二日目
第2話 管理された世界
翌朝の朝食は、昨日と同じく食堂のテーブルに一人づつ配膳されていた。
朝食はご飯に鮭の切り身にみそ汁、そして五枚入りのりパックと納豆。伝統的な日本の朝食セットだ。朝食はパン一つだけの生活を送っているため、こういう光景は新鮮に見えるが、よく見れば昨日の夕食と魚の種類が入れ替わっただけでメニューがほぼいっしょなのだ。
しかもよく見るとご飯はパサついた雑穀飯、鮭の切り身はすでに冷め切って脂が固まっている。みそ汁の具はワカメだけ。いやみそ汁の具はこれぐらいでも十分だが、それにしても貧相だ。
幸いなのはご飯のお供にのりと納豆がついていることぐらいだろう。いや本来ご飯のアクセント程度にしかならないこいつらが、救いになること自体おこがましい。
「バイキングじゃないの! あたし朝食パン派なんだけど」
「贅沢言わないの。ここはヘル合宿だし」
「でも、せめてパンか選ばせてよ」
食堂の反対側から去年と同じクラスメイトの緑山ゆうが、みんなが想っていた不満を暴発させた。
バイキングなんてどこから仕入れた情報だろう。
ここは監獄である。同じ
隣にいた眼鏡をかけた女子に諭されながら、しぶしぶ緑山が席に座って配膳されたご飯に手を付け始める。
昨日の勉強と監獄生活一日目で疲れていたのか、女子は軒並みつやがなくぼさぼさだ。あくびをしている女子もいることから、寝過ごしたのだろうか。窓側に座っている女子は肌荒れが、化粧水がなど肌ケアをする暇もなかった会話が聞こえてくる。
寝起き女子の顔というのは新鮮だ。朝から時間をかけて学校に来る女子が、この時間のない閉鎖空間で無防備な姿をさらすのだ。緑山は特に。彼女はハーフアップをして教室に入るが、今日は簡単に髪をくくってポニーテールのようにしている。箸を口に運ぶごとに揺れる黒髪。その下から見える後ろの首筋、腕の日焼けした色合いと異なる純白さ。
胸や尻と違い首筋だけ切り取ってもエロいと思わないのに、あの白い肌の一部が首の下にまで伸びているのだろうか。そう妄想する余地がある。
「おい樺山。女子に鼻の下伸ばしてると、しばかれるぞ」
「伸ばしてない」
緑山のうなじに注視していたら、それを宮間に見られてしまっていた。いかんいかん。気が緩んでしまっていた。
「強情だな。学校ならまだしも、この合宿女と見つめあうだけで許されないからな」
「そんなわけないだろ」
「わからねえぜ。ここは監獄合宿だからな」
さすがにそれはない、と思いたい。
この合宿では青春イベントなどというのものを起こす余地がないように徹底的に男女分離させられている。食堂で左に女子を右に男子と分けられているのは序の口。部屋割りも左館に女子部屋を右館に男子部屋を配置。さらに合同勉強会も、左右で分かれている配置をされて徹底している。
勉強以外のことに精神が緩めさせない管理っぷり、ここまで来ると異常だ。
「なんでここまでするのかね」
「伝統だからじゃね。この合宿、開校からずっと続けているらしい。不良生徒がのさばっていた時代でも、この合宿を経てから勤勉で真面目な生徒に生まれ変わったとか」
「その時代って、暴走族とか改造服着てきたヤンキーがいた頃か? どんだけ古い話なんだそれ」
そんな古びた成功例にしがみついて、続けさせるなんて思考停止だ。俺たちはそんな奴らとは真逆の真面目で勤勉な学生なんだ。
朝食に箸をつける。昨日と変わりない口の中の水分を持っていかれるパサパサ具合が相変わらずの雑穀米。こんなものを用意するのなら、普通に白米を出してくれ。次は見た目からして乾ききった鮭の切り身。箸を押し付けた瞬間魚の油が赤身から浮き上がらない。鮭フレークのようなパサパサな食感が脳裏によぎり、箸に挟む。
「遅い! みんなお前を待ってていたんだぞ」
モリセンの激昂した声が食堂に響く。衝撃波のような声が体を震わせ、鮭がテーブルに落ちてしまった。
「すみません。目覚ましの設定間違えて。でもまだ時間には」
「みんな集合時間五分前に席についているんだ。それだけでみんなの時間を奪っているんだ」
時間を奪うとは説教に使われる言い回しだが、よくよく考えれば意味が分からん。たった五分でも俺の意志であくびもし、飯も食べる。自分に与えられた時間は自分が使っている。目の前にないものを使って罪悪感と責任感を植え付ける体のいい言い訳だ。
まあモリセンの場合は規律を守ってない生徒へのお灸程度にしか考えてないだろう。それより俺の鮭を返してくれ。
モリセンから解放された朝井はみんなに注目されるという見世物のようにされて、俺の席の隣に座った。
「災難だったな」
「集合時刻ちょうどなのに、怒鳴らなくてもいいだろうに。勉強合宿なのに軍隊かよ」
「いや
宮間の『監獄』という言葉はぴったりの表現だ。
