第3話 コンビニ男の足跡

「あーしんど」

「もう頭パンパンだ」


 初日が移動と説明に半日費やされたのと異なり、二日目は朝から晩まで勉強漬けにされた。


 昨日も到着早々、授業をしていたが昨日のがほんの小手調べと想い知られた。


 この勉強合宿の意義は他のクラスと歩調を合わせるためということもあり、一年間の内容をまとめて学び直しするとは知らされていたが、まさか一日かけてその復習に費やされるとは思いもしなった。一度やった範囲なのでわからないということはないが、問題は授業の時間だ。まず朝の九時から十二時までの三時間、それから昼休み一時間を挟んで午後一時から七時までぶっとうしで叩き込まれる。


 都合十時間の勉強で、頭は文字で埋め尽くされていた。途中先生が気分転換にと一時間の映画鑑賞が催されたのだが、これまたつまらないことこの上ない戦時下の悲劇をテーマにした話で。湿っぽく、陰鬱っぽく、毎年八月十五日に放送するドラマと変わりない。

 ただでさえ気が滅入る勉強合宿だというのに、こんな話みたら余計に落ち込む。モリセンは腕を組んでふんふんと一人納得したように鑑賞していたし、あれか戦時下の状況と比べると俺たちは恵まれていると主張できるからか。戦後何年経っていると思ってんだ、もうすぐ八十年だぞ。先生の子供の頃から計算して八十年前の生活が同じだと思うのかよ。

 そして止めにさっきの映画感想文を書かされて、気分が滅入る要素山盛りの一日だった。


 そして胃の中に入れた夕飯は部屋に帰った時にはもうスッカスカ。昨夜も胃の中がうねり、叫びをあげて寝不足だ。これがあと五日と続くとなるとまさに地獄でしかない。


「今夜決行せざるえないな」


 本能寺に討ち入りするような覚悟を述べると、動かなかった宮間が背にバネがついたかのように立ち上がった。


「よし行くか樺山」

「単独でやるんだろ。予定と違くないか」

「成功確率を上げるためさ。朝井は上の階にいるから作戦を伝えるのに無駄な移動をして計画が露呈するのを防ぎたい」


 この合宿所の部屋はほとんどがうちの学校が利用しているのだが、何部屋か一般の客が利用している。学校の本音としては同じ階層にまとめて管理したいのだが、一般客が利用するとなればどうしようもなく、客室がある二階と三階に分かれている。


「でも金はあんのかよ。お前昨日見せた時には持ってないだろ」


 すると宮間はニヤリと口元を上げると、ポケットから半分に折られた野口英世の顔が見える紙を見せた。


「朝井から借りた千円。お前が持っている千円。どちらかたどり着けば成功。両方正解なら、二倍になるというわけ」


 シッシッシと下卑た笑みを浮かべる宮間、競馬に勝ったら何を買おうかみたいになっているぞ。が、これが成功しないと後の五日間臭い飯を我慢して食べ続けることになる。さあ、やるぞ。


「目立ちたがり」


 ふと部屋の隅からぷすっと突き刺した。布団に包まっていた河坂からだ。今日まで俺たちに話しかけてこなかった人間の第一声が嫌味な言葉を吐くなど頭がイラついた。それで思わず強い言葉で言い返してしまった。


