<26・祈る者の選択。>

 次の瞬間。

 狭霧と世羅、両方が動いていた。黒いテーブルに置いてある拳銃を、双方がほぼ同時に取りに行こうと動いたのである。

 どうやら、考えていることは同じだったということらしい。本当は二つの銃を両方とも手に取りたかったはず。だが、それは叶わなかった。手にすることができたのは、お互い一丁ずつのみ。


「狭霧君!」


 世羅が叫ぶ。


「その銃を渡して。どっちに弾が入ってるかわからないんだから!」

「それはこっちの台詞だ。お前こそその銃を渡すんだ」

「嫌に決まってるでしょ!」


 それは、彼女が狭霧のことを正しく理解しているからに他ならない。


「このゲームは、どっちも人の体に銃口を押し当てて撃たないといけない。でも、ここには私達しか人間がいない!つまり、どっちかは撃たれないといけない。……君は二丁とも銃を手にして、二発とも自分に向けて撃って死ぬつもりでしょ。そんなこと絶対にさせないから!だったら私が私に撃った方がマシ!!」


 まったく、どいつもこいつも、と呆れるしかない。

 どうしてこう、他人を守るために自分を犠牲にできるんだろう。

 否。


――犠牲になるなんてことも、考えちゃいないんだろうな。


 他のメンバーならいざ知れず、世羅にとって狭霧はゲーム前から“他人”ではなかったというのなら。尚更、必死になる気持ちもわからないではない。

 ただ、だからこそ。記憶喪失の謎が明かされた今でも、その関係性を伏せようとする意味がわからないのだ。

 


「確かに、このゲームで撃てる“人体”は、俺かお前の体しかない。胴体と指定してあるから尚更だ。しかし、頭を撃てと言われているわけじゃない。撃っても当たり所が悪くなければ、そしてすぐに治療できれば助かる可能性は充分ある」


 一見すると、二人で争って互いの体を撃ち合えと言っているように見えるかもしれない。だが、ここまで残った二人が、簡単に殺し合うとはゲーム主催者とて思っていないだろう。

 だから、狙いはその先にはある。

 このゲームは最初から、“どれほど仲間のために犠牲を払えるか”を試されているのだ。

 その犠牲とはつまり。死んでしまった仲間に報いるために、最後の仲間を犠牲にできる覚悟か。

 あるいは自分を撃って、その痛みと命の危険を背負う覚悟か。

 どちらも彼等の望む“正義の味方”像に合致する、つまりそういうことなのだろう。


「だから、俺が自分を撃っても死ぬとは限らない。だから、拳銃は二丁とも俺に渡せ。俺が自分が死なない場所を適当に撃って終わらせる、それで二人とも生きて脱出できるはずだ」

「嫌だ」

「……俺がお前を撃つと疑ってるわけじゃないだろ?」

「それは疑ってない。それでも嫌。この点ばっかりは、君を信じられない!」


 キッ、と強く狭霧を睨みつけてくる世羅。


「さっきの教団の人の話、聞いたよね?あれ、本当なんだよ。狭霧君は、殺されそうになった私を庇って一度死んだの。君は忘れてても、私は覚えてる。君が血まみれになったところも、冷たくなっていくところも。君は、私の代わりなら死んでもいいって思ってた。それは私が大事っていうより……君が、君自身の価値を信じてなかったからだって知ってる。大切な人の苦しみに気づけなかった自分なんか、誰かの代わりに死ぬくらいしか価値なんてないって思ってたから。私はずっとそれを聴かされてきたから!」


 もちろん、狭霧にその記憶はない。それでも真剣そのものの世羅の表情が全てを語っていた。

 彼女はけして、嘘をついていない、と。


「君が、あの時と同じことをしないなんて保証がどこにあるの?私の代わりって名目で、急所を撃たない確証がどこにあるの?悪いけど、その点については信じられない。全然信じてない。だから……!」

