<11・アイ悼歌を歌いながら。>
暫く、誰も口をきかなかった。
お喋りな千佳でさえ、呆然とその場に座り込むばかり。誰もが言うべき言葉を探しているのか、あるいは探すという気力もないのか。
――俺が、なんとかしなければ。
狭霧はそう思っていた。でも。
――俺が、信吾を置いて来る選択をしてしまった。責められるべきは俺だ。いくらあいつの意思だったと言っても……見殺しにしたと、そう言われても仕方ないことをしたのは事実。だから。
言葉が、出ない。
下手なことを言って、逆に残る三人を傷つけてしまうのが恐ろしかった。もう少し、頭が回る人間だと思っていたのに、と己に失望する。あるいは、頭は回っても非常に言葉に不器用なタイプであったのかもしれない。きっと、自分はコミュニケーション能力に秀でたタイプではなかったのだろう。こんな時に、慰めの台詞一つ出てこないのだから。
「……ごめん、なさい」
やがて、狭霧が黙っているうちに口を開いたのは嵐で。
「僕が、余計なことをしたせいで……せめて、ヒントが来るまで待っていれば、こんなことには」
「そうだね、それは君が悪いよ」
「!」
意外にも。はっきりと嵐を糾弾したのは、世羅だった。
「おい」
確かに、嵐の行動に問題があったのは事実である。それでも、明らかに自己肯定感が低いであろう子供の行動を止められなかった責任は、自分達年上にあるはずだ。もっと言えば、早く気づけなかった自分のせいだ。狭霧がそう言いかけた、その時。
「ヒントが来るなんて誰にもわからなかった。それを待てなかったことなんて誰も怒ってない。でも、君が君を大事にしなかったことに関しては、私も怒ってるよ」
そうではなかった。世羅が言いたかったことは、狭霧が予想したものではなく。
「私は、君の過去に何があったかなんて知らない。他の子ども達みたいに笑えない理由も、自分なんか捨てていいなんてあっさり言えちゃう理由も私は知らない。……ううん、仮に事実を知ったところで、私は君じゃないから。君の心まで見えるはずがないし、想像ができたところで“気持ちがわかる”なんて言う権利はないと思う。きっと君には……自分なんか要らない人間だって、そう思うような辛いことが過去にたくさんあったんだと思うよ」
でもね、と彼女は続ける。
「少なくとも此処にいる私達は、君を要らない人間だなんて思ってない。信吾さんだってそれは同じだったはずだよ。だって約束したでしょ、また千佳さんのご飯を食べるんだって。信吾さんも試合見に来て欲しいって言ったし、私も文化祭に来てほしいって言った。君を、仲間だって思ってなかったらこんなこと言わない」
「仲間……」
「うん。出逢ったばっかりだけど、私は仲間だと思ってるし、君と友達になりたいって思ってるよ。それは、必要とされていることとは違うの?出逢ったばっかりの私達の言葉なんか、薄っぺらいってそう思う?」
「…………」
本当は。世羅だって泣きたかったはずだ。何でこんな理不尽な目に自分が遭わなくちゃいけないんだと、何度も運命を責めたに違いない。
そして、信吾が死んだかもしれないことも。これから自分が死ぬかもしれないことも。さっき見た映像の女の人のように、誰かのせいにして、自分は悪くないと思った方が本当は百倍楽でいられるはずなのである。
それでも、彼女はそうしない。しないことを、選べる人なのだと狭霧は知る。
「必要としてくれる誰かがいるなら、君は君を蔑ろにしちゃいけない。君が自分を貶めることで、君を大切に思う人を傷つけることになるから。君は一生懸命、その誰かのために生きないといけないんだよ……わかるよね?」
世羅の言葉に。光をなくしていた嵐の眼から、ぽろり、と涙が零れ落ちた。
「……僕」
震えながら、唇が開かれる。
「お母さんの、人生の邪魔だって、そう、言われた。僕がいるせいで、全然男の人に……愛して、もらえない、って」
「うん」
「……恋人になっても、すぐに“自分の子供じゃない子供を育てるなんて嫌だ”っていなくなって……。結婚しても、すぐ、別れて。……この間は、少しだけ長く続いた。でも、その人は、その人の目的はお母さんじゃなくて……」
「……うん」
「ほ、本当は……小さな男の子が好きなんだって、その人は言ってた。最初は、頭を撫でて貰えて嬉しかった。仲良くなれると思った、お父さんって呼びたかった。一緒の布団に寝ても嫌じゃなかったのに、気づいたら、それだけじゃなくて……。お母さんに、バレたら嫌われちゃうと思って言えなくて、我慢してたのに……やっぱり、バレ、て」
「嵐君」
「何で自分じゃなくてお前なんだって、叩かれた。役立たずだって、お前なんか産まなければ良かったって。だから、僕は、誰かの役に立たないと生きてる意味なんか……」
「そんなことないよ」
残酷すぎる過去を語る少年を、世羅はそっと抱き寄せた。彼女だってけして屈強な体格ではない。それでも、その子は彼女の手に余るほどに本当に小さくて、痛々しくて。
世羅は彼を抱きしめて、はっきりと言ったのだった。
「君は賢いし、頑張ってる。役立たずなんかじゃない。絶対絶対、そんなことない。信吾さんだってきっとそんなこと思ってなかったよ。君が迷うなら、私が何度だって言うから。役立たずじゃない、要らない子じゃないって……!」
「う、あ……っ」
やがて、声を上げて泣き始める嵐。そんな彼の背を、世羅はただただ抱きしめてさすり続けていた。
不思議だった。記憶はないはずなのに、狭霧の中でその姿が誰かと重なって見えるような気がしたからである。白い光景の中、誰かが誰かを抱きしめている。一生懸命慰める声が聞こえる。力強く、優しい誰かの声が。
『お前は要らない奴なんかじゃない。××が、いつもついてるからな』
あれは、自分がかけてもらった声?
