<10・ヒーローがやってくる>

 音は一体どこから聞こえてくるのか。何にせよ、嫌な予感しかしないのは事実だ。嵐を背中で庇いながら、じりじりと後ろに後退していく。

 階段を登った先にあったのは、真っ白な部屋だった。否、部屋というより何もない広間と言ったほうがいいか。ただ白い天井と壁があるだけの、だだっ広い空間が広がっているのである。見た限りでは、ドアも窓もない。仕掛けらしい突起物の類も見えない。

 だが、やがてその一角に変化が現れた。奥の壁の、手前あたりの天井がゆっくりと開いていっている。先程の稼働音はコレだったらしい。観音開きのように開いた天井から、どすん、と落下してきたのは黒くてけむくじゃらな物体だ。何かの動物、であることはすぐにわかった。何であるのかすぐに判別できなかったのは、そいつが蹲っていたからである。


「……嵐、先に行け。逃げろ」

「で、でも」

「いいから行け!嫌な予感しかしない!」


 思わず鋭い声で叫んだ瞬間、がばり、とその動物が顔を上げた。絶句する。そいつは、ゴリラの顔をしていた。にも関わらず、体は明らかに熊のそれであると気づいたからである。そう、熊の体にゴリラの頭がついているという奇妙な生物がそこに鎮座していたのだ。


「オ」


 そいつは血走った目をこちらに向けた。

 視線があった、まさにその瞬間。




「オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」




 地鳴りを起こすかと言わんばかりの声で、咆哮。四足で、ドタドタとこちらに向かって走ってきたのである。


「逃げろ――っ!」


 捕まったら引き裂かれるか踏み潰されるか。ろくな末路がないのは確かだった。何かの薬を打たれているのか、酷く興奮しているようだ。恐らく、目に入るもの全てを攻撃しなければ収まることはないのだろう。

 転がるように階段を駆け下りて、元の廊下へ飛び出した。ドアから様子を覗き込んでいた信吾がぎょっとしてように叫ぶ。


「な、何だありゃ!?ゴリラ!?熊!?」

「叫んでる隙あったらドアを閉めろ!」


 狭霧の一言でギリギリ判断力を取り戻したらしい信吾が、一気にドアを閉めて扉を押さえた。直後、ドン!と向こうから大きな衝撃が響く。行く手を封じられたあのゴリラもどきが、ドアに体当たりでもしたらしい。


「天井から、2メートル以上ありそうなゴリラだか熊だかわからない化物が落ちてきて襲ってきた。今ドアの目の前にいる!全員、後ろの太陽のマークのドアへ走れ、そこが出口だと思う!」

「ええ!?」


 残念ながら、ドアに鍵はかからない。信吾がドアを押さえてくれている間に狭霧は非常に簡単に女性二人に指示を出した。説明している暇はない。新語は頑張ってくれているが、ドアが突破されるまでさほど時間はないだろう。


「理由は後で話す、悪いが今は俺を信じてくれとしか言えない!」

「――っ!」


 間違っていたらどうしよう、という不安は拭えないだろう。なんせ太陽のマークのドアは、映像であの黒髪の女性が投げ込まれ、無惨に死んだドアだからだ。実際の映像は見ていなくても、いかに残酷に死んでいったかは皆が知るところだろう。生きたままチェーンソーのようのもので手足を切断されて死ぬなんて、想像するだけでショック死しそうな話である。

 だが、狭霧はこのドアこそ正解だと確信していた。当然根拠はある。最後のヒントを貰うまで、何故気づかなかったのかと己を責めたほどに。


「……わかった!」

「せ、世羅ちゃん!」


 真っ先に動いたのは世羅だった。彼女は太陽のドアをガラガラと開くと、そのまま見えた階段を駆け下りていく。狭霧は慌ててそのドアを押さえた。途端、一番下まで駆け下りたと思しき世羅の声が響く。


「ここ!ここに梯子みたいなのがかかってる!狭いから、ここを降りたら大きな化け物は追いかけてこれないと思う!」

「ありがとう、世羅!先に降りてくれ!」

「わかった、待ってる!」


 確信は持っていたが、本当に正解だったようで助かった。カンカンカンカン、と音を立てて世羅が梯子を降りていく音を聞いて、千佳も覚悟を決めたのか嵐の手を引っ張って走り出す。彼らの背中を見送ると、狭霧は道具を入れたナップザックを抱えて言った。