「だから、お前はお前自身と自分の関係を隠したかったんだな。俺についてのあらゆる情報も、記憶も」

「!」

「自分との関係を思い出したら、俺がお前を庇ってこのゲーム中に死ぬに違いない。だったら他人だと思ってくれていた方が都合がいい。そう思ったんだろう?」


 それで、全て辻褄があう。




『駄目、駄目、お願いだから……っ!』




『うん。……これは、本当。できれば……記憶がないうちは他人だって思っていてほしかったっていうのは、本当だけど』




 あんなに必死で狭霧を助けようとするのに、他人と思っていてほしかった、なんて矛盾した言葉は。

 誰より、自分を守ってほしくなかったから。

 狭霧が己を守ろうとすると、何が起きるのかよく知っていたがゆえに言葉であったのだ。


「本当に、俺達はただの友達同士だったのか?高校じゃ別のクラスだったんだろう?」


 だから、もう一度尋ねる。

 彼女のその感情は、献身は。己のことを忘れてでも狭霧に生きて欲しいと願う心は、到底ただの友達同士に収まるものではないと思ったからこそ。


「……私。嘘は、言ってないよ」


 やがて。世羅は泣きそうな顔で、言った。


「私達は、ただの友達。ただ、中学校から同じ学校で、何回も同じクラスになって。男の子と女の子だけど、部活動が一緒で……結構仲良しになってた。だから、狭霧君が行くっていう藤木高校に私も行くことにした」

「本当に……」

「本当に、それだけ。違うクラスになっても、君が小学校時代に酷い目に遭って苦しんでたのを知ってたし、昔より明るくなったけどそれでも心配で……だから気になってよく声かけてた。無理やり一緒に帰ったりしてた。何で?理由なんか一つしかないでしょ」


 銃をぎゅっと握りしめて、彼女は告げる。




「私が君を好きだったから。私達は恋人なんかじゃないよ。ただ一方的に、私が君を好きだっただけだから」




 本当は。

 このゲームがなければ、一生告げるつもりはなかったのではないだろうか。なんとなくそう思った。世羅の性格は、このゲームの中だけでも充分想像がつく。傷ついていた狭霧に寄り添って慰めてくれたのが、きっと彼女であったのだろうということ。だからこそ、そんな狭霧の傷につけこむような形になりそうで、想いを告げることができなかったのだろうということが。


「君が私を助けようとしてくれた時、少しだけ嬉しかった。君にとって私はただの友達だろうけど、でも特別な友達になれてたんだなって。でも、君が本当に撃たれて……直後に後悔した」


 最低だよね、と彼女は苦しそうに笑う。


「私、守られヒロインって大嫌いなんだ。自分じゃ戦うこともできないくせにさ、戦場にしゃしゃり出てきて……勝手にピンチになって。助けてーなんて、ほんと自業自得なくせに。それでヒーローが傷ついたら泣いて敵に命乞いしたりするようなタイプ、いるでしょ。何もかもお前がピンチになったのが悪いのに、ちっとも反省しないでさ。自分が守られるのが当然だと思ってるの。助けてって言えば助けてもらえると思ってるの。そのせいで、大切な人が傷ついたり死んだりすれば馬鹿みたいに泣くくせに」

「世羅……」

「私はそうなりたくなかった。自分の身くらい自分で守れるヒロインに、できればヒーローのことも守れるヒロインに。それがどうしても無理なら、分をわきまえてちゃんと後ろに下がってられるヒロインになりたくて……そういうのが、できると思ってた。思ってたのにね。結局大好きな人に守られて喜んでるなんて、馬鹿だとしか言えないよね」


 だから、と世羅は続ける。


「もう守られないって決めたの。私が、狭霧君を守るんだって」


 これだけは、絶対に譲れない。彼女の眼ははっきりとそう語っていた。


「お願い、銃を渡して。渡してくれないなら、ブン殴ってでも奪い取るよ?これでも運動神経は悪い方じゃないし。……記憶がない狭霧君よりずっと、私の方が狭霧君のことを想ってる自信があるよ。だから、譲って。君が言う通り、私が私を撃っても確実にそれで死ぬわけじゃないんだから。最後に二人とも生き残れるなら、私の方が撃たれても問題ないはずだよね?」