「なんか言いたいことあるのか」

「騒ぎになることはやめてほしい。それで見つかったら、同室の僕にまで疑いがかかる。目立つのが良いって思考回路が単純すぎ」

「目立ちたがりじゃない。ひもじくて息苦しい合宿に潤いを得るためにやる。脱出方法が分かればみんな」

「それが迷惑だっての。たった一週間じゃん。それぐらい我慢できないと、これから苦労するよ」


 初日はまったく話さなかったからわからなかったが、こいつ性格最悪だ。

 もはや売り言葉に買い言葉。俺も容赦なく口撃をした。


「そうやって部屋に閉じこもっていろって。勉強漬けでクタクタの体にあんなまずい飯を食べ続けるとかお前舌メシマズ適正あるぜ」

「リスクとリターンが見合ってないと言いたいんだ。先生たちこの合宿で問題を絶対に起こさせないように徹底しているんだぞ。そうやって調子乗っているから、去年文化祭で」


 パチンと宮間が指を鳴らして、遮ると代わりに河坂に向き合う。


「一週間されど、高校二年生の一週間。はしゃげる時間は修学旅行でもできるという

んだろ」

「……そう。修学旅行にやればいい」

「はしゃぐだけなら。しかしうちの学校の修学旅行は三年の春。その時期になると大学試験の準備や就職やら進路のことで頭を悩ませながら、旅先でそのことをふと思い出してしまう。河坂もプログラミングの専門志望だけど、まだ本格的に手を付けてないだろ」

「ま、まあ。今二年だし、時間があるから」

「そう、二年生。二年生だから時間がある。この時期だよ、進路のことはまだ時間があり、自由に青春を謳歌できる。三百六十五日のうちの一週間をガチガチに固められた監獄に居座るのはもったいなくないか。炭酸もポテチもない、勉強漬けの一週間に。自分の好きなことができない一週間に耐えられるか」


 だんだんと反論する口数が減りだし、ついには黙ってしまった。

 記事は面白くないが一度こいつが読み上げればゴミ記事でも人が集うというマスコミの悪い才能があふれ出ると恐れられている新聞部所属の宮間の本領発揮だ。初めて直接対面した河坂に対しても相変わらず冴えている。

 おそらく他の部屋と相部屋になっても上手く馴染めて、脱出計画を企んでいただろう。


 つくづく俺と同じ部屋でよかったと思わざるえなかった。


「ちゃんと事前に把握済みだ。このホテルの麓、コンビニがある。そこから調達し、俺たちは大脱出を実行する。お前も欲しいものがあれば買ってくるからな。もち追加出資大歓迎だ」

「……見込みがあればな」


 反論する勢いがそがれたのか、河坂は着替えを片手に部屋を出ていった。

 扉が閉まるのを見届けると、宮間は膝で押さえつけていたを放してくれた。


「すまん、危うく暴力沙汰になりかけた」

「気にするな。黒歴史は胸の奥にしまっておけ。成功すれば官軍だ」


 河坂が口に出しかけた『去年の文化祭』を持ち出したとき、一瞬目が血走りかけた。ほかの人からすればただの失敗かもしれないが、青春の一大イベントの汚点をああいう形で追及されると手が出てしまう。宮間が止めてくれなければ、脱獄どころではなかった。


「いいか二人必ずコンビニに到着しよう。買ってくるのはもちろん、〇ァミチキにピザポテト、それから二リットルコーラと後紙コップもだな」

「ペットボトルでいいだろ。余計なゴミが出る」

「乾杯するのにペットボトルは|バえないだろ」


 宮間が肩を組んで、手をコップを持つ形にしてくいっと飲む仕草をした。ああ、やっぱりこいつは才能が違う。


 さてこの時間、先生たちの見回りは常に一定の場所を見張っている。

 この合宿所は建物が左右扇状に分かれていて、扇の付け根の部分にエレベーターホールがある。ホールからだと部屋がある廊下が左右一目で丸見えになるので見張りをするのに適している。しかし、通路の奥までは視認しにくく、奥にある階段から上り下りする人の姿まで捉えきれない。見えたとしても、ぼんやりと人影が見えるぐらいで二人重なれば隠れられる。しかも階段付近には誰もいない。

 つまり階段から上がった場所、もしくは下に行けば、『コンビニ男』が脱出できた道があるかもしれないのだ。


「今日は最悪偵察だけでも十分だからな」

「おいおい脱出しないのか。今日逃したらまた二日間地獄を見るぞ」

「焦るな。『コンビニ男』の伝説がこうして残っているのに、いまだ再現に成功した生徒がいないのは、変だろう。まずは下見から」


 言われてみれば伝説という言葉に先行して忘れていたが、『コンビニ男』の成功を再来や再現をしてみたという話を先輩から聞いたことがない。

 伝承の類は噂が流れてからしばらくは持ちきりになるだろうが、一年単位で新入生やら卒業生とかで出入りが激しい学校という環境では伝説を保つことは難しい。もしくは記憶に残らないはず。

