第4話 犯罪の疑い

 嘘だと思いたい。何が起きているのか。脳が混乱しながら、元来た道を戻っていた。周りの話なんて聞いてない、周りが噂の火元を野次馬根性で集まる習性に右ならえして、ついて行っているだけ。

 脱走をもくろむあいつが、覗きなんて。

 ようやく風呂場の暖簾が再び見えると、白石先生が生徒たちを追い返していた。


「来るな来るな。今立ち入り禁止。女子生徒は従業員の人たちの案内に従って着替えを持って移動。戻らず進んで」


 野次馬に来ていた生徒たちが残念がりながら、戻っている中、隙間をぬぐって暖簾の下を盗み見る。暖簾の隙間から向こうが見えた。男子の方も同じ構造らしく入り口前にガラス戸が置いてあり、その前で従業員たちが困惑した表情をしている。

 その下には担架が置いてあった。


「はい、ゆっくり下ろして。救護室に運んでください」


 ガラス戸が開かれるとバスタオルにくるまれた宮間が先生たちに担がれて現れた。下半身はタオルで隠されているが、上は裸になっている。


「おい宮間! 宮間!!」


 俺の呼びかけに宮間は答えない。

「おい、下がれ樺山」俺の呼びかけに気づいたモリセンが、シャツを引っ張り上げて広間にへと押しやる。宮間が風呂場から出る。従業員たちが宮間の顔を隠すようにタオルで担架を覆っている。

 広間に移動しているにも関わらず宮間は何も声を上げず、そのまま奥の救護室に運ばれてしまった。何かあれば何かしら声を上げる宮間が、何も発さないなんて。


「先生、宮間は。まさか死んで」

「縁起の悪いことを言うな。頭を打っただけだ。心配することじゃない。男子はすぐ会議場に来い」


 モリセンに一喝されてその場に立ち止まってしまい、宮間が生きているか確認できなかった。


***


 会議室から部屋に戻ってこられたのは十二時を回ったころだった。部屋には、宮間はまだ戻ってきてなく、俺と河坂しかいない。


「関係ないのに。だからやめろって言ったんだよ。とばっちり食らって」


 河坂のぼやきに俺は何も言い返せなかった。

 すでに宮間が騒ぎの中心になっていたことは広まっていた。携帯が返却される前で、写真やSNSに騒動を発信されずに済んだのは幸いかもしれない。しかしこの合宿所から出てしまえば、宮間は学校からの処分だけで済まなくなる。クラスから口頭で伝わるだろうし、クラスだけでなく新聞部にもいられなくなる。それどころかSNSを通じて世界中から覗き犯として袋叩きにされるだろう。


「お前らの永遠の友情ごっこに巻き込まれて迷惑なんだよこっちは。一週間大人しく何もしなかったら、夜遅くまで説教される羽目にもならなかった。お前らのバカ騒ぎのせいで」


 なんだよこいつは。宮間が犯人と決まったわけじゃないのに、好きかって言いやがって。ついに怒りの沸点が限界突破しそうになり、ベッドのをむんずとつかみ上げて河坂に向き直る。


「言い返さないからって、調子に乗るんじゃ!」

 

 トントントン。

 ドアをノックする音が部屋に響く、それのおかげで頭が急速に冷やされ、持っていたまくらをベッドの上に置いた。ちょうど巡回していたモリセンが騒ぎを聞きつけてノックしたのだろうか。

 だがモリセンならドア越しに怒声が飛んでくるだろうし。

 河坂はすでに布団をかぶっていた。逃げ足の速いやるやつめ。しかしノックが鳴ったら代表して誰かが出なければならないのがこの合宿所のルールだ。生徒の自由だけでなく、睡眠すらも先生に管理されるのがこの監獄合宿のいやらしいところだ。

 めんどくさい先生でありませんようにと祈りながら扉を開けた。


「大丈夫? 大きい音が聞こえたようだけど」


 飛び込んできたのは、浅黒い肌で額にしわを寄せたモリセンではなく、ショートカットの黒髪が美しく映える数学担当の松田先生だ。先生もジャージを着てもう寝る準備をしているというのに、こんな時間に消灯前の巡回担当とは頭が下がる。


「いえ、ちょっと気が立ってて」

「だよね。不安になるのはしかたないよね」


 松田先生は細い手を俺の肩に添えて、俺を案じていた。さすがあだ名が敷島高校の慈愛と魔性の女神。


「あの、先生。宮間の容体はどうですか」

「うん。頭を打っていたけど、命には別条ないって言ってた。まだ目は覚めてないけど。ごめんね、仲のいい樺山君に伝えなきゃいけなかったのに」

「いえ」


 包み込むような優しい声色に、口数が減ってしまう。クラスの女子は松田先生のような温和な奴がいないから、このタイプの人は慣れてない。だから女神と崇められているのだろう。


「宮間はどこから入ってきたか知ってます」

「露天風呂の岩場のところに裸の状態で倒れていたって聞いていたけど、どうやって入ったのか従業員の人たちからもわからないらしくて」


 露天風呂、男子にもあったが一般にイメージするような外の景色が広がるなんてものはなく。高い壁が四方囲まれて、天井にぽっかりと開いた空気穴から外の空気を流し込んでいるだけの殺風景とした空間だ。構造的に女子風呂とは同じ形で、男子とは壁一枚で隔たれているが、高い石壁が遮っており向こうの声すら聞こえない。

 四方を石壁で囲まれた中を、どうやって宮間は越えて、そして倒れていたんだ。


「大変だけど、まずは寝ること。寝て体力を回復させないと明日は乗り越えられないからね」


 ぎゅっと松田先生は手を握ってかわいらしいポーズを取る。もう二十五歳といい大人の年齢だというのにいちいち仕草にドキッとするんだよな。


「わかりました。おやすみなさい先生」


 ドアを閉めて、急に真ん中にある空っぽのベッドが目についた。ほんの数時間前まで脱出ルートを話し合っていた宮間がいたベッドだ。もう主がいないのに、無造作にはがれた布団がまだあいつがいるように見える。


 電気を消して、ぎゅっとまぶたを強く閉じた。

 まだ死んだわけでない、だが今後宮間といつものようにバカ騒ぎできなくなると思うと悲しみであふれてしまう。

 なんとか目をつむるも、『コンビニ男』とか『バルコニーの泣き女』とか侵入経路とか脳内にもやもやと浮かび上がる。それを必死に抑え込んで眠りについた。

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