「……」


 理屈は、一応通っている。そして自分達には長いこと言い争っている時間がないのも事実だった。本当にゴールデン・ランスヘッド・バイパーなんてとんでもない蛇を組織が大量に確保しているかどうかは別として。それに似た蛇を合成して作り上げるくらいのことはやってのけるんだろうな、とは思っている。少なくとも、大量の毒蛇が降ってくることは覚悟した方がいいだろう――実際自分は、第二の試練で奴らが作り上げたキメラを見てしまっているのだから。

 ここでぐずぐずしているくらいなら、さっさとどちらかがどちらかを撃ってしまった方がいい。それはわかる、でも。


「……世羅」


 ぽす、と床にナップザックを下ろした。このまま自分が持っている方の銃が“実弾入り”であることに賭けて、さっさと自分を撃ってしまうという選択肢もあるだろう。しかし、外した場合が厄介だ。その隙に、確実に世羅も自分を撃つに決まっている。それでは結局、現時点で“たまたま実弾入りを持っていた方”が望みを叶えるだけの結果で終わる。つまりは運ゲーだ。

 そんなのはごめんだった。それは、単なる自己犠牲ではなくて。


「お前は、勘違いしている」


 確かに、自分は過去の記憶が消えたまま。

 かつて世羅とどんな信頼関係を築いていたかなんて覚えていない。だからきっと、彼女が自分を見る目と、自分が彼女を見る目は全く違うのだろうとわかっている。でも。


「記憶がないからこそ、このゲームの中で築いた時間が今の全てだ。お前と同じ気持ちではないかもしれないが、それでも……お前を仲間として、大事に思う気持ちに嘘はない。それを、お前自身にも軽んじられるいわれはない」

「……っ」

「そもそも、世羅。お前にできるのか?……銃で撃たれるのは相当痛いと思うぞ。己の体のどこを撃つ?手足は駄目だと言われている。安全な場所は限られている。いずれにせよ、相当痛みを伴うのは間違いないし、銃口を押し当てるのだから火傷もする。人は時に、死ぬことよりも痛みを恐れる生き物だ。仮に死ななかったとしても後遺症が残るかもしれない……お前に、それを背負う覚悟が本当にあるのか?」

「そ、それは……」


 怯えさせるようなことを言ったのは、わざとだった。彼女だって、元々は普通の女子高校生にすぎない。痛いことや怖いことに慣れていたはずもない。リアルにそのダメージを想像してしまえば、恐れをなすのも当然だろう。ましてやついさっき、嵐が撃たれたのを見てしまっているのだから尚更に。

 明らかに動揺したように、世羅が視線を逸らす。その瞬間こそ、狭霧にとっては好機だった。


「!」


 素早くナップザックの中から、飲み水を入れた水筒を取りだす。そして蓋を開けた状態で、世羅に向かって投げつけた。


「きゃあっ!」


 水をぶっかけられる上、重たい塊を真正面からぶつけられたのだ。当然怯む。反射的に手で顔を庇うように防御してしまう、それは責められまい。

 その瞬間、狭霧は床を蹴っていた。ごめん、と思いつつ彼女の怪我をしている腕を殴りつける。呻き声とともに、銃がその手を離れて落下した。


「悪いな、世羅」


 そして、彼女が落とした銃を素早く拾う。


「これは自己犠牲じゃない。……お前を助けたい、俺の意思だ」


 彼女の言葉で、狭霧の心はとうに決まっていた。己の右肩に銃口を押し当て、引き金に指をかける。


「狭霧君――――っ!」


 そして。

 甲高い銃声が、その場に響き渡ったのだった。

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