自分にもいたのだろうか。あんな風に抱きしめて、支えてくれる存在が。
「……確かに、子育てって大変なのよね」
ぽつり、と千佳が言った。
「時々、SNSとかで子育てを罰ゲームみたいに言う人がいるじゃない?……あたしは、自分が母親になったから……正直わかる気もしちゃうのよ。確かに、愛していたからこそ子供を作ったし、それは己の意思だったはずで。生まれてきたその子にはなんの罪もないし、そんな言葉は聞かせるべきじゃないって知ってる。……それでも、そう言いたくなるくらい辛かったり、荒れる瞬間があるのも想像できちゃうわけ」
「現在の日本はまだ、出産と育児のサポートも理解も足りていないからな。まだまだ母親が子育てをするべきという風潮は強いし、父親が育児に参加しようとしたところでそれを良しとしない会社は少なくない。意識の問題もある。それで追い詰められる母親がいるのも事実だろう」
「そうね。どこかでわかってるからこそ、そういう親たちはSNSで吐き出すしかないんでしょうけど。……でも、子供が知ったら思っちゃうわよね。そんなに自分が邪魔なら何で産んだんだって。……今は親になった人達も昔は子供だったわけで。子供の気持ちも、想像することはできるはずなのにね……」
ぱふ、と。壁に背中を預けて座り、天井を仰ぐ千佳。
「もっと子供を育てやすい世の中になるべきだし、親が苦しみをため込まない世界であるべきだとは思うわ。……でも、その上で言わせて貰うなら。親になるってことは、自分の幸せよりも子供幸せを考える責任を負うってことで、その覚悟をちゃんと持たない人間は親になるべきじゃないと思うのよ。……親になろうが、女は女だから恋がしたいってのはわかるけど。それはあくまで、子供の幸せを優先した上で、であるべきだわ。それを蔑ろにする奴が、人の親である資格はないわよ」
そうだな、と狭霧も嵐を見て思う。小学校三年生くらいだと思っていたが、ひょっとしたら彼はもっと年がいっているのかもしれなかった。虐待で成長を阻害されるというのはままある話だ。勿論、彼の場合食事などまで制限されていたわけではないかもしれないけれど、少なくとも心身に大きなストレスを抱えていたことは間違いないわけで。
自分は、誰かの親になどなったことはない。それでも、記憶はなくてもきっと誰かの子供であるのは間違いなくて、そちらの気持ちなら想像がつくような気もするのだ。
小さな頃は尚更、子供にとっては親は世界の指針と呼んでも差支えない存在で。
そんな相手に否定されることは、生きていることを否定されることも同じなのではないか。
その上で、再婚相手の虐待もあったのなら。どれほど苦しかったかなど、察するに余りある話である。
「きっと、信吾も同じことを言うと思う」
そう告げると、狭霧は立ち上がった。梯子の前に立ち、上を見上げる。
物音は何も聞こえない。あのゴリラの化け物のようなものが、梯子の上まで来ている様子もない。信吾が倒したのか、それとも。
「!」
その時。ういいいいん、と再び機械音が響き渡った。狭霧はぎょっとして叫ぶ。
「おいっ!」
自分達が降りてきた梯子の上、入口がゆっくりと閉じていくのだ。他の三人も気づいて傍によってきた。
「ちょ、入口が閉じちゃう!」
「そんな」
「ま、待ちなさいよ!信吾君がまだそっちにいるのよ、何勝手に閉めてるのよ!!」
無情にも、がしゃん!という音と共にシャッター状に入口は閉まってしまった。呆然とする四人の耳に聞こえてきたのは、あのアナウンスである。
『おめでとうございマス。おめでとうございマス。第二の試練、クリアおめでとうございマス!』
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