俗世から隔離された場所に、自分たちの都合に合わせてスケジュール通りに進ませる。先生という立場が優位にコントロールできるなら、さぞ気分がいいだろう。
「心なしか先生たちも生き生きしているよな」
青春も憧れも楽しいことも看守たちには許されない。だが宮間も俺もそれを打破する。一回きりの青春を上が覆いかぶせた暗幕に屈してはならない。
「じゃあやるか今夜」
「なんだ。何かするなら俺にも噛ませろ」
「待て待て、はやる気持ちを抑えろ。『コンビニ男』の話風呂入っているときに集めてきたぞ。まずは俺の話を聞いてからだ」
『コンビニ男』の正体が俺の兄貴なのだが、実は知らないことが多い。兄貴がこの学校に入った時から監獄合宿から出し抜くアイディアを練っていた。しかし詳しい計画の内容は「特定秘密保護法に当たるからダメ」と答えてくれなかった。
合宿所から送られてきたLINEにも『俺は伝説をつくる』と豪語したメッセージしか送ってこなかった兄貴。帰ってきた後に、成功の可否について尋ねたが答えてくれなかった。
しかしこうして伝説として伝えられているからには、成功したのは間違いない。
宮間が鮭の切り身についていた皮を箸で器用に分けて、それを一本の線に見立てて、箸先に置く。
「昨日話した通り、『コンビニ男』が行動を起こしたのは風呂の時間。男女で入浴する時間がズレるが、この時は九時に男子から風呂に入った」
皮の端をタイムスケジュールに見立て九時を指した。そのまま箸をスライドさせて中央のところで止めた。
「部屋に戻ってきたのは九時三十分。ちょうど女子と入れ替わる時間帯だ」
「今年も同じ時間帯で交代させられたからな。何年も同じスケジュールを作ってんだろな。で、ここが一番の鍵だと思うが樺山は何だと思う」
突然宮間に答えを振られる。そんな何も知らないのにすぐ答えられないぞ。とりあえずなんか答えないと、つまらんと一蹴させられて最悪ハブられるかもしれん。
「見張りの先生の警備が緩むから」
「それはどうして」
「どうしてって、時間と関係ありそうなのが警備だと思っただけで」
「ノーノー、根拠が必要だ。なんとなくじゃ『コンビニ男』が成功した根拠に追いつけない。いいか、男女との接触を避けたい先生たち、特に女子が無防備な姿を性欲盛んな男子高校生に見られたら学校の信用問題になる。しかしこれが逆の立場になると問題にならない。はいここまでくればわかるだろ」
「野郎の裸を女子に見られても問題にはならないってことか」
「その通り!」
ガタリと宮間が雄叫びを上げると、食堂にいた生徒全員が宮間の方を一斉に向いた。その様子を先生が白い目で見ていたのを見逃さなかった。
「おい、何をしている宮間」
「げっ、モリセン。いえ、俺らシャケの皮は食べるに値するか論議してたんです。樺山がシャケの皮は苦いしと言いましてね。俺と朝井は食べる派ですよ。あのパリパリの食感がねえ」
こいつ俺をしょうもない談義の主犯にして巻き込ませてきやがる!
モリセンはピクリと片眉をあげて俺らを睨みつけてると「食事中は静かにしろ。一般のお客さんもいるんだ。学校の恥とならないように心がけろ。ついでに先生は骨まで食べる派だ」
なんとか注意されただけに済んだ俺たちは一斉に安堵の息を吐く。
「アホか」
「悪ぃ。で、話は戻るが。世間体的に男の裸を見られてもセクハラにはならないから教師としては気が緩む時間。『コンビニ男』もその心理の隙を突いて脱出の時間を見計らったわけだ」
「俺らの体は安くねえぞ。見よこの力こぶ」
「朝井は価値あるだろ。腹筋われているし、水泳部で毎日見世物にしてるし。俺の腹はぷよぷよだぜ」
「鍛えろ。あとプールサイドは見世物小屋じゃねえ」
「体自慢はそこまで、本題に入らないだろうが。いいか男子が先に入る時間、そして三十分のリミットの間に戦利品を抱えて部屋に戻る必要があるということだ。この脱走劇のカギとなる」
逃げて戻ってくるのが脱走とは言わないだろうが、ここは突っ込まず口チャック。
「そこまで聞いたら俺も参加するぜ」
「残念ながら、定員オーバーです」
「計画に定員はないだろ」
「伝説の再現をするって言ったろ。『コンビニ男』は単独で成功した。つまり多人数は失敗する恐れがあると俺は睨んでいる」
「つまり単独でなら成功すると」
「ああ、話を聞いても同室のやつは『コンビニ男』と風呂に行かなかったようで。戻ってきた時には、お菓子やスナックが山盛りで一人戻ってきたという。しかも今日はちょうどいい」
そう今夜の風呂の時間は、男子が先に入る日。
『コンビニ男』が決行した条件と重なるのだ。
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