五日目

第12話 バルコニーの濡女

「疲れた〜」


 ぐったりとノート広げたまま頭を押し付けた。連日の騒動に加えて、極限まで文系主要三科目を叩き込みアンドテストでアウトプットの繰り返し。

 これに加えて、貧相な食事。圧倒的な補給カロリー不足で栄養が足りてない。先生たちはバランスのよい食事とうそぶいていたが、燃料不足の前ではそんなもの関係ない。

 初日ですでにへたっていたのに、五日目となればもう頭の中の配線が火花を散らして今にも火災発生しそうだ。今六時前の小休憩時間。あと一時間も耐えなければならないのか。長い六十分に呆然としながら、昼食で余ったお茶のペットボトルを手にして会議室の外に出る。


 今日も変わらず四階に人の気配がない。いやいるにはいるが、それはただの生きる屍と化した抜け殻だ。


「あ、あと。何日だ」

「二日と半」

「二日と半って何時間?」

「六十時間」

「六十時間って何分?」

「三六〇〇分」

「三六〇〇分って何秒?」


 俺もうっかり彼らの中に巻き込まれないよう、奥へ奥へ逃げていく。


「あっ」

「おっ」


 屍の群れから逃げた先はエレベーターホール、そこに偶然座って一休みしていた緑山と鉢合わせした。


「鼻血もう治ったんだね」

「鼻血はすぐ治るものだろ。切り傷はカサブタできてるけど痛くもないし」

「ごめんね未空を止めてなかったばかりに」


 昨日の件のことをまだ引きずっているようだが、合宿で会ったばかりの人間をコントロールなんて無理があるだろうに。


「緑山はやさしいな」

「というより、責任をずるずる引きずったままなのが嫌なだけ。自分がやらかした失敗を他人に任せておいたまま放置すると、気になるし。無責任みたいに見られるのカッコ悪いし」


 それがということなんだけどな。

 人は誰だって周りからの体裁を気にするもの。カッコいいカッコ悪いの判断はだいたい周りか、なんとなくで決まる。緑山の場合は責任と明確に定義づけている時点で一歩秀でている。


「香川はあの後どうなってる」

「昨日よりだいぶおとなしくしてる。勉強でクタクタになってても文句一つも口にしてないから逆に先生の方が心配されていた」


 おそらく香川は俺のことで戦々恐々としていることだろう。自分でないと主張しても、被害者はづけでトップに立てる。誰がやったか鶴の一声で形成が一気に変わる。

 俺が怪我した後、鷹揚とした態度に出なかったあたり、香川に味方になってくれる人は少ない現れだ。


「合宿が終われば元に戻るんじゃないか。そもそも誰のせいでもないんだから」

「そうなんだけど、ちょっと反動が大きすぎて元に戻れるかも」

「心配しているんだ。緑山からなんともないと言ってやれば」

「そうしてみよかな」


 心配症な人間でないのは昨日から見続けてから明らか。ここは責任を少し軽くさせてやる方がいい。


「それで女子は今日風呂どうするんだ。またシャワーか」

「シャワーはもう定員オーバーぎみだから、たぶん屋内までかも。さすがに入らないのはなしだし」


 昨日の覗きが起きたのが女子たちが風呂から出た後の時間だ。二度目でしかも時間をずらすこともできないとなればそうする他ない。しかも犯人が外部からの犯行と聞いている以上再発する恐れがある。

 男ならまだ意地で入ろうとするが、女の子の場合はそうもいかない。思うに宮間をスケープゴートにしたやつと同一人物なら容赦できない。


「お風呂で、思い出したけど。今年なかったよね

「アレって?」

「バルコニーの濡女、浴場の前で話したやつ」


 そういえばそんな話あったな。あの時は緑山が怖いって拒否した後に宮間の騒動が重なって聞けずじまいだった。


「濡女の話聞きたい?」

「怖いんじゃなかったのか」

「未空がわざと怖がらせる話し方するから嫌なだけ。話自体はなんか怖い感じはないの」

「聞かせてくれるか。休憩後五分だからできれば手短に」

「いいよ。火が沈みかけた中でそれは動き出す。合宿所の四階にあるバルコニーに女性の幽霊が立っているの。女性は左右を見回した後すっと消えて、後には水たまりしか残ってない」