 だが数年たった今も『コンビニ男』の伝説は残っている。『コンビニ男』の時から劣悪な環境が変わってないこの合宿所で後追いをする、したという話が残ってない。先輩たちも『コンビニ男』の話をしなかった。

 つまり『コンビニ男兄貴』がたどっていたルートが何か支障をきたしてしまい、再現ができなくなったかもしれない。


「俺たちは伝説を再現する。そして後輩たちに伝承させて俺たちのことを語り継がせる『閉ざされた伝説のコンビニのルートを完全再現した男二人、宮間と樺山』とな」

「長いな。『伝説の再来』のほうがよくないか」

「誰が成し遂げたかわかんなくなるだろ。名前は必須だ。『コンビニ男』は性別が男としかわからないが、宮間と樺山ならどんな二人なのか伝えられる。名コンビとしてな」


 中身のない馬鹿らしい会話。だが宮間の言葉一つ一つに深みがあり、納得してしまう。

 エレベーターホールにいる先生がよそ見をしているうちに、俺たちは奥にある階段へ無事に到達した。


「じゃあ幸運を祈る」

「捕まるなよ」


 コツンと拳の先を突き合わせて、それぞれ誓い合った。


 『伝説のコンビニ男兄貴』の再来を。


***


 合宿所は四階建ての建物で、生徒が使う部屋は二階と三階で、一階はエントランスや食堂が、四階はバルコニーと会議室とパーティ会場と大きな催し物をする階となっている。

 宮間が目をつけているのが四階と一階のどちらだ。二階と三階は扇状に分かれて通路は一本道と同じ構造で、それぞれのホールに先生が配置されている以上身動きが取れない。その分奥行きと隠れられる広さがある一階と四階なら脱出できると睨んでる。そして最初に宮間が分析したように、この時間は男子が先に入るため先生たちの気が緩んでいる。

 脱出できそうなルートは実質この二つ、男子が入る九時からの三十分の間に何かが起きる。宮間は四階へ。俺は一階へ捜索に出て、脱出口があるか探りにいく。

 と思っていたのだが、その見込みは甘かった。


 外へ出られる唯一の出入り口である玄関ホールには合宿所の従業員のほかに、うちの学校の先生二人がエントランスにある椅子に新聞を広げながら座って見張っていた。一人ならともかく、二人と従業員の三人体制となれば抜け出すのは至難の業だ。

やはりこの監獄合宿から逃れたい生徒が容易に出入りできる玄関の警戒を固めるのは当然のことか。


 しかたなく玄関からのルートはあきらめ、一階にある設備の中で脱出できそうな場所を探ってみるか。

 まずは食堂であるが、この時間はもう夕食の提供も終わり、奥の白い照明がポツンと灯されている。まずい飯ばかり提供して許しがたい存在なのだが、誰もいない空寂感がぽっかり胸に通り抜ける。ここは俺の苦手な空間だ。従業員入り口はしっかり鍵がかかっており、窓は重たそうなシャッターが降りていた。これに手をかけようとすると玄関ホールにいる先生たちに気づかれそうなので止めた。


 兄貴は誰に気づかれずに脱出したはず、ここからではないと思う。

 食堂を出る前、先生たちがよそ見しているか首を伸ばす。左にいる先生がスマホに目を落としていた。いけると足を出そうとした。が、右にいた先生がピクリとこっちを向き、慌てて戻る。


 ひゅーひゅーと喉の奥かか細い息が漏れ出る。閉まっている食堂から出るだけでこの緊張感。大そうに大脱出と豪語したが、いざ見張りの隙間をかいくぐろうとすると心臓が跳ね上がる。

 見張りがウヨウヨしている合宿所の中を兄貴は一人で移動したのだろうか。しかも未だ脱出できた者がいないとされている状況での中で。凄まじいプレッシャーと慎重さで押しつぶされなかったのだろうか。