「信吾、あんたも先に行ってくれ。ドアは俺が抑えるから……」

「そいつは無理な相談だ」


 狭霧の言葉を遮るように、ぴしゃりと信吾は言った。


「こいつ……っ!マジで馬鹿力だし、頭いいぜ。横に引いて開けるドアだって気づいたみてぇで、さっきからグイグイ引っ張ってきてやがる。このパワーに耐えられるのは俺だけだ。俺が手を離した瞬間に、間違いなくこいつは飛び出してくるな。アメフトやってる俺でこれなんだ、お前の腕力じゃ絶対ムリだろうよ」

「でも、抑えてたら脱出できないだろ!」

「そうだ、隙を見て手を離してヤツを倒すしかねえ。……それができるのは俺だけだろうよ」

「!?」


 彼が何を言わんとしているのか、すぐにわかった。信吾は自分達が逃げ切るまでここに残り、ドアを抑え続けると言っているのだ。そして、あの化け物と戦うと言っているのである。


「駄目だ、無謀だ。あんたも死ぬ!」


 そんなこと、信吾だってわかっているはず。一瞬でもあの怪物を見たならわかるだろう――熊の爪とパワーにゴリラの頭脳を持つ、2メートルをゆうに超えるような怪物。いくら信吾が鍛えているからと言って、簡単に戦って倒せるとは思えない。銃火器でもあれば話は別だっただろうが、これはハリウッド映画やゾンビゲームではないのだ。そんな便利なものがそのへんに転がっているはずもないわけで。


「せめて俺も戦う、そうすれば……!」

「わかってんだろ、戦闘じゃ足手纏いだよ、お前は」

「でも!」

「それに、俺は確信してんだ、お前は必要な人間だってな!実際今だって、答えを見つけてくれたじゃねーか」


 違う、と狭霧は思った。確かに正解は見つけた。でもあと少し、ほんの少し早ければ嵐が無謀な突撃をすることもなかったはずなのである。自分があとほんの少し早く正解を見つけていれば、こんなことには――!


「なあ、俺がなんで、アメフトでラインマンなんてやってるか知ってるか。前衛の壁役は基本的にボールに触らない、パスもしなけりゃタッチダウンもしない。いわば縁の下の力持ちってやつだ、アメフトにとって花形でもなんでもねーポジションなわけだ。でもな」


 相当強い力に耐えているのだろう。血管が浮き出るほど腕に力を込めてドアを抑えながら、信吾は。


「でも、俺はラインを選んだ。なんでか?……ラインが一番守れるからだ。クオーターバックを、レシーバーやランニングバックを、つまりは仲間を。昔からそういうのが一番好きなんだよ。図体でかいだけの俺でも、誰かの役に立ててるんだなって思える瞬間が。ようは自己満足だ。でも、俺はそれが幸せで……その自己満足が俺自身でもあるんだ。それを捨てちまったらもう、俺じゃねーんだよな。例え、生きて帰ることができてもな」


 だからよ、と彼は続ける。


「俺を、仲間を死なせたクソヤローにしないために協力してくれ。死ぬと決まったわけじゃねえ。生きたらまた会おうぜ……ってこれもフラグか?はは」

「信吾……」

「他の奴らを頼んだぜ、リーダー。あ、戦うために包丁一本残してってくれると助かる。使うかどーかわかんねーけど!」

「…………っ」


 彼の覚悟は、鋼のように硬いのだと知る。狭霧は唇をかみしめて、ナップザックから包丁を一本取り出すと刃の部分に巻いていた新聞紙を取り外して、近くの床に置いた。


「……信じるからな、あんたを」


 そして。

 彼の決意を無駄にしないために、太陽のマークのドアへ飛び込んだのである。一番下まで降りて、梯子に足をかけた時、どがぁん!と大きな音が響き渡った。あの通路で、ドアが壊された音だと知る。


――俺にもっと、もっと力があれば……正しい判断が出来ていれば……!


 悔しさに、唇を噛みしめるしかなかった。狭霧は己への怒りと悔しさを滾らせながら、ひたすら梯子を降りたのである。

 一番下は広い円形の空間になっていた。そこまで降りたところで、待っていた他の三人が駆け寄ってくる。


「さ、狭霧君!信吾君は……」


 千佳の言葉に。狭霧は俯いていた顔を上げて、どうにか絞り出したのだった。


「あいつはやっぱり……いいやつだったよ」


 願わくば。

 彼が本物のヒーローになって、帰還してくれることを。

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