「……それだけ?」

「うん。あとは、濡女に見られた場所は部屋が真っ暗になるとかかな。他の女の子からも聞いたけどそれでおしまい」


 怖いというより不気味な怪談話の類だな。


「濡女ってバルコニーに立っているだけの話なのか」

「うん。だけど目撃した人が大勢いるらしいの。三年前ぐらいから濡女を直接見たって話があって、連続で教室の窓から見えるバルコニーに濡女がいるの」

「教室? バルコニーが見えるのか」

「そうじゃないの? 左館の窓から真っ直ぐ先に」


 女子が授業しているところは男と同じ会議室のはず。だがあそこは一昨日朝井と調べたが暗すぎて何も見えてなかった。


「はい集合、授業再開するからみんな戻って」

「先生だ。バルコニーちゃんと見えるはずだから確認してみて」

「わかった」


 パタパタと急足で会議室に戻り、席に座る。

 授業の席順は特に決まってなく、どこでも座っていいとこの監獄の中で唯一の自由が許されている。

 ちょうどタイミング良く俺の今日の席は窓側。連続授業で疲労困憊状態の朝井を押し除けて席に座ると窓を少し開ける。


 五月の夕方六時は赤く沈む太陽が微かに照らしてくれるおかげでこの前よりは視界がはっきり見えやすい。

 緑山が言っていたバルコニーもちゃんも見えている。そして奥にあるのが女子がいる左館。右館と対であることを表すように一階から伸びるロープが左右の館の窓下についている。


 たしかに見えてる。女子のところに照明がついているから、あっちは夜でもしっかり見えているだろう。


 するとガラリと向こうの窓が開かれた。大きく手を振っているのは、緑山だ。ちゃんと見えているのか確認しにわざわざ顔を出したのか。本当にやさしいな。

 向こうも返してきたのだからと俺も手を振って返す。無論先生がいる手前大声なんて出せるはずもない、あいさつの返事をするだけと変わらない。

 すると俺の返事に緑山が気づいてくれたようで指で丸を作った。OKという意味だろう。


「へー、監獄の中の青春とはいいご身分ですこと」

「朝井、お前倒れていたはず」

「勘で何が起きているか感じちゃったんだよなあこれが。次はなんだ獄中結婚かこいつ、抜け駆けは許さんぞおい!」

「別に俺は緑山のことなんて」

「嘘ついてる顔だ。顔がニヤけてる。いやなんとなく気になってるだろうとは思ってただろうけどさ、こっちがひーこら倒れている間に勝手に話が進展しているのは勘弁できねえぞおいっ!」


 完全な逆恨みである。片思いなら応援してやるが両思いは許せんって、歪んでるぞ。


「そこ二人、ケンカするならお前たち二人だけ課題出すからな」


 石川先生の脅しにより、お互い追加の課題を出されたくないために一時休戦をすることになった。だが授業の終わり無情にも石川先生から俺たち二人だけの課題を出された。

 休戦協定はすぐに破棄されるだろう。


***


 授業も終わり、夕ご飯の時間。

 家にいる時は今日の献立はなんだろうとウキウキしているこの時間、毎回祈らずにはいられないのがここの異常性を物語っている。


 食堂に入ると、鼻に油の匂いが漂ってきた。

 揚げたてだ。

 そしてみんな目を疑った。なんとメインのおかずが唐揚げなのだ。箸で持ち上げてもまだ疑心暗鬼が抜けきれない。ご飯は相変わらずほぼ玄米だらけの雑穀米にワカメしか入ってない味噌汁、そしてしば漬けと変わってない。なのにキャベツとレモンの切り身の中心に居座るきつね色に揚げられた物体は紛うことなく唐揚げだ。


「これ鳥なのか。ヘビとかカエルの肉使ってるんじゃ」

「でも肉を使ってることには変わらないだろ」


 そう肉が出る方自体この四日間なかった。

 初日の晩飯はサバの塩焼き、二日目はホッケの塩焼き、三日目はこの時期に完全な季節外れのおでん。四日目がまた戻ってサバの塩焼き。五日目はローテーションでホッケの塩焼きと覚悟していた矢先にこれ唐揚げ。罠があると思わない人間はいないだろう。