 今欲しいものとしたら兄貴の強心臓だ。


 食堂を出て、ほかの出入り口や従業員ドアを探ってみるがどこも外に出られそうな場所はない。後は奥にある大浴場につながる通路だけ。しかしここはないだろう。人通りが一番多い大浴場から脱出しようとすると明らかに人に見られる。仮に数人で結託したとしても、一般客が目撃する可能性がある。

 不確定要素が強い、兄貴がその危険性を見落として自信満々に宣言できたのだろうか。


「あー覗き」


 背後から女子の声が刺さる。びくりと背中が震える。落ち着け、脱出がバレた訳じゃない。それに目の前の暖簾は青、男が男風呂の前にいるのはおかしくない。心を落ち着かせて振り向くと、緑山と今朝緑山と一緒に同じく朝食を食べていた丸眼鏡をかけた女子だ。


「失礼な奴だな。ここは男風呂だぞ、緑山たちの方が覗きだろ」

「冗談だって、マジレスしないでよ」

「からかいがいのあるね樺山って。そういえば今年から同じクラスだったね、あたし香川未空みく。ゆうの同室でーす」


 香川未空、去年はいなかったから文理選択でクラス分けされた組か。分厚い眼鏡をかけているからまじめな子かと思ったが、ノリがややチャラい。よく見たら眼鏡に度が入ってない、伊達メガネだ。

 道理で気が抜けた緑山と早々友達になったと思った。こっちの同室は二日目で暴力沙汰になりかけたというのに。


「お前たちこそ、なんでここに。女子はまだだろ」

「風呂に入る前に、自販機でジュース飲もうかなって思ったんだけど、先生に使っちゃダメって。おまけにお金持ってきたことモリセンに報告されるなんて最悪」

「ゆうこの合宿舐めすぎ」

「監獄合宿だって聞いてなかったのか」

「いや、そこは女子の可愛さ特権でね。おねだりして」


 緑山が手を顎に乗せて首を傾げるポーズを取る。うむ、あざとい。たいていの男子なら落とされ、足りない部分を補っていたのだろう。

 しかし残念ながら、俺はそっちには惹かれない。あざといポーズよりも、半袖で顕になった細く色白の二の腕の方がそそられる。今朝のうなじと同じく、肌の色が普段晒されているところと違い色白、そして雪見だいふくのようにもっちりとした腕。棍棒のような太腕しかない男子と違い、どうして女子のは一目で柔らかそうと思えるのだろう。


「樺山は誰待ち? そろそろ部屋戻んないとモリセンが来るよ」

「ひょっとしてあの噂を探ってる?」


 噂? 『コンビニ男』のことかと思った。が、どうも緑山の顔が優れない。そんな話辛いものでもないのに。


「ほら『バルコニーの泣き』この時期になると出るって」

「いややめてやめて。髪洗えなくなるって」

「でもただの怪談でしょ。見た人もいないし」

「見てないから余計に怖いって。あーもう先入る!」


 耳を抑えて、着替えを抱えながら赤の暖簾の下を潜って逃げた緑山。そして香川がそれを追いかけるように暖簾の下を潜る。

 『バルコニーの泣き女』。『コンビニ男』とはまるで異なる噂、というより怪談か。関係はなそうだが、詳しい話を聞いておけばよかった。


 そばにかけられていた時計を見ると、もうすぐタイムリミットが近づいていた。

 結局『コンビニ男』のルートもわからず、は入れず仕舞いだったが、もとより脱獄を想定して風呂には入らない予定だったし。それに一日ぐらい風呂に入らなくても臭いはしないだろう。明日は女子が先の日だからしっかり洗えば問題ないだろう。


 お湯で髪が濡れた男子たちが、早足で部屋に戻っていくのを眺めながら、俺も部屋に戻ろうとみんなの後についていく。

 が、一部の生徒がなぜか浴場のところへ戻り始めていた。


「おい、覗きだって」

「マジ? 誰?」

「勘弁してくれ。今夜男子だけお説教確定じゃん」


 覗き? いったい誰だよそんなバカなことをしたのは。脱獄より立ち悪いぞ、下手したら退学だって。


「宮間らしい」


 その名前が聞こえると他人目線でいたのが、急に当事者目線に引き寄せられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る