからにはカラオケの機械とか高価な装置があるから 宮間がわざわざカギを壊す強硬策を無理に取ることはしない。『コンビニ男』もそんな手間をしなかったはずだ。
清掃員のわきを通り抜けようとしたが、清掃員は俺の顔に何かついているかじっと視線を合わせている。
「何か学校の方で予定とかあるんですか。学生たちがするなら先生と話をしないといけないが」
「あっ、えーっと」
「俺らが来てからずっと閉まっているから気になって。せっかくの合宿で宴会場使わないのもったいなくて。こいつカラオケが好きで」
いや特にカラオケは好きじゃと答えようとしたが、朝井に口を物理的に封じられた。
「ああ、そうですか。せっかくの合宿なんだから宴会場を使っていただけませんかと提案したんですけどね。先生さんはいつも遊びのためではないとお断りを入れられておりまして」
「けーっ。それはひどいな。どうもありがとうございました」
清掃員から逃げるように朝井に押されて会議室からバルコニーへと移動させられた。
「あぶねえな。突然宴会場の話をしたら怪しまれるに決まってるだろ」
「す、すまん。気が回らなかった」
どうもうまくいかない。宮間がいないからなのか、言葉の使い分けが真似できてないかもしれない。
もう一つの調査場所であるバルコニーからは合宿所の中にある風呂場が一望できる場所にある。もちろん風呂の中が見られるわけではなく、風呂の湯気と白い天板が見えるだけだ。奥には昨夜の事件現場である露天風呂があるが、そこは防犯のためかまったく見えない。
「よし、次は風呂だ」
「現場検証というわけだな。女子の方には入れないけど」
「構造は同じなんだろ。なんか手がかりを見つけりゃいいんだ」
そう簡単に見つかるのだろうか。宮間が来たはずの四階にも手がかりがなかったというのに。
***
風呂場は扇状の合宿所の中の部分に相当する箇所にある。バルコニーから見て左側が女子風呂、右が男子風呂になる。奥には事件現場となった露天風呂がある。
「寒いなおい」
露天風呂に入るために浴室とを仕切っているドアを開けると、外の風が吹きつけて体を急速に凍えさせた。太陽が沈み気温が急激に低くなるこの時間、石壁とタイル張りしかなく殺風景とした露天風呂に
「夜半袖になっても肌寒いのに、裸なったら余計にな」
しかし朝井の肉体は男が見てもほれぼれとする。水をかき分けるために上半身も下半身も洗練されてシックスパックや胸筋が浮き出ている。俺のぽよんとした腹が横に並べば、ライ〇ップのCMの比較対象だ。俺が『前』で、朝井が『後』だ。
腰にタオルを巻いて肌寒さをしのぎながら、ぬれた床のタイルを滑らないよう足の裏に力を入れながら露天風呂に接近した。
さてこの露天風呂、岩盤とか趣のあるものがあるわけでなく、タイル張りの風呂に天井に空気が入る吹き抜けがあるだけの寒々しい空間が広がっているだけだ。そこに雰囲気だけでもと合宿所が気を利かせたのか、森の中に鳥やウサギが駆け回っている絵が描かれた壁がある。
「宮間が倒れていたのはどこへんだ」
「倒れていたというより、風呂の中に浸かっていたらしい。たしか左端にいたらしい」
風呂の中に文字通り入ってしまっていたのか。騒動で具体的な状況を聞いてなかったが、そんな状況なら湯船に入るの遠慮するはずだ。これが逆だったら無問題なのが男の性なのだろう。
宮間が倒れていた場所は、女子風呂の位置を考えるとこっち側から見て右か。
右側の壁のあたりにいる鳥の頭のあたりを平手で軽くたたく。ドンと鈍い石のような音が返ってくる。見た目のファンシーさとは異なり分厚い壁でできているようだ。ほかも捜索しようと移動してみると、隣で朝井が壁に耳を押し付けていた。
盗み聞きかよ。
「なんか聞こえたか」
「お湯の音とゴーゴーという音が聞こえる」
「何も聞こえてないってことだろ。もう女子たち全員出ているから意味ねえだろ」
「ロマンねえなぁ。いなくても音が聞こえるだけさえあれば、興奮するだろ」
「お湯の音でとか変態か」
「バカやろう。想像だ。女子が湯の中に裸体を沈める光景を音だけで補うのをなぁ」
「だからその女子がいないからって言ってるだろ」
真犯人よりこの迷探偵を警察に突き出した方がよくないか。
突然ビューっと風が男二人の肌に打ち付けられた。
「さむいっ!」
冷えた風にタオル一枚では耐え切れず、風呂の中に逃げ込んだ。
あったけ~。よく考えれば、こんな寒い中女子風呂の方も人入ってないんじゃないか。湯の音が聞こえても風で揺れるだけだ。
「昨日もこんなに寒かったか」
「いんや、昨日はマシだった。でも家にいるときよりは寒いなここ」
この合宿所をバスで来た時、ずっと上り坂だったような。この合宿所は山の上にあるのかもしれない。しかし風が吹きつけてからというもの首から上が冷たい。このまま湯舟の中に引き籠って居たいが、居続けたらモリセンが風呂場にまで殴り込んでくるかもしれん。
「朝井、もう一度壁を調べるぞ」
「ええ、寒いのかんべんだって」
「ここに来た目的、宮間が現れた場所を探すためだろ。俺が右側をお前が左を調べてくれ」
「風が収まってからでもさぁ」
「モリセンが入ってきて引きずり出されるぞ」
「うぅ、しょうがね。じゃあいくぞ、いっせーのせ」
バシャと水音を立てて湯船から出た。
出たのは俺だけだった。
「頼む冬場は泳がないから寒いの苦手なんだわ」
「ずりー!!」
まんまとチキンレースに負けてしまったからには、俺一人で調べるしかない。風よ吹いてくるなと祈りながら、裸一貫で右側の壁に触れる。やっぱりただのコンクリートの壁に絵が描いてあるだけだよな。
ペタリペタリと触っていくと、指がへこみに引っかかった。これは、コンクリが欠けたようじゃないな。指を壁の上にへとなぞってみると一本の線のようなくぼみがある。
これは、扉?
扉を発見した途端、風は吹かなかったが代わりにぽつぽつ雨が降り出した。
最悪。屋外で雨風とか寒さ二倍増しだ。慌てて湯船に戻ろうとしたとき、朝井が露天風呂から逃げ出していた。
「すまん、露天風呂も限界だわ」
「てめえ、俺を犠牲にしやがって」
前を隠しているタオルを奪ってやりたいところだったが、湯と雨で床がぬれているせいで走ることができず、全身を雨に打たれながら中に戻った。
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