「みんな手が止まってるぞ。合宿所の方が作ってくれたご飯が冷めてしまうぞ」


 モリセンが呼びかけるが、それでも食指が動かない。いや早く食べろと言われても、何か罠があると思って食べられんよ。この後緊急訓練とかして、食べたもの吐き出されるとか。最後の晩餐とか。いやこんなの最後の晩餐に出されたら一生後悔するわ。もっとマシな食事を寄越せと言いたい。


「俺は食うぞ。油物ずっと我慢させられたんだ」


 意を決して朝井が唐揚げに箸をつけて口の中に放り込み、最初の被験者となった。喉を過ぎるまで、全員飯より固唾を飲んで見守っていた。


 ゴクリと唐揚げが喉元を過ぎた。


「……普通の唐揚げだ。それももも肉」

「体調に変わりとかないよな。変な仕掛けとか毒ガスとかも出てないよな」

「なんともない。塩コショウだけのあっさりと脂が乗ってるやつ」

「お前ら失礼だと思わないのか。食事を用意して疑うなんて、先生は恥ずかしい」


 日頃の行いが悪い生徒が急に善行をしたら疑うのは普通だろ。そんな恥ずかしいことされたくなかったら、まともな食事を出しやがれっての。


 心の中で文句は言ったのだが、まともな食事というのはやはり嬉しいもの。俺も続いて雑穀米を通り越して唐揚げを先に口に入れる。

 カリッと揚げたての食感が口の中で一番に奏でる。衣の中で蒸されたもも肉の脂身と赤身の柔らかい食感が楽しい。思わず噛む回数が増えてしまう。

 噛めば噛むほど肉の味が出てくる唐揚げが、咀嚼で噛み潰され小さくなる。そして喉元を過ぎて無くなってしまった。

 次はレモンを絞った唐揚げを口にする。レモン汁を吸った唐揚げは、サクッとした食感が失われたが酸味が良いアクセントとなり飽きがこない構成になっている。


 塩派とレモン派とか唐揚げに無断でレモンをかけるのはマナー違反とか世間で言われているが、この際言おう。


 美味いは正義だ。


 この合宿の料理を四日と食べれば、そいつら全員黙って俺の意見に従うはずだ。

 柔らかくなった唐揚げは、数回咀嚼するだけであっという間に小さくなりまた喉元を過ぎてしまった。

 さあ残り三つと箸を伸ばそうとした時、ふと宮間のことを思い出した。


「どうしたお前のだけまずいのあったのか」

「いや、うまいんだ。けど俺だけ抜け駆けしていいのかって思うと」

「宮間のことか」


 あいつは今頃罪を着せられるかどうかの瀬戸際で不安を抱えながら、ここより侘しい病院食を一人寂しく食べているはず。


「考えすぎだって、お前は真面目が過ぎる。だいたい宮間がいたらあいつも唐揚げに躊躇しているはずだ。そんでコンビニに行く必要無くなったとか言うと思うぜ」

「いや違う。コンビニの唐揚げとは違う」

「そりゃあちらさんは醤油と塩コショウの二種類あるからな」

「そうじゃない達成感だ。飢えていた中でようやく見つけたオアシスコンビニ。出し抜いた達成感がこれにはない」


 そして『コンビニ男』のルートを見つけた手前で野望を打ち砕かれた。病院の枕を濡らしている宮間の姿を想像するのは難くない。


「そうは言うが、後二日。いや同条件で狙うなら後一日しかないんだぞ」

「それは、諦めた方がいいってことか」

「俺はもう疲れたから積極的にやるのは諦めた。樺山が続けるのなら、手伝うってだけ」


 そう述べるものの、事実上の戦線離脱だ。

 もう俺一人で宮間がどうやってボイラー室へ侵入できたか、麓にあるコンビニへどうやって行くかを捜索しなければいけない。

 それらを解決してからコンビニでファ◯チキを買ってやる。そして宮間に届けさせてやりたい。


 残りの唐揚げを一気に口に詰め込んで飲み込んだ。

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